「これが、武侠というものだ。」
滝知史さんボイス(零時代)で←超重要



では、武侠って一体何でしょうか。

字面で判断すると、”武”をもって”侠”を為す人。

侠は”男気”ということで、

要するに義や情のために武力を持って戦う人、ということのようです。

ある面では正義の味方、もしくは国法にそむく存在という面ではアウトロー、

という言い方もできるかもしれません。

「武侠にとって信義は法よりも厚く、恩を受ければ必ず報いる。」

とは、零サムでの劉雲飛の設定にある一文ですが、それは事実のようです。

侠客は古くから中国に存在していたそうで、

(雲飛の生きた年代と設定されている唐代にも侠客は民間で慕われる憧れの存在とされており、

有名なところでは詩仙と言われた李白も侠客に憧れていたひとりだったとか)

信義を法よりも優先する彼らは官にとっては煙たい存在、民にとってはヒーロー、

という位置付けだったみたいですから。



しかしながら。

まだ極め尽くしましたなんてとても言えませんけど、少なくとも武侠小説を

金庸とか古龍とか梁羽生とか柳残陽とか乱読してみた限りでは(ああ〜もっと読みたい〜〜)
気になる人は(いないかもしれませんが)グーグルに聞くか近所の図書館へLET'S GO!

武侠小説の登場人物で、自らを「武侠」と称した人を見たことはございません。

大体は、どこか特定の流派に所属する、またはそういった武術を習得した武芸者ってことになってて、

自称や他称の場合には「侠客」とか「侠者」ですかね? 

で、ネット辞書yahoogooに頼ってみると、


「武侠」=武勇(または尚武)と侠気


と出てきました。

つまりこの言葉そのものは特定の人や集団を指さないことになりますな。

一説によると、武侠という言葉は

1900年代の初めにある日本の冒険小説家が日本人の愛国精神を表現するのに「武侠」という言葉を用い、

それが中国に翻訳されて広まったとも言われているそうです。

実際、アマゾンで”武侠”を検索すると、中国の武侠小説やその映画版と同時に、

日本の軍国主義的な書物もヒットしたりするんですよね。

まぁ成り立ちはそうであったとしても、武侠という言葉で導き出されるイメージは現在

”中国伝統の武術・及び気功法を習得した武術者たちの、戦いを中心とした物語”がかなりの部分を占めていて、

そのイメージを連想させるために「これが、武侠というものだ」という台詞になってるんでしょうから

全然間違ってんじゃん! とかいう突っ込みは野暮というもんです。

上で思い切り大文字にはしてますけども。


あと、現在の武侠小説に直接通じるジャンルが中国で成立したのは清の時代になるそうで、

そのせいとばかりも言えないでしょうが武侠小説の時代設定が清の時代になることもままあるらしく。

まぁ日本で例えれば、時代劇・時代小説と言われるジャンルで普通に連想されるのが江戸時代、

というのと似た感じみたいです。

ここでやっと再び雲飛登場ですがw 零時代の設定には”清国から来た武侠”て書かれてるのは

そりゃ実際にサムスピの設定年代には中国は清だったから正解なんだけど(あと武侠の設定的にも)

雲飛が”実際に生きて活躍していた年代”は、千年前の唐の時代になるので個人的にはちょっと違和感^^;

唐の時代には上であげたイメージの「武侠」っていうのは成立してなかったかもしれませんが、

唐を舞台にした武侠小説もあるとかで、

ちょっと読んでみたい雲飛から武侠にハマった管理人の今日この頃でした。
まだ翻訳ないんですけどねw


しかしあんまし雲飛の話しとらんなこのページ。


参考文献『漂泊のヒーロー 中国武侠小説への道』岡崎由美著 大修館書店 あじあブックス