天花一剣客異伝〜いろは〜 弐 |
「レラお姉さん〜。」 タムタムの肩の上の子供・劉淑鈴が、ぱたぱたと足をばたつかせながら言いました。 「そういうことって〜、どーゆーことでスか?」 レラは、いろはが旦那様と呼ぶ若者へ視線を向けます。 「私に言えるのは、アイヌプリ(アイヌの慣わし)ならこういう場合、あなたは彼女に自分で細工を施したメノコマキリを送る。」 続けて、いろはを見た彼女は 「そしてアイヌプリなら、あなたは彼に自分で織ったルウンペ(上着)や、テクンペ(手甲)を送るの。」 と、告げました。 「え? あいぬぷり・・・・・・です、か? よくわかりませんけれど、」 レラの言葉に目を瞬いていたいろははそこで突然、何かに気づいたように大きな声をあげました。 「そう言えば私、旦那様のお着物はつくろっても、新しいお着物を仕立てたことはありませんでした! とんでもないことです! 旦那様にお仕えするものとして、あってはいけないことです!」 彼女は若者を振り返りました。 「旦那様、戻りましたらいろはは早速、旦那様のために新しいお着物を仕立てさせていただきますね!」 「い、いろは、そんなに慌てなくていいから・・・・・・第一、新しい反物を買うお金なんてないし・・・・・・。」 「大丈夫ですよ、旦那様! いろはにはとっておきの手があるのです。 戻りましたら必ずお着物をお作りしますので、作っている間は絶対に見ないでくださいね?」 いろはに顔を覗き込まれて、若者は多少どぎまぎした様子です。 「え? そ、それはいろはがそう言うなら僕は見ないけど・・・・・・。」 「そうおっしゃっていただけると嬉しいです。決して旦那様をお疑いするわけではないのですが、 約束をお破りになっちゃ、嫌ですよ・・・・・・?」 若者の顔をじっと見つつ、いろはは両手で彼の手を取ります。 二人のやり取りを見ていた、タムタムが言いました。 「れら。スルトコノ二人、イズレハ夫婦トナル仲カ。」 「あ、そっか〜、ケッコンする前に贈り物をするデスね?」 「ええええっ!?」 またもいろはが素っ頓狂な声を出し、彼女に手を握られていた若者は仰天して目を丸くします。 「ち、ちが、違います! わた、私は旦那様と、け、結婚なんてそんな大それたことは!」 「はれれ? じゃあ〜、いロハさんはダンナ様のこと、キライなんデスか?」 「とんでもありません!」 タムタムの肩の上の子供の言葉に、いろははすぐさま返しました。 が、彼女は次の刹那、寂しそうに俯きます。 「でも・・・・・・いろはには、決して旦那様とは一緒になれない理由があるのです。 決して、あってはならないのです・・・・・・。」 突如いろはは若者から顔をそむけると、 「申し訳ございません、旦那様!」 その場から飛び立ちました。 まさしく飛ぶように走る彼女の姿はみるみる、その場の全員の視界から見えなくなりました。 若者は、あまりにも突然な成り行きに呆然としていましたが、 「いろは!」 正気づくと、大声で姿の見えなくなった彼女の名前を呼びました。 しかし、どれほど呼ばわってもどうしようもありません。 若者は、その場にへたり込んでしまいました。 どうして、どうしてなんだと小声で呟くのが聞こえてきます。 タムタムはレラに話し掛けました。 「れらノ言ウ、”さるるん・ちかぷ・かむい”ガ、アノ娘ノ本体デアルガ故ニカ。」 「それにしても唐突な行動ね。」 レラが答えます。 「ダメでス!」 タムタムの肩の上に腰掛けていた、大陸の衣装をまとう小さな少女が叫びました。 「好きなひとを置いていって悲しい思いさせちゃ、いけないのデス。 ね〜、たもたもサンも〜、レラお姉さんも〜、そう思わないですカ?」 「ソウカモシレナイガ。」 