剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃 サムライスピリッツ新章 書伝侍魂


侍組・うりわり南 著

其の参


第十一話 運命(刀馬と命)   第十二話 凶影(命)  第十三話 朧(朧とリムルル)

第十四話 問答(覇王丸とナコルル)
  最終話 霹靂(蒼志狼と刀馬)


第十一話 運命


(老いぼれめ、戯れ言を吐きおって。……俺は俺のためにあいつを斬るだけだ)
 外では木々が風に騒めき、雨の匂いが強くなってきたようだった。
九鬼刀馬は嵐が近付いてくるのを感じながら、闇夜の帳に包まれた天幻城の回廊を歩いていた。
 刀馬は老人のためではなく、自分のために蒼紅一対の刀を揃え、九皇天昇流の継承者を名乗りたかった。
生まれた瞬間から『白子』として虐げられてきた彼は、この忌むべき紅い瞳ゆえに、人々の同情や嫌忌の眼にさらされてきた。
それらの口を封じ、己が最強であると認めさせる。――――彼はそのよすがを蒼紅一対の刀に見たのだ。
 紅き刀は養父を斬ることで奪ったが、もう一対の蒼い刀は憎き義弟・蒼志狼に渡った。
その間も、罪人である彼は放浪と無為の日々を過ごさねばならなかった。
この島へ来たのは、何かに導かれるものを感じてのことだったが、こうして蒼志狼と巡り会った今、それも腑に落ちる。
朧と出会い、離天京に君臨した今日までの全ては、蒼志狼と戦うこの運命、その歯車のひとつだったのだ。
(待っていろ、蒼志狼。お前を倒すことで、俺は最強になる)
 刀馬は憎悪に近い眼を暗黒の宙に向けた。そして、行く手に立つ人影を認めた。
「そこで何をしている、命」
 刀馬の声に吸い寄せられるように、闇からそっと歩み寄ってきたのは、紅い瞳の美しい娘であった。命。
類い希なる神がかりの力を持つために覇業三刃衆の中でも神事を司り、闇の巫女と呼ばれている。
「刀馬様、行かれるのですね。……蒼い刀の侍の元に」
 命は刀馬の顔を悲しそうに見つめた。
「お前に何の係わりがある」
「あなた様に災いがあるとの卦が出て、……でも、わかっています。もう止められないのですね」
 命は言葉を区切り、美しい顔を伏せた。
「あなた様の眼はもうあの災いの種、あの蒼い刃の侍に向けられている。私が出来るのは、あなたがこの運命の動きを変えられるのを祈るだけ。
 ……だから刀馬様お願いでございます、どうかご自愛を」
 声は小さくなっていった。ふん、と刀馬は鼻で嘲笑った。
「俺を神託ごときで命を惜しむ弱者だと思うか。俺の運命を作るのは神などではない、この俺だ」
 命を押し退けるように、乱暴な足音を立てて闇の中へと足を踏み出した。
命の影が一つ残された回廊には、雷鳴の音が風雲急を告げるが如くに轟いていた。……




第十二話 凶影


 太陽は翳り月は照り、邪を聖とするこの世界の中心であり、象徴。
 ――天幻城の最上階、幾重もの高みを誇る塔の奥、古代の神殿を思わせる空間であった。
そこで朧が印を結び呪を唱えている。
 高く低くうねる音律は、異国の呪。声は蓮台に供された炎に合わせて、空気をゆらゆらと揺らす。
「光集まれば、そこに影が集まるのは自然の理。……光は影と変わり、闇となりてわしの手駒となる。
それは大師様の御悲願をかなえる礎ともなる。……」
 独り言を吐いた朧の前で、祭壇とおぼしき壇上には、ひと振りの長剣が横たえられている。
「大師様の予言通り、今、紅き刀の剣士は動いた。
 ……これで奴が最強の名を手に入れれば、大師様の望まれた国家の礎のひとつとなるじゃろう。
……もう一つの礎はまだ目覚めん、……闇の巫女、命」


