叢雲風華
〜わっさいびーん  


「我が名は天草四郎時貞」

魔性の者が朗々と、声を響かせる。

「今こそ太平の世に、破壊と滅亡を!」

その掌の上には、七色に輝く大きな宝玉があった。

リムルルの体が、ぶるぶると震える。

「ウェン……カムイだ……」

「俺の目に間違いがなけりゃあ」

場違いなほどに平然とした、慶寅の声。

「アイツぁ体が透けて見えてるし。つまり人間じゃねえ、ってことかな?」

「怖いよぉ、姉さまぁ……」

小さな声で呟いたリムルルの肩に、ぽんと置かれた男の手。

「大丈夫だ」

顔を上げたリムルルに笑いかけた慶寅はさらに前へ、天草四郎時貞と名乗った亡霊の前へと進み出た。

傍目にはリムルルの前に立ち塞がる盾になったかのようだった。

「天草さんとやら。とりあえず、そこのお嬢さんを離してやっちゃあくれないかい?」

そののんびりとした声の調子に、天草は怪訝な表情を浮かべた。

そして高く笑う。

「これは異なり、汝は己の置かれた状況を弁えておらぬのか?」

「なかなか楽しい状況になったとは思ってるぜ? ただ妖滅師さんがアンタに囚われになってる、ってのを除けばな」

「戯けが。汝ごとき木偶の戯言に、我が従う謂れなどない」

「そうかい。じゃあ、こいつに訴えるしかねぇか」

言いつつ、慶寅はその腰帯に差し込まれた太刀の柄をぽんと叩く。

「慶寅さん。魔性の者を相手に勝算はあるのですか」

塚を握った慶寅に、夢路が声をかける。

「いや、特にねぇけどな。娘さんが酷い目にあわされてるのを見過ごすわけにゃいかねぇだろ」

一方。

愕然とした表情で、眼下の天草を凝視していたミナは呟いた。

「なんて邪悪な気……」

"美神華"の枝に全身を拘束されつつも、ミナは天草を睨みつけ叫んだ。

「お前はいったい何と契約して、その力を得たの?」

天草は、悠然とミナに一瞥を向ける。

「全ての闇、邪気と負の念を統べ、人どもが神と呼ぶ……」

「……まさか」

「汝如き吹けば飛ぶような雑魚に、あのお方の名は呼べぬ」

「暗黒神が……活動を開始した?」

愕然と呟いたミナは、天草をきっと睨みつけ叫んだ。

「お前はこの世にあってはいけないモノ!」

「ほほぅ」

天草が妖しき微笑を浮かべて、ミナを流し見る。

「己の立場を弁えて口を開くがよい、木偶めが」

天草はその右手を空へ差し伸べ、ぐいと拳を握った。

ミナに絡みついている"美神華"の枝々が突如蠢き出し、素早くミナの首に巻き付きぐいと締めあげる。

その強い圧力に、声を出せなくなったミナが喘ぐ。

「そのあたりにせよ。死なせては元も子もない」

天草はそう、"何か"に号令をかけたが。

首に巻き付いた枝がますます締め上げを強め、ミナは呼吸がままならない状態に陥っていた。

「……か……っ!」

「……我の手駒の分際で、言うことを聞かぬか?」

再び差し伸べた拳を、天草は握り締める。

途端に枝の動きが止まった。

「汝の"殺劫"に裏打ちされた強大な憎しみの力、役には立つが分を超えることは許さぬ」

「あっ!」

魔界の巨大植物"美神華"の内部に映る小さな影を認め、リムルルは声をあげた。

「我が野望の為に、その木偶の"滅する力"は必要不可欠ぞ」

ミナと違い全身を絡めとられてはいなかったが、まるで鎖をかけられたかのように四肢を枝に拘束されている小さな姿。

「あそこだ!」

叫んだリムルルが指した方向を見た慶寅と夢路は、

"美神華"の内部、ミナの下方に拘束された大陸の衣装をまとう子供……劉淑鈴の姿を見る。

「……おいおい」

「天草と名乗る魔性の者……妖滅師さんのみならず、あのお嬢さんも……?」

劉淑鈴はリムルル達が竹藪で目撃した時と同じ、憎悪を漲らせた目と姿のままだったが、

今はその顔一面に、苦悶が滲み出ていた。

その足先は絡みあった"美神華"の枝に埋もれて目視できない。