子供は、ひょいとタムタムの肩の上から飛び降りると、とことこと若者の側に走り寄りました。 「旦那さまの人、泣かなくってもイイデス。淑鈴が、すぐいロハさんを連れ戻してきてあげマスね〜。」 座り込んでいた若者が、子供を見つめます。 「安心してクダサイ!」 にっこり若者に笑いかけた、次の刹那。 子供の姿は土埃だけをその場に残し、既に見えなくなっていました。 タムタムと若者は、驚きで目を真ん丸くしています。 幼子の足とはとても思えない、尋常ではない速さで、まるでその場から子供が消え去ってしまったかのようでした。 「・・・・・・アノ子供・・・・・・何カノ精霊ノ加護デモ、受ケテイルノカ?」 「あの子の故郷では、”神行術”と言うそうよ。」 レラの声にタムタムが目をやると、彼女は早くも狼シクルゥに騎乗していました。 「良クワカラナイガ・・・・・・デハアノ子供、アノ年齢デ既ニ一人前ノ術者トイウコトカ。」 「サンタクル(大陸の人間)にとっては、”カムイに最も近づいた人”、ということになるのかしらね。」 そう呟くとレラは、 「行くわよシクルゥ!」 狼に号令します。 蒼銀の狼は、主人の声にまっすぐに鼻面をあげ、 子供の走り去った後を軽やかに追いました。 木立ちが続くとある川辺に、いろはは腰を降ろし、先ほどからため息を繰り返していました。 「いーローはーサーンー。」 そこへ遠くの方から、呼び声が聞こえてきます。 いろはがそちらを見やると、 次の刹那に土埃と共に、彼女の前には先ほどの子供が立っていました。 「まあ!」 いろはは目を丸くします。 人の姿にそぐわない、山の獣もはるかに通り越した速さでした。 「帰りマショ? 旦那さまの人が心配してるデス。」 にこりと笑った子供に、いろはは向き直ります。 「ええと、あなたはさきほどの、鬼のような姿の人が連れていたお子さんですよね? とっても足が速いのですね。」 彼女は目を瞬き、言いました。 「これほど速い人間の子供は、始めて見ました。」 「えへへデス〜。それじゃあ、いロハさんは淑鈴と帰るデス。」 子供はいろはの衣装の、鳥の翼の様に広がっている白い布地を両手で掴むと、くいくいと引っ張ります。 「旦那さまの人が待ってマスよ〜。」 「駄目です! 」 いろはは何度も首を振ると、子供の布地を掴んでいた手をそっと引き離しました。 「いろははもう、旦那様にお仕えすることはできないのです。」 「どーしてデスか?」 「・・・・・・私は、旦那様には似つかわしくないですから・・・・・・。」 「それってー、いロハさんが本当はタイセンのケショウだからですカ?」 「ケェンッ!」 驚いたのか、彼女はまるで鳥のような声を出しました。 「そ、それは・・・・・・。」 「タイセンのケショウって、淑鈴よくわかんないデスけどー、いロハさんと旦那さまの人はー、 普通にお話もしてるしとっても仲良しデスー。だから大丈夫デスよー。」 「・・・・・・ええ、私は旦那様にはとてもよくしていただきました。ですが、」 いろはの声が小さく、弱々しくなります。 「所詮私は、鶴の化身でしかありません。旦那様のお側に、いつまでもいるわけにはいかないのです。」 「でもー、旦那さまの人がいちゃダメ! って言ったんじゃないデスよね?」 「そうですけれど、人と鶴が一緒に生きていくことは・・・・・・少なくとも、私は結果として旦那様を欺くようなことを してしまったのですから。」 ぱちぱちと目を瞬いていた子供が、明るい声で言いました。 「いロハさんは、どーして変身してるデスか?」 「あの・・・・・・そのことは、あまり大きな声で言わないでくださいね。」 いろははおずおずと、声を小さくして子供に語りかけました。 「はいデス。」 子供はこっくりとうなづきます。 「この姿になったのは、私が鶴の姿だった時、旦那様に助けていただいたご恩返しをするためです。