ゲーム批評、休刊(事実上の廃刊)してたんか……知らんかった。


ゲーム批評 VOL.2 1994年 冬号

 特集『格闘ゲーム、神話の終焉。』P12〜13より


格闘ゲームを検証するA
真サムライスピリッツに見る作品性の安易な展開


ファンとヘビーユーザーをがっちりつかみ大成功を収めるSNKだが、
その安易な発想による展開はゲームをどう変えるのか?!



▼格闘ではなく斬り合い、それが最大の勝因だ

『サムライスピリッツ』(以下『侍魂』)はかなり強烈な個性を持ったゲームだった。

刀による斬り合いは、素手での格闘とは意味合いがまるで違っている。

敗者は血しぶきを吹き上げ、胴を両断される。言葉通りの「真剣勝負」だ。

そのため、体力に圧倒的な差があっても、一瞬の油断で負けてしまうことがある。

理不尽な感じもするが「真剣勝負」なのだし、それがこのゲームのかもし出す「硬派」な姿勢を演出してもいる。

「硬派」はキャラクターや雰囲気から「媚びた姿勢」を一掃し、ハードな姿勢を強く打ち出すこととなる。

戦い方も「斬る」を優先させているが、より強くなるためには「蹴る」も重要なポイントとなるという、

複雑な構造を持っていた(これは初心者は「斬る」中心でも構わない、ということでもある)。

このゲームはある程度ヘビー・ユーザーを意識したゲームであったろう。

コマンド・タイミングなども比較的シビアだが、その上級者へ向けた硬派さは『侍魂』独特の魅力といえるはずだ。

しかし、独自性の強い世界に、実際にはコインを投入しないファン(ヘビー・ユーザーの対極にある)をひきつけもした。

これはメーカーにとってもうれしい誤算であっただろう。

最もシビアなユーザーと、最もライトなファンの両極をひきつけることができたのだから。

そして1年後、『真サムライスピリッツ』(以下『真侍魂』)がリリースされた。

まず、最初に気づかされることは、ゲームの難易度を上げざるをえない、操作系の複雑化である。

既設の前後ダッシュに加えて、伏せ、前後転、退き、踏み込み、下段受け(※)、受け流し・・・・。

複雑化することで選択肢を豊富に、という考え方は安易だ。ゲームの豊かさ→複雑化は

最も簡単な回答といえる(もっと豊かにしたいのなら、ボタン20個でゲームを作ればよい)。

まあ、メーカーが超ヘビーユーザーへ向けた結果、というのならこれもいいかもしれない。

『初心者お断り』という看板付きだともっといいだろう。

しかし、上げすぎた難易度に危機感を感じたのだろうか。緩和を目的とする追加変更も多い。

前作と比較して、コマンド入力時間はかなり穏やかに設定されているようだ。

CPUの必殺技コマンドも表示される。真剣白刃取りのコマンドも簡略化された。

しかし、応急手当ての感はぬぐえない。

塩を入れすぎた料理に、砂糖を投入することで、塩辛さを緩和しようとしているかのように見えてしまう。

けれど、砂糖の甘味は、決して塩辛さを打ち消すわけではないように、

『真侍魂』の複雑な操作は残されてしまっている。



▼なぜ真サムスピは軽くなってしまったのか


さて、『侍魂』の強烈な個性であった「硬派」な雰囲気はどうなっただろう。

もちろん、『真侍魂』も斬り合いのゲームではある。

しかし、追加された新キャラ、キャラ・オープニングのアニメ調グラフィック、

音声化された台詞、殺し合いというより試合的になった戦いの数々が、「硬派」という特徴を希薄にしてもいる。

いや、追加点においては「軟派」とさえいえる。

深刻さのかけらもないチャム・チャムにいたっては違和感さえ感じてしまう。

かつての「硬派」でわかりにくいキャラクター性が、誰にでもわかるようにつくり替えられている。

そして、二頭身キャラの登場だ。マジな対戦中、どれだけのユーザーがアレに呆れたことか。

どうやら『侍魂』に特有の「硬派」な世界を『真侍魂』はつくり替えようとしているらしい。

それはもちろん「軟派」への大きな方向転換だ。

シビアな世界より、ユーモアたっぷりの世界を、ユーザーは求めている、との読みなのだろうか。

こんな歴史は見たことがある。『餓狼』→『スペシャル』、『竜虎』→『竜虎2』のアレだ。

『餓狼』は『2』から『スペシャル』へ、次第に硬派な雰囲気を払拭していったが、

あの主人公3人組はもともとが硬派さの似合わないキャラであったため、軟派路線への変更は成功した。

しかし、同じ方法論で軟派化された『竜虎2』は、前作から続くリョウの重苦しさとユリの能天気さが噛み合わない、