ずるずると不気味な音を立て、たっぷりとした袖口から"美神華"の枝が出入りしている。

異様な光景に、リムルルはただ目を見張るのみで一声も発する事ができなかった。





狼が、疾風の如く地を駆け抜ける。

竹薮は瞬きの間に、後方へと消え失せた。

その頬を駆け抜ける風の中、レラは語りかける。

彼女とその身を共有している……というより本来の持ち主である、アイヌの巫女にして戦士、ナコルルの意識に。

「オマンルパラ(冥土の入り口)が開いたわね。異様に強大な邪気が感じられる」

(間違いなく、大自然にとって最大の敵となる存在です)

ナコルルの意識がそう告げる。

レラは思う。

(まだ未熟なのに、リムルルはそいつと対峙しなくてはならなくなったのね……)

急いで、とシクルゥに告げたい気持ちをレラは抑える。

限界まで狼が努力をしている事は、充分に伝わって来ていた。

ふぅ、と小さく息を吐いてレラは己を律する。

今一人の大切な存在に、告げなくてはならないことがあるから。

「ナコルル。ひとつ言っておくわ。あなたはその甘さを断ち切った方がいい」

ナコルルの問いかけるような意識を、体を同じくするレラは感じ取る。

「魔と戦うのに、今の脆弱な心のままでは何もできずに死ぬ羽目になるわよ。さっきの男の事もそう」

(……劉雲飛さんのことですか)

「あの男と刃を交え、勝つ。意味するところはわかるわね」

シクルゥが森を抜け、平原を駆け抜ける。

「斃すつもりだったなら、あなたにあった機会はあの時だけ。それなのにあなたは躊躇った」

(でも、あの人は自然の敵ではありません。斃すべき人では)

「甘いわね」

その一言が、ナコルルの言葉を遮る。

「一瞬の油断が命取りになるのよ。まだわからないの?

あのサンタクル(大陸の人、中国人)は風を意のままにする術を会得しているけれど」

黄泉ヶ原で見せつけられた、その人知を超えた力と術。

霊妙不可思議な、人には到底届かぬ境地に達した者の技。

「さらに全身の至る所で風を操れる。横たわったまま組み伏せられている、という絶体絶命の状況でさえも」

(いつ、それを知ったのですか?)

「あの時感じ取れなかったというなら、あなたもまだまだね。アイヌの戦士になるには甘過ぎるわ」

(……)

ナコルルは押し黙った。

「あの男は一度魔に魅入られ、この世界にポクナモシリを近づける一端を担った。大自然の敵になる可能性は充分にある。

そうなったら迷わず斬り捨てなければならない事はあなたにもわかっているでしょう」

上空で、鷹が鳴いた。ママハハの鳴き声だ。

「もう一度、よく考えるのね。死んだらそこまで。あなたは使命を果たせないのよ」

(あなたの言うこともわかります。でも、あそこで雲飛さんを手にかけなければならないわけではなかった)

「……やっぱり、今のあなたにカムイコタンの戦士の使命は荷が重すぎるわね。

あの忌まわしい邪気の主の相手をすることも無理」

ナコルルの意識が告げた。はっきりとした決意をもって。

(それでも、行かなくてはなりません。父様から受け継いだ使命もあります。でも本当の事を言うと、私は……)

少しの躊躇いのあと、ナコルルは告げた。

(父様の心残りを晴らしたい)

その言葉が意味するところ。

それもレラは理解している。 


レラはナコルルの眼を通じ、彼女の記憶を共有することができる。

「父様のトクイコロクル(友人)だった……アンラコルの心残りでもあるわね」

そのアイヌの戦士が心残りに思っただろうことは、二つ。

うちの一つは今、オマンルパラ(冥土の入り口)にある。

シクルゥの脚が地を蹴った。

ごお、と風が鳴り、狼とその背に跨った少女は共に渦巻く風に乗る。

暗くその口を開けた洞窟の中へ、そのまま深く深く地下へと、風は二人を運んで行く。

オマンルパラ(冥土の入り口)へと。