飛んで短槍を避けたフェンリルだったが、今度はシャールヴィの両手に握られた二本の短槍が同時に放たれた。

それらも避けたフェンリルは、

「ウルフ・クルエルティー・クロー!!」

必殺拳をシャールヴィ目掛けて放つが、

後方に飛びのいた少年は、拱門に繋がる壁に手にした槍を突き立てる。

槍が次々と壁の上方に突き立てられ、急ごしらえの階段となった槍の上をシャールヴィは身軽に駆け上がり、フェンリル目掛けて飛ぶ。

「ゲイルロズ・ウィールウィンド!!」

少年が投げ放った新たな槍が、炎に包まれて急降下した。



その場から飛び退いたフェンリル目掛け、さらに炎をまとった槍が連続で放たれる。

おかしい、とフェンリルは思った。

どう見ても大量に持っているとは思われないのに、短槍は尽きることなく放たれてきている。

さらに、炎は回転して竜巻のようになり、フェンリル目掛けて襲い掛かる。

「くそっ」

避けてばかりでは埒が明かない、と思った矢先に

いつの間にか目前に迫っていたシャールヴィの蹴りが叩き込まれた。



吹っ飛んだフェンリルを見て、着地したシャールヴィがにやりと笑う。

「僕の槍、デュランダルはいくらでも分裂するんだぜ。フロルリジ様の最強神器、ミョルニールの依り代にもなったんだ」

少年は短槍を軽く放り投げ、受けとめる。

「それにしてもお前、何なんだよ? てんで話にならねーな。スゴそうだから期待してたのにさ、それでもウルヴヘジンの血筋かよ?」

「……何?」

シャールヴィの言葉に、フェンリルは瞬いた。



In Walhalla


謁見室の扉が開き、ひとりの少女が入室してくる。

鮮やかなブロンドの豊かな巻き毛を持ち白いドレスをまとった、ヒルダの妹フレアである。

フレアは、かつて姉が掛けていた玉座・フリーズスキャルヴの前に歩み出た。

「お教えいただきたいのです、小さき巫女ヴォルヴァよ」

彼女は玉座の、黄金の小ぶりな槍を手にし、肩に白い猛禽を止まらせ、長毛の猫を膝に乗せている幼い少女に向けて声を張り上げた。

ヴォルヴァの膝に寝そべっていた猫が、頭を上げフレアを注視する。

「雷霆神の館に囚われた姉は、どうなるのですか」

少女が口を開いた。

「ずいしんたちは、いけにえをほっしています。しのぐんせんにささげるための」

フレアが目を見開く。

「……姉が犠牲(いけにえ)にされるというのですか」

「かのじょがぎせいにされれば、ふろるりじをとめられるものはいなくなります」

そう告げて、小さき巫女は口を閉じた。

その前に立つフレアの唇が、わなわなと震えていた。




謁見室を辞したフレアが向かった先。

彼女はその部屋のドアをノックする。

扉が開き、神闘衣をまとった神闘士が顔を出し、フレアを見て目を見張った。

「――フレア様」

「入ってもいいですか」

メラクのハーゲンにフレアは言った。




ハーゲンはフレアに椅子をすすめて、その斜め前に立つ。

二人の間に沈黙が流れた。

指輪の変が起こり、女神アテナの聖闘士たちによって鎮められ、ヒルダがワルハラ宮を去った後は、

二人は以前ほど共に時間を過ごすことなく、疎遠となっていた。

ハーゲンは一人修行に励み、フレアはあまり自室から出なくなった。

「ハーゲン」

フレアが口を開く。

「はっ。」

「子どもの頃……お姉さまにご本を読んでいただいた事があって。あなたも一緒にいたでしょう?」

「はい」

「私は今でも疑問なのです。雷霆神フロルリジは、人々を守る心優しい神だというけれど……」

フレアは幾分悲しげな眼をハーゲンに向けた。

「優しい神が一体どうして、あんなむごいことをしたのでしょう」

「はっ……。」

幼い日のフレアが、午睡の際姉のヒルダに本を読んでもらっていた時。

少年のハーゲンもその場に控えて、共に聞いていた。

それは北欧の神話の時代。神々と英雄の物語の終盤を彩る、哀しき出来事。

竜殺しの英雄・伝説のジークフリートが非業の死を遂げ、オーディーンを始めとする神々、アース神族によって葬儀が執り行われた時の挿話であった。

伝説のジークフリートの遺体は神々が用意した巨船に乗せられ、荼毘に伏せられたが、

その炎は、浄めの役割もある神器ミョルニールを持つ、雷霆神フロルリジによって浄められたという。

その時一人の小人がフロルリジの足元に迷い出た。

フロルリジは小人を殴り殺し、ジークフリートを火葬する火に投げ込んだ。

そう物語は語っていた。

「それは……小人の行為をフロルリジが無礼と受け取ったのではないかと」

自分でも釈然としないながらも、ハーゲンは答える。

フレアは納得しただろうか?