なんとも歯切れの悪い、中途半端な作品となってしまった。

同じ方法論の繰り返し、芸風一緒だね、と苦笑してしまう。

SNKはなぜ同じ方法論を繰り返すのだろうか。それも10回目には磨耗してしまい、

うんざりしてしまうようなジョークの類を。

『侍魂』の「硬派」さは、右京のように殺伐としている世界だからこそおかしいという反転の効果を生みもした。

これはひねられているため、簡単には磨耗しない(後でジリジリ効いてくる十兵衛とかもね)。

この敷居の高い、ハードでシビアな発見する魅力こそが、

ヘビー・ユーザーとファンを魅了した『侍魂』の特徴であろう。

だが、『真侍魂』は『餓狼』や『竜虎』の変更と同じ方法を選択し、

もともと持っていたはずの個性を既存の物と同じ方向に置き換えてしまった。

これはどういうことだろう。SNKは、自社ゲームのすべてを均一化しようとしているのだろうか。

安易な発想による展開はゲームを殺すというのに。


おまけだが、マヤ人タムタムがアステカのケツァルコアトルを崇拝しているのは間違い。

マヤではククルカンと呼ぶはずだ。

まあ、ケツァルコアトルとククルカンは同一視されることもあるけど、基本的に違った神格なのだしね。





ゲーム批評 1998年 5月号 P118より

今号の駄作 第一弾 侍魂

今号の駄作、ですか。最近めっきり丸くなったと言われるゲーム批評だけど、

なんか久しぶりに毒気&殺気満点の記事ですな。

こんな危険極まりない記事を書いたが最後、もう二度と陽の当たる道は歩けなくなるでしょう。

とりあえず私が人身御供の核弾頭として最初に特攻するので、後は頼んだぞ、みんな!片道燃料で発進!

……さて、記念すべき最初の獲物は「侍魂」です。あのポリゴンのやつです。

いや〜、久しぶりにカマしてくれましたね、新日本企画(旧名)!

AMショーで出た時点で「なんじゃこりゃ?」な出来でしたが、

製品版でも全然ヘボさが直ってないのには驚嘆しましたよ。

社運を賭けた「ハイパーネオジオ64」とかいう新ハードを使った作品がこんなんでいいのでしょうか?

こんな駄作を筐体とセットで買わされたロケーションの怒号層圏が聞こえてきそうです。パグナパグナ〜。

今時「闘神伝」かと見まごうばかりのジャギジャギのポリゴンキャラ。

操り人形の如きぎこちないモーション。キャラクター全員に凶悪コンボを用意するという

華麗なバランス調整。斬新な新システムのはずのスタミナゲージが単なる足枷にしかなってない等々……

ゲーム内容も申し分ないほど底抜け失敗作に仕上がっております。ベノムストライク。

「新ハードとポリゴン技術の実験のための作品」と言えなくもないですが、

お金を出してプレイするユーザーにとっては迷惑この上なしです。

ゲーム中に突然キャラがぬいぐるみになったり、映画「シザーハンズ」をパクったり、

千葉○子が偉そうに自伝を出したり、テリー・ボガードの声を少年隊のニッキがあてるくらい迷惑です。

湾岸スキーヤー〜♪

思えば「サムライスピリッツ」シリーズは、第一作が最高傑作で、続編が出るごとに質がどんどん落ちてきています。

これは俗に言う「十三日の金曜日現象」(「エルム街の悪夢現象」でも可)な訳ですが、

ここまでシリーズが続いたのはやはりナコルル恐るべしといったところでしょう。

この方程式を用いると「ナコルル=ジェイソン」という答えが導かれる訳ですが、

そろそろナコ「ジェイソン」ルルさんを休ませてあげてもよいのではないでしょうか。

どうせ酷使するなら、「KOF」にナコルル出してはいかが?

カプコンだって「VS」シリーズにモリガン出したことだし。「世界観がうんぬん」とか言ってるようだけど、

じゃあなんでギースは生きてるのかしらン?

最後に、フォローするつもりではないのですが、私はSNKさまが嫌いな訳ではありません。むしろスキです。

秋葉原のサト○ムセンで「ミューテイションネイション」のROMカセットを買ってきたばかりですし

(ちなみに780円ナリ)、「メタルスラッグ2」は私の今年のベストゲームに決定済みです(本当)。

今後は「メタルスラッグ」シリーズに全力を注いでくださいませ、SNK様!

(文責 編集部・松井)


(※)下段避けの間違いだと思われます。

   

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