 同じ頃、命は天幻城の居室で、意識が遠くなるのをじっとこらえていた。
 時折、こうした異変が起きる。不思議な血を宿す自分を恐れ、故郷も養親も捨てて離天京に流れ着いてから、それはますます度を増した。
頭の奥から響く声を聞くと、意識が途切れる、その間、自分が何をしているか判らないでいる。
その声は今また、彼女の意識を消し去ろうとしていた。
 ――――わらわを解き放て。その力を、解き放て。……
 外からではなく、内から聞こえるその声は、ぞっとするような冷たさを含んでいた。
 声は回を重ねるごとに、よりはっきりと聞こえるようになり、彼女の意識を茫とさせる。
「……あなたは、誰なのですか。……」
 命は恐れに乱れる心を必死に抑えて、訊いた。
 ――――わらわは時の蛇。永劫の闇に堕ち、この世を無に帰す者。
「この世を……無に?」
 ――――思い出せ、我らの父より受け継ぎし課を。存分にその凶なる力を尽くすのじゃ。
 突然、視界で何か黒いものがふくれ上がり、自分を呑み込んでくるような錯覚に落ちた。
眼を醒ませば、その時自分は自分ではないものと化している、そんな気がした。
 命は、自分の意識をつなぎ止める何かを、己の内から懸命に探した。紅い瞳をした剣士の顔が浮かんだ。
異質の者として生まれながらも、己の力を信じる男。命は救いを求めるが如く、その男の名を呼んだ。
 刀馬様。……
 命の全身から力が抜けた。意識を失う時、自分の声を聞いたのを命は覚えている。
 自分の声は、命自身を嘲笑うような口調で、こう囁いたのだった。
「お前はしばし眠っておれ。……わらわがこの肉体を借り、この世を無に帰すまでな」




第十三話 朧


 ぶぉっ。闇の神殿、祭壇から生臭い突風が巻き起こった。
 障気か、風は渦を巻いて拡散すると、蓮台に燃えさかっていた火の一つをかき消した。
風が止むと生臭い空気が残り、のけぞっていた朧は、閉じた眼をゆっくり開けた。
「……ついに、目醒めたか。闇の巫女」
 朧はにたりと口元を緩ませた。その前では、今しがたまで祭壇に捧げていた例の長剣が消えている。
「刀馬に続いて、わしの手駒が完成したわい。いかにうぬの片割れが蒼志狼らを呼び、我らの目論見を打ち砕こうとも、あの二人に勝てる者などありはすまい、のう」
 空間の中央に置かれた蓮形の台から、ゴウと炎が大きく燃え上がった。
無数の火の粉は天井の一点で渦を巻き、かつて蒼志狼の姿を映し出した時のように、再び天に画像を描いた。
――――それは、アイヌの衣装を着た少女が、巨大な氷塊の中に閉じこめられて眠っている様子だった。
 朧は勝ち誇ったようにそれを見上げ、少女の画像に語りかけた。
「見ておるか、光の巫女よ。……身動きも取れず無念であろうのう。……じゃがわしは大師様に誓うたのじゃよ。
大師様の悲願を邪魔する者は、ことごとく殺すとよ。皆殺しにするとよ」
「朧様」
 全身に赤い斑模様を刻んだ女たちが、神殿に現れた。朧衆である。
「おうおう、蒼志狼とかいうこわっぱに、手痛くやられたようじゃのう。朧衆」
「面目次第もございませぬ」
 朧衆が口惜しそうな顔で平伏した。
「あの志士の小娘、やはり榊銃士浪に通じておりました。あと少しで追いつめましたところを。……」
「おのれ、忌まわしくは九葵蒼志狼。朧様。なにとぞ奴を討つことをお許しください!」
「ならん。この城を目指しておる者は蒼志狼だけではないわ。奴らすべてには、あの忌々しい光の巫女の加護がかかっておるはずじゃ。生かしておけば必ずや我らに災いとなる」
「光の巫女? それでは、二十年前よりあの祈りの塔で眠っているのは?」
「あれは片割れに過ぎぬ。光の巫女にはもう一人おる。もし何者かによって塔の封印が解かれ、光の巫女が二人揃えば、我らの闇の力とて勝てはすまい」
 朧衆の間に動揺が走った。朧は袖をひるがえし、ずんと音を立てて一歩踏み出した。
「消せ。すべて消せ。なんぴとたりともあの塔に向かわせてはならぬ。その上で我らは、この血に受け継いできた大師様の御遺志を果たさねばならぬわ」
 老いを感じさせぬ、聞く者の魂寒からしめる声を吐いた朧の気迫に呼応したか。ふっ、と蓮台の炎が一つ、風もないのに激しく揺れた。
 炎は一瞬でかき消え、辺りの闇は一際濃くなった。……




