岩々の間から、巨大な拱門が聳え立っているのが見える。

フェンリルはギングと共に、門の前までやって来た。

見上げる目に、拱門の中央に彫られた紋章が映る。

両側に角持つ牡山羊、中央に5つの星と輝く星、上部に槌を配した紋章。

「行くぞ、ギング」

走り出そうと身構えたフェンリルの前に、

「!」

空を切って飛んできた、一本の短い槍が突き刺さる。

歯噛みして目をやった方角に、鎧を纏った姿が見えた。



ぱっちりした目の、可愛らしい風貌の少年。

彼はにやりと、その風貌に似合わぬ嫌な笑みを浮かべて言った。

「僕はラタトスクのシャールヴィ。北曜第四星、ルクバの皇闘士ラグーナだ」

「ラタトスク、だと?」

「アリオトのフェンリル、だよな? お前が皇闘士に倒される最初の神闘士になるんだぜ。光栄に思えよ」

フェンリルは少年を睨みつける。

同時に彼が名乗った神話の生き物の名前は、遥か過去の記憶を呼び起こしていた。




6歳の誕生日を迎えた時の事であった。

フェンリルは両親から、大型の豪華な絵本をプレゼントされた。

大きな暖炉と贅沢な調度品。壁には大型の絵が飾られた、フェンリル家の広い一室の中で、

ソファに掛けた母の膝に乗りつつ、子供のフェンリルはわくわくしながら絵本を開いた。

紅いドレスを纏った母が読み聞かせをしてくれる。

絵本には、神々の王オーディーンが治めていた國、神話の時代のアースガルズが描かれていた。

アースガルズの中心に聳え立つ宇宙樹、ユグドラシルに住む数々の生き物の姿。

天辺には巨大な金色の鶏、ヴィゾフニル。

梢には翼を羽ばたかせて風を起こすと言われる、巨大な鷲のフレースヴェルグと、その額に止まっている鷹のヴェズルフォルニル。

ダーイン・ドヴァリン・ドゥネイル・ドゥラスロールという名前の4頭の鹿はユグドラシルの若芽を食み、

根元には多くの蛇が集まっているという。

そしてユグドラシルの根が伸びた地の底に住むのが、悪い竜のニーズヘッグ。

まるで宇宙の動物園、のようにも思えた。

その中に、比較的小さな生き物がいた。

「これはリスのラタトスクよ、坊や」

母が挿絵を指さして教えてくれた。

「大きなユグドラシルの幹を、上に下にと駆け巡っているの」

リスさんは、ゆぐどらしるでなにをしているの?

そうフェンリルが尋ねた時、母は口を濁した。

その時、父が部屋に入ってきた。

「ラタトスクは、フレースヴェルグとニーズヘッグの間で悪口を媒介している」

父はフェンリルに向けて言った。

ソファに掛けている二人の所まで来ると、言葉を続ける。

「つまり梢に居る鷲と根に巣食う竜が仲違いするよう、常に告げ口しているんだ」

「あなた……」

母が困り顔になる。

「そんな事を子供に教えなくても、というのか? 甘いぞイングリッド。真実は真実として教えなくてはいけないだろう」

「あなたのおっしゃることもわかりますけれど……この子はまだ六つになったばかりなのですから」

「関係ない。フェンリル家の男は、心身ともに強くあらねばならないのだ」

「でも……」

「おそらく私の代ではもう起こらぬだろう。だが〇〇〇が成長した時、神闘衣が必要とされるような異変がこのアスガルドに起こらぬとは限らない」

父は母に続けて語った。

「お前も知ってのとおり、アスガルドには地上代行者に仕える宿命の名家が存在する。

フルドゥストランディ家、ディートリッヒ家、アルベリッヒ家だ。

これらの名家から伝説の神闘士が選ばれる可能性は大いにある。

だが我がフェンリル家は、神闘士が選出されることが運命づけられている家柄なのだ」

父は窓辺に歩み寄り、言葉を続けた。

「故にフェンリル一族の宗家たるこの屋敷は、神闘士の守護星である北斗七星の一つ、イプシロン星アリオトに対応して建てられている」

窓の外の空を見上げた父は振り返り、フェンリルを見据え言った。

「つまり〇〇〇。もし将来アスガルドに異変が起これば、その時お前は必ず神闘士として選ばれるのだぞ」




父の言葉が、記憶の底から蘇ってくる。

今の今まで、脳裏から完全に拭い去られていた言葉。

ふと、一つの事実に気づいてフェンリルは愕然とした。

自分の名前が思い出せない。

父と母が呼んでくれていたはずの、自分自身の名前が。

「お前、犬ッコロの群れがいなけりゃ、何にもできない奴なんだってな?」

皇闘士ラグーナシャールヴィの嘲る声で、フェンリルは我に返った。

「北の人喰い狼を舐めるな!」

叫び返して構えを取る。

「トールはどこにいる!」

「トール?」

きょとんとしていたシャールヴィの顔に、再び嘲笑が浮かんだ。

「ハッ! もうどこにもいやしないさ、そんな奴」

続けて彼は言う。

「そいつはフロルリジ様の入れ物だよ。それ以外存在価値なんかない。入れ物以外ゴミなんだからいらないだろ」

ゴミ、という言葉をシャールヴィはことさら強調した。

フェンリルは、

ぎりぎりと唇を噛む。

腹の底からの怒りが身を焼いていた。

「フロルリジ様はもうすぐラグナロクを起こして、この薄ら汚くてつまんない世界を滅ぼすんだ」

シャールヴィが目を輝かせつつ言う。

「その後は新世界ギムレーが地球に取って代わって、フロルリジ様の永遠の王国になる!」

少年は、手に短い槍を握っていた。

「お前はその邪魔になる神闘士の一人だから、ここで死んでもらう」

槍がその手から、フェンリル目掛けて投げ放たれる。
 




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