旦那様の喜ぶことを、 沢山してさしあげたかったからです。大好きな人が喜んでくれると、嬉しくはないですか?」 いろはは子供の顔を見つつ、僅かに首を傾げました。 「嬉しいデス! 淑鈴もそれわかりマス! 淑鈴ね、お母さんに言われました。好きになった人に尽くしなさい、ッテ!」 子供の笑顔は、さらに明るくいっぱいに広がりました。 「その人がー、いつも気持ちよくいられて、気持ちよくしたいお仕事ができて、 淑鈴と一緒にいるときほっとできるように心を砕きなさい、って。」 「そうですよね。それって大切なことだと思いますよ。」 いろはは、にっこりと淑鈴に笑いました。 「でも、淑鈴が尽くしても感謝しない人、淑鈴を好きになってくれない人に尽くしてはいけません。 お母さん、そうも言ってました。」 いろははその言葉に、指を頬に当て首を傾げます。 「そうかもしれません。人間にはそういう人もいるのでしょうが、 旦那様のような優しい方にお仕えできて、いろはは幸せだと思わなくてはいけませんね。」 「お父さんも、とってもとっても優しいデス! お母さんもね、お父さんにたくさんたくさん、あいしてもらったって言ってマシタ! 」 満面の笑顔で子供は続けます。 「だからね、淑鈴、大きくなったらお父さんとケッコンするです。」 「駄目ですよ! お父さんとは結婚できません!」 いろはの口調が強くなりました。 子供は目をぱちぱちさせていろはを見返します。 「どうしてですカ?」 「お父さんは、つがう相手ではないからです。」 「つがう、ってなんですカ?」 「結婚することです。お父さんは、もうお母さんとつがってあなたを生んでいるのです。 だから、あなたがつがう相手はお父さんではないんですよ!」 子供の肩に手を置いたいろはの声には、真摯な響きがありました。 淑鈴は小首を傾げます。 「でも、お母さんもうここにいないです。だから淑鈴はー、お母さんの代わりにお父さんとケッコンするデス。」 「お父さんとつがうのは、してはいけないことなのです! あなたは大きくなって、お父さん以外につがう人を探さなくてはなりませんよ!」 「え〜。」 と、淑鈴は不満げな声を出しましたが、またすぐに笑顔になりました。 「でも淑鈴、お父さん以外にケッコンする人いらないです。」 「ああ・・・・・・どうしたらいいんでしょうか。」 いろはは、大きくため息をつきました。 ふと前方を見た彼女は、木立ちの影に人の姿を認めました。 その傍らには、すらりとしていながら頑丈な狼が寄り添っています。 追ってきた子供に追いついたレラは、木に身体を預けていろはと子供のやり取りを見ていたようでした。 いろはは突如立ち上がります。 「そこのお方! ええとぉ、お名前は確か、れら、さん、でしたよね?」 木に寄りかかっていたレラにそう呼びかけるが早いか、いろはは彼女に駆け寄りました。 レラは冷めた目でいろはを見やります。 「助けていただけないでしょうか? 私、どうやって淑鈴さんを説得すればいいのかわかりません!」 「説得? 必要ないでしょう。」 と、レラは答えましたが、 「いいえ必要なことです! このままでは、あの子は人として道を誤ってしまいます! 見過ごすわけにはいきません!」 いろはは息巻いた様子さえ見せ、きっぱりと断言しました。 そんな彼女を前にしたレラは、ふぅ、と軽くため息をつきます。 「幼いから、親愛の思いと恋心が一緒になっているだけでしょう。気にするようなことじゃないわ。」 「でも、万が一にも間違いがあっては大変です!」 「子供は成長する。いつまでも幼いままではいられない。あなたがしているのは余計な心配よ。」 抑えた声の調子ながら、ぴしゃりとレラは言いました。 