第十四話 問答


 わき上がった談笑の声に、蒼志狼は眼を醒ました。
 離天京外れの森の一角で火を起こし、しばし休んでいた。
鬱蒼とした枝葉の隙間では、空が藍色に暮れなずみ、木立の間は薄墨を流したように暗かった。焚き火の側で、迅衛門が振り返った。
「おお、お目覚めか。若」
 迅衛門の横には、一人の男があぐらをかいて手酌をしている。歳は五十を越えたか越えないか、頭から髷を落とした、筋骨たくましい剣客であった。
「紹介致そう。これは拙者の古くからの剣友で、覇王丸という者にござる」
 蒼志狼は覇王丸と呼ばれたその剣客を見やった。そしてその強さを一目で測り、知った。
さりげない、くつろいだ仕草の一つからも隙が見られない。蒼志狼は覇王丸というこの老剣客の中に、俊敏な爪を隠し持つ巨大な老獣をはっきりと見た。
「ほう。お前さんが、迅衛門が手塩にかけて育てた若頭か。やはり敵持ちか?」
 覇王丸は蒼志狼を見た。吸い込まれるような強い眼光に、蒼志狼は内心狼狽した。
 この初対面の老剣客が、蒼志狼が離天京に来た真の理由、――――義兄から流派継承者の証たる紅い太刀を奪い返すこと、を知っているはずがない。
また、迅衛門も喋るはずがなかった。
「何故それを?」
 訝る蒼志狼の前で、覇王丸は杯に口をつけた。
「幕府方隠密の間に伝わる九皇天昇流、その当主が養子に斬られて刀を奪われたという噂は山でも聞いている。

 それにお前の眼。……人を長年仇とつけ狙う者には、命を命とも思わん独特の翳りがある」
「奴は俺の親父を斬った。奴を斬れば俺は最強になれる」
「最強か。そいつぁ、一人斬るだけでそうそうなれるもんじゃねえぜ。
 だいいちこの離天京で仇とやらを斬るまでですら、お前さん、生きてられるつもりかな?」
 蒼志狼は黙った。覇王丸も黙って薄く笑いながら、蒼志狼を見据えている。心の奥まで見透かされそうな、不思議な眼だった。
沈黙の間に雷鳴が差し挟まれた。
「怒りは心を翳らせる。心が翳れば水が月を映さなくなるように、敵が見えなくなる。
 ――――最強を目指すならまず生き残ってみろ、蒼志狼。
 闘うたびに心を無にして当たれ。次にどう動けばいいかは敵の動きで知れる」
 黙っている蒼志狼の前で、覇王丸は構わず立ち上がった。
「覇王丸、もう行くのか」
 迅衛門が戸惑いながら訊いた。
「ああ。――――蒼志狼、俺はある娘を捜しにこの島に来た。恐らく、生きていればお前とはまた会うことになるだろう。
 俺は強くなったお前が見たい。じゃあな」
 すたすた森木立の間に歩み去る覇王丸の足跡を見送りながら、迅衛門は苦い顔で言った。
「若、あの男は若いときから誰にでもずけずけ物を言う者ゆえ、気にされぬ方がよいぞ」
 蒼志狼は答えない。その眼は覇王丸が消えていった跡の闇を、いつまでも睨んでいた。



