天花一剣客異伝〜機巧おちゃ麻呂〜 |
かつて、平安と呼ばれた世のことであった。 京の都に、一人の、高名なる陰陽師がいた。 大陸より伝わった占いの法より発達した陰陽道はこの時代、 日ノ本の鎮守の法として重大な役割を担っていた。 事実上、平安の日ノ本の中心であった京の都を霊的に守護していたこの陰陽師は、 自身亡き後京の都と日ノ本を襲うであろう、闇の世界より来る魔の勢力に対抗すべく、 宮仕えの傍ら、退魔の術を使役する兵士を作成させていた。 ある夜。宮中より屋敷に戻った陰陽師が、自室にて書物に目を通していた時のことだった。 「師父様〜。」 幼子のような声と共に、ひょこりと、烏帽子をかぶった禿(かむろ)の頭が顔を出す。 「師父様。お仕事はお済みにございましょうか?」 「おちゃ麻呂か。」 師父様、と呼ばれた陰陽師である老爺の半分ほどの大きさしかない白面の人形が、 とことこと部屋の中に入ってきた。 機巧本体から人形部分の分離した、機巧兵士の一体・おちゃ麻呂である。 「今日も、聞きたい話があるのかのぅ? おちゃ麻呂は。」 「あい。まろは陰陽道の極意や調伏すべき魔物どもの話など、 師父様からお聞かせいただきとうおちゃりまする〜。」 人形姿のおちゃ麻呂は、師父様と呼ぶ陰陽師の前にちょこんと座り込み、三つ指をつき頭を下げる。 陰陽師は穏やかに笑んだ。 「おちゃ麻呂は感心なことじゃ。お前ほど勉学の好きな機巧も他におるまいて。」 「あい、師父様。けれどいちゃ麻呂、ろちゃ麻呂、はちゃ麻呂、にちゃ麻呂にほちゃ麻呂、 へちゃ麻呂にとちゃ麻呂・・・・・・。」 おちゃ麻呂は、一度口をつぐむ。 「まろたちの中には、師父様より与えられしお役目、軽んじるものなど誰ひとりとしておりませぬゆえ。」 「うむ。それは儂もようわかっておるぞ。お前達は、儂が世に残せる最後の、また至高の護り手たちじゃ。」 おちゃ麻呂をはじめとする機巧兵士たちは、術により魂を篭められた人形である。 故に、人の心というものに今ひとつ、理解の及ばぬ時もあったが、 師父である陰陽師のこの言葉は、何やら、気持ちを暖かくさせ、高揚させ、大きく膨らませるものであると、 おちゃ麻呂はそのように感じていた。 何と言うべきなのか。人の気持ちにするならば、 嬉しい。 そして、誇らしい。 きっと、そういうものだ。 おちゃ麻呂は微かに笑った。 「では今宵は、魔界のものどもについて話そうぞ。」 おちゃ麻呂の師父である陰陽師は、そう語り始める。 「儂が最も危惧する魔界のものは四体おってな。 まずは、蝦夷の山岳(恐山)を本拠としておる羅将神ミヅキ。日ノ本で生まれ、 巫女を 「あい。まろたちが全霊をもちて、必ずや調伏いたしまする〜。」 おちゃ麻呂の返答に、陰陽師は満足げにうなづき、 「あとの三体は、いずれも大陸より出でたものたちじゃよ、おちゃ麻呂や。」 なおも言葉を続ける。 「かつて、闇キ皇という魔物が大陸に現れた。人の力でその姿を捉えることは叶わぬ魔であり、 かつ、ミヅキがそうであるように人に乗り移りて禍を為すものでのぅ。 その魔は、とある仙術使いに乗り移り大陸を滅ぼさんとした。」 「人を超えるという仙術を使役せし者が、魔を呼び込んだのでおちゃりまするか。」 「然り。その劉雲飛なる仙術使いは、弟子たちの手により封印されたが、 いつ何時封印を抜け出し、闇キ皇との契約により得た力で世を脅かさぬとも限らぬ。」 