「・・・・・・なんだか、断言されてしまいましたね・・・・・・。」 「それよりもあなたはどうするの。」 「え?」 「旦那様、とあなたが呼ぶ男と、このまま別れるつもりかしら。」 「それは・・・・・・。」 「少なくともあの男は、あなたに突然去られて傷ついていたわね。」 「そんなっ。」 レラの冷めた視線が、まっすぐにいろはを見据えます。 「あなた自身がサルルン・チカプ・カムイであっても、あなたは誠意を以って彼に仕えた。 そして彼もそれを受け入れ感謝した。 私の見たところ、あなたと共にあることが彼にとっての幸せ。 あなたが去ることが彼にとっての不幸。」 「でも・・・・・・でも、私は所詮は・・・・・・。」 「アイヌメノコ(人の女)であろうとサルルン・チカプ・カムイであろうと、 多分彼はあなたを必要としている。」 レラの静謐な声が、いろはの涙声を遮りました。 「もう一度彼に逢って、その上であなたが決めなさい。 留まるのか、去るのかを。」 レラはいろはの隣を通り過ぎ、 側まで来ていた子供、劉淑鈴の前に立ちました。 「ホントにいけない子ね。勝手にふらふらしないの。」 「ごめんなさいデス。」 淑鈴は大人しく、レラに頭を下げました。 二人の声を後ろに、いろははぼんやりと呟いていました。 「旦那様・・・・・・いろはは、お側にいてもいいのですか・・・・・・?」 そして今、いろはは、若者の目をじっと覗き込んでいます。 「お側にいても、いいのでしょうか。私は・・・・・・。」 「お願いだよ。これからも僕の側にいておくれ。」 若者はその掌に、いろはの手を包みぎゅっと握り締めました。 「私は人ではありません。旦那様にお助けいただいた鶴なのです。それでも・・・・・・」 「帰ろう、いろは。さっきも、言ったよね? 僕はいろはが何処の誰だろうと構わない。 この先ずっと一緒にいたい!」 しっかりと抱きしめられて、 いろはの目からは、涙が後から後から流れ出していました。 「ゴゼンジアイニハ、モウ出ナイノカ?」 と、タムタムは鶴の化身の女に問いました。 「はい、私にとっては旦那さまのお世話をすることの方が、御前試合で刃を交えることよりも大切ですから!」 いろはは満面に、嬉しそうな笑みを浮かべています。 彼女は御前試合の会場へ赴き、試合の判定をする黒衣の者に棄権の意志を告げ、承諾されて戻ってきたところでした。 そして、若者と共に奥州に帰る支度を済ませたところでした。 「旦那様、お江戸の町でいい食材をたくさん見つけたんですよ! 道中のお宿で、さっそくお料理しますから! どうか楽しみになさっていてくださいね?」 そのように、彼女は楽しそうに若者に話しかけています。 「いロハさんも、旦那さまの人もお元気でー。 と、淑鈴は袖に隠した手を大きく振りました。 「はい、ありがとうございます! 淑鈴さんもタムタムさんもお元気で。レラさんにもご挨拶したかったのですけれど、 いらっしゃらないようですね。少し残念です。ところでひとつお聞きしたいのですが・・・・・・。」 と、いろはは長身のタムタムを見上げます。 「ム? たむたむニカ?」 「はい。レラさんとはどういったご関係なのでしょうか?」 「アミ?」 タムタムは仮面の下で、何度も瞬きしていました。 「たむたむ、神ノ戦士。れらモマタ、神ト通ジル力持ツ戦士ダ。関係トイウホドノコトハ・・・・・・。」 妙に口ごもっている彼を見ていたいろはは、一歩前へ進み出ます。 「私、先ほど御前試合の審判をしている黒子の方に言われたことなのですけれど。」 と、彼女は胸の前で両の拳をぐっと形作りました。 「大丈夫! おーけーですよ! 自分を信じてごう、です!」 「・・・・・・アイ?」 タムタムは意味がわからず首をかしげ、若者もいろはの行動に怪訝そうな表情でした。 