「結局のところ……私にはわかりかねます。しかし、何かそうするだけの理由があったのだろう、とは思います。一切語られておりませんが」

「今、アスガルドに復活したフロルリジは、最古の二神を従えアスガルドを滅ぼそうとしています。

それがフロルリジの本性だったのかもしれません」

俯きながらフレアは言った。

「ヴォルヴァ様の所に行ってきました。ヴォルヴァ様は、このままではお姉さまが最古の二神によって犠牲にされるとおっしゃいました。ハーゲン」

彼女は顔を上げ、ハーゲンを見つめる。

「どうかお姉さまを助けてください」

ハーゲンは直立不動の姿勢を取った。

子供の頃、幼いフレアの前でしたように。

「はっ。命にかえましても!」




In the front of the gate of Bilskirnir


「ウルヴヘジン、だと……?」

訝りつつ、その未知の言葉を繰り返すフェンリル。

「ヘイムダル様が言ってた。お前の生まれたフェンリル家ってのは、ウルヴヘジンの血筋だってさ」

フェンリルに駆け寄ってきたギングが、シャールヴィに向かって唸り声を上げる。

武器が絶え間なく降り注ぎ、ましてや同時に炎を使われたのでは、フェンリルとギングの連携も常のように上手くはいかない。

「ヘイムダル……。」

ワルハラ宮の協議で耳にした名前。神話の時代、オーディーンの随神であった二柱のうち一柱だという。

「お前ら神闘士の事なら何でも知ってるぜ。けど勘違いするなよ。要するに探り屋だからさ。神の格からして、フロルリジ様の足元にも及ばないんだ」

立ち上がったフェンリルは、シャールヴィを睨みつけ怒鳴った。

「ウルヴヘジン……一体何のことを言ってる!」

「アテナの仲間に植え付けられた殺人狂の血筋」

平然とシャールヴィは言った。

フェンリルは目を見張る。

「この間でかい地震が起きたのは、無能ジジイの無能代行者が、何とかいう南の海の神に操られたからだってな。

それよりずーっと昔、それと同類のアテナの仲間の……せんじん何とかいうやつがアスガルドに攻め込んできて、

その時オーディーンのジジイの配下を何人も洗脳した、ってヘイムダル様が言ってた。味方にも襲い掛かる殺人狂にさ。

その血筋が受け継がれたのがお前の家。だからお前と親が熊に襲われた時、一緒にいた腰抜け連中はお前らを見捨てた」

シャールヴィが嘲りの表情を浮かべ、フェンリルを見た。

「まぁそりゃそうか。下手に助けて殺人狂と関わったら、末路がどうなるかなんて知れてるもんな」

茫然と、フェンリルはその嘲笑を見つめていた。







In Bilskirnir


牢獄の中に坐しているヒルダは祈りを捧げていた。

その身体からは、清らかな小宇宙が発せられている。

彼女はその小宇宙で感じ取っていた。

アルベリッヒ家別邸で感じた、3人の皇闘士ラグーナたちの小宇宙による檻。それとは比較にならない強大な小宇宙の檻が、アスガルドを覆いつくしていることを。

オーディーンの随神として、神の國を建国したテュールとヘイムダルの小宇宙。

そしておそらく、オーディーンの息子である最強のアース神、雷霆神フロルリジの小宇宙も加わっている。

すなわち今のアスガルドは、地上から切り離されたも同然。

女神アテナにも、他の誰にも、助けを求める事は叶わない。

アスガルドで対処する他道はない。

そしてそれができるのは……雷霆神、随神たち、皇闘士に立ち向かえるのは、ただ北斗七星の神闘士たちのみ。



オーディーンが再びこの世界に戻してくださった戦士たち。

彼らが世界の窮地を救ってくれるはず。

今の彼女に出来るのは、そう信じてひたすら祈る事のみであった。

その時重く、ずっしりとした足音が響き、ヒルダは閉じていた目を開く。

何者かが固く冷たい石の床を踏みしめて、この牢獄へ向かってきているのだ。

鉄格子の前に巨大な影が映り、ヒルダは顔を向ける。

彼女の知っているシルエットがあった。

「トール」

そう呼びかけようとして、その魂がここにないと気づく。

今、彼の逞しい上半身を覆っているのは、仕立ての良い、フリンジのついた薄紫のチュニック。

腰に絞められた豪奢な輝くベルト、足には豪奢な毛皮のブーツ。

暗い色の豪勢な毛皮のマントを羽織い、氷のような冷たい目をした大男が鉄格子の前に立っている。

マントを止めている金色のブローチには赤メノウが使われ、皇闘士ラグーナたちのものとは違う紋章が彫りつけられていた。

赤メノウが模っているのは赤い実。彫り込まれた意匠が植物らしいと見て取ったヒルダは、

(ナナカマド……?)

そう見当をつけた。

男はその場に跪き、牢の中のヒルダに向けて、その大きな手を差し伸べる。冷たい目と強張った表情のまま。

その手を覆う、アルベリッヒ家別邸に降臨した際に装着された手甲……雷霆神の宝の一つ・ヤールングレイプルが光を放った。



その手を凝視して、ヒルダはトールであった男……今は雷霆神フロルリジの依り代となった男を見上げる。




前へ  次へ



 戻る