最終話 霹靂


「ワクワクしているぜ。この島には今、色んな奴らが集まっているようだな。光の巫女さんよ」
 離天京の外れ、草が密生する小高い丘に覇王丸は立っていた。
頂上には楠の大樹が一本立つばかりで、そこから下を見下ろすと、彼方まで続く離天京の町並みが一望できた。
 大樹の梢には、アイヌの衣装を着た長い髪の少女が立っていた。身の丈は一尺足らず。
明らかにこの世の者ではない彼女がかつて巫女であり、今は聖霊というものに変化したことを覇王丸は知っている。
「例えば九葵蒼志狼。この戦いが、あいつにも最強となるための答えを出すに違えねえ。
……ならば強くなったあいつを待つ間、真の侍とは何なのか、俺自身もその答えを出すことにもなろう」
 全てを見知っているような微笑みを崩さない少女の横で、覇王丸は離天京の真ん中を見下ろした。
その視線の先には、天幻城の黒々とした影が巨大な怪物のようにそびえていた。
「心の闇を抱いて生きてねえ者に、光なぞ差すはずがねえ。だが闇に呑まれれば人は終わる。
……あの城にいる闇の権化にも勝てねえぜ。――蒼志狼」



 青白い稲光が闇を走り、焚き火が、ゆらっ、と揺れて消えた。
 蒼志狼は首筋が痺れるのを覚えた。森木立の間を風が激しく吹いている。
だが、それとは違う空気の揺れだった。――――殺気。木立の向こうから、不自然に梢の揺れる音を聞いた。
「どうされたかな? 若」
 迅衛門が聞いた。
 蒼志狼は音も立てずに刀の鯉口を切った。迅衛門ははっとした。
蒼志狼の手元では九皇天昇流の継承者、片方の証である蒼き刀が、りりりりり、……と鈴虫の声のような唸りを上げだしている。
「迅衛門。……来るぞ」
 蒼志狼が鯉口を切ったのと、殺気が弾丸の勢いで飛んできたのは同時。右逆袈裟狙いである。
蒼志狼が刀を振り向きざまに払ったのと、上空から紅い太刀筋が唐竹割りに振ってきたのは同時だった。
稲妻に似た閃光が垂直に走り、白刃のぶつかる音が響いた。鳥の群が一斉に羽ばたく。
「殺気は囮か。そのやり口、親父を斬った時と同じだな、――――刀馬」
「貴様も剣士なら卑怯とは言うまい、蒼志狼。……ほう、それがもう一つの一子相伝の証『蒼煌』か」
 刀を弾き、蒼志狼は眼前から飛び退いた九葵刀馬を睨んだ。
闇に、刀馬の血管が透けて見えるほどの青白い肌が、紅い瞳が浮かび上がる。それは正しく剣鬼と見えた。
 両者がそれぞれ持つ紅い刀と蒼い刀は、今や互いに呼応するかのように激しく震え合っている。
「蒼志狼。その蒼き刀、俺が最強を名乗るために頂いていこう。覚悟はいいだろうな」
 蒼志狼は刀を握り直し、刀馬をじっと見据えた。その頭に、覇王丸の言葉が交錯した。
 ――――心を無にして当たれ。次にどう動けばいいかは敵の動きで知れる。――――
 そうして、もしもこの戦いを生き残れた時、蒼志狼は自分の中で何か途方もない道のりが始まる気がしていた。
それはうずまく胸の中の闇に一筋の光明を見たような、希望を感じさせた。
「……いざ、参る」
 蒼紅の稲妻が二筋、暗闇を切り裂いた。