「おーけーデス〜。」 果たして意味がわかっているのかいないのか、淑鈴が周辺を小走りにはしゃいでいました。 その後。 「いろは・・・・・・あの大男にどうしてああ言ったんだい?」 若者は帰路を共にしつつ、いろはに尋ねました。 「あの人は、レラさんを見るときに旦那様と同じ目をしていたのです。」 「え?」 いろはは立ち止まります。 「私は、レラさんに諭していただいたおかげで、旦那様に本当のことを言う勇気が持てました。 ですから・・・・・・ご恩返しになるかはわかりませんけれど、レラさんにも今の私のように幸せになっていただきたいのです。」 そう言うといろはは、隣を歩く若者に優しい笑みを向け、再び共に歩き出しました。 その頃、レラは劉雲飛と逢っていました。 「娘のことで手間をかけたな。」 老爺の鋭い双眸と、風の巫女の冷めた双眸とが向かい合っています。 「仙の術は妄りに使うものではないことを、まだ理解しておらぬようだ。言い聞かせておく。」 風が二人の間を渡り、白髪と黒髪が共になびきました。 「ところで、儂に何用か。」 「あの子の母親のことよ。」 レラの静かな声が告げました。 「あなたには、知っておく義務がある。」 「・・・・・・そうか。」 劉雲飛は、レラを見据え呟きを漏らしました。 「あれは、やはり夢ではなかったか。」 風の音が、風に揺らされる葉のざわめきが、再び二人の間を渡っていきます。 ぽつりと、老爺の唇から言葉が零れました。 「・・・・・・妻に罪はない。無論淑鈴にもない。 元を正せば、すべて儂の負うべき咎。 過ぎ去った刻は戻らぬが・・・・・・この老骨が闇キ皇に魅入られることさえなければ、 娘も人として世に生きていただろう。」 瞼を閉じた雲飛に、 「彼女はこう言っていた。」 アイヌの巫女の化身であるレラは、言葉を告げました。 「このことだけは信じていると。 あなたが、娘を幸せにしてくれることを。 そしてあなたの娘が、 あなたを幸せにしてくれることを。」 レラは雲飛に背を向けます。 「償いのためにこそ、幸せを得なくてはいけないのかもね。 殺めた人々の幸せを思うために。」 娘は狼シクルゥを従え、その場から歩み去りました。 その後姿を老爺は、じっと見ていました。 「貴女にもいつかわかるでしょう・・・・・・。」 レラは思い出していました。 淑鈴という少女の、母の言葉を。 あの時、彼女の前に現れた、遥か千年の昔に儚くなった人の、魂の言葉でした。 「何にも増して愛せる人が現れたなら。」 巫女の力を宿すレラに語りかけながら、その女性は穏やかな笑みを浮かべていました。 「私にとって、 「その人はあなたを殺めたのでしょう。」 「ええ。でも私は郎を憎みはしません。千年の間、 そう言って、その女性は目を伏せました。 レラは、その千年の時を経た魂に、 もはや人とも、世を彷徨う 常の冷めた言葉で。 「私は大自然を守るために生まれた、カムイの巫女の化身。 女の幸せは望まない。 あなたのように、ただ一人の男のために生きる道は選ばない。」 穏やかな優しい笑みは、何も変わらずレラを見つめています。 「私も、貴女の年頃にはそう決意していました。男の為に生きる女にはならないと。 柔らかく、その女性の魂は言いました。 「こうするのもあのひとのためではなく・・・・・・あのひとを愛する私自身のために為しているに すぎないのかもしれません。それでも私は、これだけは信じたいのです。」 幸せ、とレラは小声で呟きました。 彼女に身を寄せる狼シクルゥの頭を撫で下ろしつつ、レラはほんの微かに笑います。 「アイヌのトゥスクルは、レプンモシリの霊媒とは違う。死者の言葉を伝える役目はないのにね。」 風が、彼女の髪を、首に巻いた飾り布を、はためかせながら通り過ぎて行きました。 |