序の章 神の瞳の降臨 起 3

女が、また口を開く。

「このメヘンがどういう具合にできているかは、知っているかしら? お嬢さん。」

「どういう具合、って?」

「あなたの村は、周囲の3つの村と一まとめに街とみなされている。

町はいくつか存在し、それを束ねているのはメヘンの州都。州都には、タ=ウルの都から派遣された州候がいる。

そうやって出来上がっている行政区(セパト)が、このタウイの国には全部で40あるの。

セパトひとつに、あなたのように歌の巧い女の子がたった一人いるとしても、国中だと40人になるのよ?

 そしてその中で、都メン=ネフェルで歌えるのは一人だけ。」

女はミウを眺めやった。

「たった一人だけなのよ。あなたが選ばれる保証はどこにもないの。」

「だったら・・・・・・だったらどうだっていうのよ!あたしは、この村から一歩も出ないで終わりたくないの!

40人に一人だとしたって、あたしが選ばれない保証だって、どこにもないでしょう!?」

女を睨み付けんばかりに見据えたミウは、ほとんど叫ぶように言葉を叩きつける。

「決意は固いのね? でもあなたのお父さんとお母さんは何と言うのかしら。話してあるの?」

「賛成しないのは知ってるわ。このまま出て行くつもり。あたし一人いなくなったって、

父さんも母さんも困らない。畑を耕すのは弟のネブカがやればいい。

お嫁に行くのだって、妹のキキやスザンがいるわ。」

言い募るミウを見ていた女は目を伏せた。

「タウイを旅するのは大変なことよ。日差しに肌を焼かれ、喉がからからになっても癒す事ができない日もある。

体を洗うことができない日も何日もある。」

目蓋が開き、深く底の見えない瞳がミウを見据えた。

「まともに食べることができない日も何日もある。あなたは食べられないことの辛さに耐えられるかしら?」

「我慢してみせるわ! あたしは都で歌い手になるって、絶対そうなってみせるって決めたもの。

競争相手が何人いても、旅がどんなに辛くても負けない!」

女が再び目を伏せた。

ミウの背後に立つ少女は、心配げに二人を見比べている。

 

女は再び、目を開く。

「そうね。私たちにも歌い手は必要ね。立ち止まる人の数が違うから。」

しばしの沈黙のあと、女は言った。

ミウの体の中で喜びが飛び跳ねた。

「じゃあ、連れて行ってくれるのね!? いつ出発するの?」

「明日。」

ミウの心は、やっと夢に向かって踏み出せる明日への希望ではちきれそうになった。

「明日、日が昇る前にここを立つわ。荷物は本当に必要なものだけにしなさい。」

「日が昇る前に、ここに来ればいいのね?」

「空が白み始めたら、あなたを待つことはしないわよ。」女はそう言うと、目の前のミウがいないもののように

琴の手入れを再開した。

 

ミウが小屋を出て、小走りに駆け去っていく音を耳にしながら少女は女を見やり、目を瞬きつつ語りかける。

「レネネト。いいの? あの子を連れて行っても。」

目をあげずに女は返した。

「その名で呼ばないで、と言ってあったでしょう。」

「ごめんなさい、テルモ。」

「この旅路は夢の集まりが悪いわ。紡いで織るにはとても足りない。

ここは“夢の言の葉”が集まりやすい場を作るために、歌があった方がいいわね。

あの子の歌はなかなかのものだし。」

「集まりが悪い・・・・・・。最高の”夢織り人”のテルモでも、なの。」

「“忌み子”が関わると、夢も恐れて逃げていくものなのかしら?」

女は微かに笑っているようだったが、少女にはその言葉が戯れなのか真剣なのか、わからなかった。

「そうだとしても私たちは、逃げる夢を捕まえて織り上げなくてはならない。

織られた夢に表れる徴(しるし)を読み取らなくてはならない。

このタウイの未来がかかっているのだから。」

少女は、女の言葉にこくりとうなずいた。

 

やっと、この村を出れる。

神殿の巫女さまと、神様のための歌い手になれる。

ミウの足取りは、彼女の気持ち同様弾んでいた。

望みのままの未来が確実なものになったと、少女は頭から思い込んでいた。

そうだ、バレないようにしなくちゃ。

父さんも母さんも、あたしが歌を歌うことをよく思っていない。

承知なんかしてくれるわけ、ないもの。

バレないように、こっそりと家を出なくちゃ。

今夜限りでさようなら、なんだ。

父さんと母さんの渋い顔にも。毎日同じことを繰り返す、聞き飽きた小言にも。

毎日毎日同じ農作業。一時もじっとしていない、弟妹たちの世話。代わり映えのない話ばかりする友達、

あたしのことを変わり者呼ばわりしてからかってばかりの男の子たち。

何もかも全部、今夜限りでさようなら!

家に帰り着き、いつものように母の食事の支度を手伝い、弟妹たちをなだめつつミウは思う。

みんな、あたしがどれだけ素敵なことをしようとしているのか知らない。

素敵な秘密を隠し持っている、その事実をミウは楽しんでいた。

 

夜もふけて、タウイの空にはオシリスの国に住まう義人たちの魂が光る。

息を殺し、ミウは寝床を抜け出る。

足音を思い切り忍ばせ、夜の闇に溶け込むような気持ちで家族の横たわる床を抜け、

まとめて隠してあった荷物を手にとる。

着古した亜麻の着替え数着と、いつも食事に使う器。荷物はそれだけだった。

その時、弟のネブカが寝返りを打ち声を漏らした。

ミウは一瞬、心臓が胸の中で飛び上がったように感じる。

むにゃむにゃと口の中で呟き、弟はまた静かに寝息をたて始める。

 

これが別れなんだ。

ミウは一間にそれぞれの場所を確保して眠る、家族の寝顔を見渡した。

おしゃまな妹スザン、ぐずることが多くいつもミウの後をついて離れないキキ。

どうしようもないわんぱく者だが、ミウが畑仕事に疲れた時、つまづいて転んだ時には

真っ先に駆け寄ってきてくれた弟ネブカ。

口数は少ないが実直に働き、時折妻や子供たちをいたわる父。父が声を荒げたことはほとんどなかった。

父と対照的に口数は多く、小言の数も多かったが、一日中家族の中で一番働いている母こそが、

一家を支えているということはミウには理解できていた。

頭ごなしに怒ることの多い母のことは、決して大好きとは言えなかったが、

今日まで暮らしを支えてくれたことには紛れもなく感謝している。

 

戸口に立ち、ミウは父母と弟妹の寝顔をもう一度見渡す。

(さようなら)

心でそっと、そう告げる。

足音を忍ばせ、音を立てぬよう細心の注意を払い、戸口から外の闇へと体を滑り込ませた。

彼女は家を振り返る。

両親と弟妹たちが眠る家。

ミウはそれきり、生まれ育った家を振り返ることなく、澱んだ闇の中へと踏み出して行った。

未来をつかめることを信じて。

 

そのようにしてミウが故郷の村を出たのは、12歳の夏のことだった。

その後彼女は二度と、メヘンの郷里を見ることも、家族の顔を見ることもなかった。


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