序の章 神の瞳の降臨 起 3

ミウたちの村は、大河イウヌウの流れに面して存在していた。

イウヌウ、つまりタウイの人々がただ単に“河”と呼称している、タウイの国を横切る大河。

正確には、タウイの国そのものがイウヌウの流れを中心に成り立っており、

セパトの州都はほとんどイウヌウのほとりに位置しているのである。

穏やかな、鏡のような水面のイウヌウは、砂漠の只中に暮らすタウイの人々の、

文字通りの命綱だった。

村は、灌漑用の用水路をイウヌウの支流から引いている。

が、イウヌウの重要性はそれだけに留まらない。

イウヌウは定期的に氾濫する。

その氾濫が過ぎ去った後には耕作に適した肥沃な土が残り、

そこから収穫される穀物が、タウイを支えているのだった。

その恵み深きイウヌウのほとりを、ミウはほとんど小走りといった様子で歩く。

もう少し行けば、楽師たちの寝泊りしている小屋が見えてくるはず。

あまり訪れることのない場所だが、周囲に他に建物と言えるものはないのだから、

間違えようはなかった。

ミウは、ふと足を止めた。

一人の少女が水辺に立っているのが見える。

彼女は長髪を後ろに流し、額の周囲に組みひもを巻いていた。

おとなしそうな印象の少女だ。

ぱしゃん、と水音が響いた。

ミウが目をやると、水面に何かの影が浮かんでいる。

ばしゃり、とさらに派手になった水音と共に、水にぬめった何かが飛び出してくる。

それは鼻面を少女めがけて近づけてきた。

少女は微笑んで、掌にそれを受け止める。

次の刹那、それはまた水面に姿を消した。

 

なんだったの、あれは。

何かの生き物みたいだった。

ミウは眼を凝らしてもう一度水面を見たが、日の光に煌くイウヌウには

全く何の影も映っていなかった。

ふと、まだ水辺に立ち尽くしている少女の様子を見て、

村では見ない少女だということにやっと気づく。

旅の楽師の一人だ。

彼女は、琴を弾く女の横で、笛を奏でていた。

 

少女は、ミウの気配を感じたらしく振り向いた。

「ねえ!」

何と話しかければ良いのか、まるで考えていなかったことにミウは思い至る。

が、彼女は一瞬も迷いはしなかった。

「あんたたちは、都へ行くの?」

少女は瞬いた。

「ねぇ、タ=ウルの都に行くの? 

行くならあたしも連れて行ってほしいんだけど!」

勢い込むミウを、少女は瞬きしながら見つめている。

なに? まさか口が聞けないのかな、この子。

「あたしね、歌が得意なの。楽師になりたいの。楽師になって、

=ウルの神殿の巫女様の塔で歌いたいの、だから連れて行ってほしいのよ!」

「・・・・・・それは・・・・・・。」

鈴のような声で少女が言った。

「わたしには決められない。テルモに聞いてみないと。」

「テルモって? あぁ、あの琴を弾いてる人ね? 今、小屋の中にいるの?」

少女は首をわずかに傾け、ミウを促したようだった。

 

小屋の中に、一人の女が、肩に掛けて演奏する形の琴を携え座っていた。

調弦をしているようだ。

漆黒の、か細く長い髪はあまり量が豊かでなく、頭の周りに張り付いている

ようだった。

女は大きな、しかし落ち着いた色を湛えた眼をしていた。

連れの楽師の少女に続き、見知らぬ娘が入って来ても、

女の顔には全く何の動きも現れなかった。

「あの! あんたたちは、都へ行くの?」

ミウは女を見据え、先ほど少女に発したのと同じ問いを投げかけた。

「私たちの旅路が、あなたに何か関係あって? お嬢さん。」

女はやんわりと、ミウに問い返してくる。敵意は全くないが、

ことさら関心もなさげな声の調子だった。

「知りたいのよ!」

少女の時と同じように言葉を続けようとして、ミウは一瞬迷った。

まったく変わらない女の表情を見ているうちに、彼女の心には不安の感情が

萌し(きざし)たのだ。

今までの楽師たちのように、適当にあしらわれてしまう可能性もある。

しかしミウは、不安を振り払うように言葉を続けた。

「あたしは、タ=ウルの都で歌いたいんだもの!」

その言葉を受けた女の顔には、特別な変化も見られなかった。

何も言わず、女はミウの眼をじっと見つめている。

ミウは負けずに女の眼を見返す。

「都で歌いたい。ということは、あなたは自分の歌に自信があるのね?」

ミウは大きくうなずく。

「でも、どんなものかしら。歌が上手いという人はいくらでもいるわ。」

ミウはすぐさま言葉に反発した。

「だったら、ここで聞いてみてよ!」

ミウは、女の前で歌いだした。

以前に、別な旅の楽師の一団に誉められた歌だった。

村の女が、代々伝え聞き我が子に歌う子守唄。

旅の楽師たちが歌う歌の中で、彼女が覚えたものもあったが

、彼女にとって最も親しみがあるのは子守唄だったのだ。

母が数年前まで、幼い弟妹たちに向かって歌っていた歌。

母に弟妹たちの子守を頼まれた時、ミウがうろ覚えながらも何度も歌ってやった歌。

 

ミウの喉から音が途切れ、調べが辺りに溶け込むように沈静した時。

「素敵。」

ミウの背後に立っていた、笛吹きの少女がぽつりと言った。

心の中で、ぱっと喜びと誇りが広がる。

「なかなかのものね。」

表情は全く変わらないままだったが、座してミウを見ていた琴弾きの女も言った。

「でしょう?」

「それでも、あなたくらい歌える人はいくらでもいるのよ。」

女はそう言葉を続けた。

「何よそれ? だから連れていけないっていうの?」

ミウは力を込めて女を睨みつけた。

「あなたは、この村から外へ出たことはあって?」

女は言った。

「え?」

戸惑うミウ。

「な、何よいきなり。」

「どうやらなさそうね。無理もないけれど。」

女はそう言うと眼を伏せた。


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