「あい、師父様。その者が封印を破り、日ノ本に禍を為さんとする暁には、 まろたちが全霊をもちて阻止いたしまする。」 「うむ。」 陰陽師は真摯な面持ちでうなづく。そこには機巧兵士たちへの揺るぎなき信頼が見て取れた。 「さらに劉雲飛は、結果として新たな禍の種を蒔くこととなったのじゃ。 彼の者の弟子は八人存在しておったが、うちの二人は魔の力に魅入られそれを欲した結果、 五体を捨て魔界へ下り、自らを妖魔と化した。」 「なんと。」 人形姿のおちゃ麻呂は、ふるふると首を振る。 「自ら魔に変ずるとは、いと、あさましきことにおちゃりまするなぁ〜。」 「その二人は大陸で暴虐の限りを尽くしたが、 遂には劉雲飛の弟子のあと六人の内、生き残りの二人によって封印されたと伝えられておる。 だが、封印は彼奴らの力を弱めるだけの効果しか持ち得なかったのじゃ。」 陰陽師は僅かに眉を曇らせた。 「彼奴らはそれぞれ、水と焔を操る力を手にしておった。 よって、河の氾濫といった水の禍、また大火による焔の禍が起これば、 人と違うて五体を持たぬ彼奴らは、それに乗じて封印を抜け出すことができる。 しかる後、女子に接して己の憑代とするややを孕ませ、産まれた後にその五体を乗っ取るという悪事を、 今なお繰り返しておるのじゃ。」 くり、と微かな音を立て、おちゃ麻呂は首を傾げた。 「師父様。大陸には、その者どもの暴虐を止められる者はなかったのでおちゃりまするか?」 「大陸にも、霊力に優れた者は幾人もおる。その者たちの封魔の結界により、 かつて劉雲飛の弟子であった魔物どもも次第に動きがとり辛くはなっておるようじゃが、 抜け目なく霊力の綻びを探り出し、世に現れることもあり得るでのぅ。」 「師父様。その者どもが自然天然の禍に乗じて現れるとあれば、なかなか厄介なことでおちゃりまするなぁ。」 「うむ。彼奴らの元の名は既に忘れ去られ、今では水と焔に乗ずる魔物を意味する 水邪、炎邪とそれぞれ呼ばれておる。心しておけい。」 「あい。師父様のお教え、まろは未来永劫忘れることなどありませぬ。」 「おちゃ麻呂よ。」 頭を下げた機巧人形であるおちゃ麻呂を、陰陽師は見据えた。 「魔の手よりこの都を、ひいては日ノ本を守り抜く使命、お前達に託したぞ。」 そう申し渡された時の、師父である陰陽師の目を、おちゃ麻呂は思い起こしていた。 (師父様、どうぞ天閣にてご照覧あれ。まろは今より、お役目を果たすでおちゃる。) おちゃ麻呂は鉄扇を手に、目の前の老爺を見る。 かつて百数十年前に行われた封印の儀の際、おちゃ麻呂を除く機巧兵士たちを全て破壊した 憎むべき羅将神に匹敵し得るかもしれない、禍の源。 これを祓い、これを封ずることこそ、最後の退魔の機巧兵士である自身の使命。 「いざや」 一声高く。 「手合わせくださりませ。」 広げた鉄扇を口にあて、片方の手は浅葱の着物の袖を握り、おちゃ麻呂は声を発する。 向き合う雲飛は、手にした青竜刀、天閃燕巧を構え、左手を突き出し剣訣を握る。 雲飛は、闇キ皇に憑かれる以前、武侠として数知れぬ猛者と刃を交えた。 様々な流派の、様々な武芸者がおり、また様々な武器があった。 (だが、人にあらざるものとの戦は流石に覚えがないな。) とは言え、引く気は毛頭ない。 が、おちゃ麻呂を見据えた雲飛は目を見張った。 「なに・・・・・・?」 |