| 天泣〜天草四郎時貞〜（５） |
「あの時、我はそのようにして、枯れ木の如き爺一匹に屈辱を受けたのだよ。しかし今、忌々しき封印はようやく消え去った。」 天草の前に立つ金の髪の男･･････魔神テスカトリポカは天を仰ぐ。 「我は今こそ、この地に再び破壊と滅亡をもたらし･･････憎き"風の太陽"の時代に終止符を打たん！」 「風の太陽･･････とは？」 「"羽ある蛇"の呼び名の一つだ。 そなたが戦った戦士が崇め、この地の人間どもが崇める我が仇敵のことだよ、四郎。」 「我の戦った戦士とは･･････。おお、あの仮面の剣士のことか。」 「そやつこそは、十二年前爺と共に来た、我の求める理想の体。そうだ。今から彼奴の体を取りに行こうか。」 「今しがた、この体を得たばかりだというのに、か？」 天草は尋ねた。 「このような体など仮の宿にもならぬ。我の望みは人の世を地獄に変えること。 のみならず我は、この地の表をすべて災いで覆いつくしたいのだからね。 禍の王であるべき我の依代となる者は、それなりの霊力と武勇を備えていなければならぬのは道理。」 魔神は邪悪さに満ち満ちた楽しげな笑みで顔を歪めつつ、天草に向き直る。 「四郎。そなた、我の祭司となる気はないか？ 我が野望には秀でた片腕が必須。 刀だの、火を吹く角笛だのといった陳腐な小道具でなく、さらなる殺戮を巻き起こす大いなる武器を人世に広めるため、 魔界の王も必要としたそなたの力を貸してほしいのだよ。」 「さらなる殺戮の武器？ そなたは、我に合点の出来ぬことばかりを口にする。」 顔を背ける天草。 「おや、合点が行かぬと？ ふふ、"炎の蛇"の偉大な力、この場で四郎に見せてやれたら！ しかし、あれはそれなりの準備が必要だ。」 目を伏せ、わずかに首（こうべ）を振りつつ天草は、その顔に色濃い疲弊を見せて呟く。 「我はもうわからぬ。人の世を破壊することが、我にとり人にとり、果たして真の救いに繋がるのかどうかが。」 「ふふ。すると四郎はかつて四郎が信じた神の言葉に照らせば、"迷える子羊"と化しているのだね。」 「なぜ、そなたが聖なる書の言葉を知っておる？」 「その神を信ずる者どもは、この地にも現れたゆえ。」 訝しげな表情を目に浮かべている天草に、魔神は再び微笑みかけた。 「では、四郎。そなたの新たな神にして新たな友となる我が、そなたに合点のゆく道を示してあげよう。」 魔神の腕が、天草を包み込むようにして伸ばされる。 周りの気が変化したことを、天草は感じていた。 魔神は人ならぬその力で、瞬きの間に別な空間へ移動したらしい。 「ここは何処ぞ？」 「この村は、我を封じた"封印の神殿"を含め、五つの神殿を有している。 その最奥に位置している、"記憶の館"と呼ばれる建物だ。 村の民どもは立ち入りを許されておらぬのだよ。理由はこれだ。ほら、見てごらん、四郎。」 魔神が腕を解く。 「我にとり、最も喜ばしい光景だよ。」 天草の目前に、色鮮やかな壁画が広がっていた。 目も覚めるような空の蒼い色が一面に広がっている。 その中を埋め尽くしているのは、赤い肌を持った男たち。 ある者は豪勢な羽飾りや織物で身を飾り、ある者は腰布を纏い槍や剣を手にしている。 天草が目を走らせると、男たちの下には別の男たちが何人もうずくまっていた。 「おお･･････。」 唇から漏れ出す、擦れた声。 うずくまった男たちの指先から、流れ落ちる血の鮮やかな赤がくっきりと描かれている。 彼らは指の爪を全て剥がされ、苦痛に顔を歪めて血を流しているのだ。 目を逸らした先に映った、さらに凄惨な光景。 数人の男に仰向けに押さえ込まれた男の胸には石造りの短刀が突き立ち、穴が穿たれていた。 壁画を覆わんばかりの大量の紅の流れが、男たちの背後の明るい青と陰惨な対をなしている。 「一体、この虐殺はなんとしたこと･･････。」 呆然と天草は呟く。 記憶の奥の奥底から、立ち上ってくる焔と、黒煙と、血飛沫と悲鳴と、絶望と。 渾然一体となり甦ってくるのは、あの忌まわしい原城落城の時。 「これぞ、我の喜びの源である光景だ。その名もふさわしく、"花の戦"と呼ばれていた。」 魔神の声が耳の奥底で響く。 「花の･･････戦？ なんとそぐわぬ･･････。」 「"花の戦"とは、白い人間たちがこの赤い肌の人間たちの地を蹂躙する以前に戦われていた、我のための戦いなのだよ。四郎。」 「お･･････お主のための･･････？」 今の彼は、自ら解放した魔神の言葉を繰り返すのがやっとの状態だった。 暗黒神の呪縛から解かれたものの寄る辺をなくし、 今まさに自身の奥底に封じ込めていた記憶を生々しい虐殺の壁画に呼び起こされた天草は、もはや自身の判断を失っていたのだ。 「そう。かつて我はこの地の人間どもに教えてやった。 太陽が明日、今日の日のように再び昇るとは限らぬと。 日を失えばこの世は暗黒。太陽を昇らせるために必要なものは命。 太陽を燃え立たせるため、捧げるべきは命そのものである血と心臓。人間には、太陽を養う義務があるのだとね。」 魔神の顔に広がる含み笑い。 「そして人間どもは、太陽に捧げる贄を得るため、同族との戦を始めたのだよ。我の思惑どおりに。」 魔神を見詰める天草の唇が、何か言いたげに微かに震えた。 「花の戦は、最後には白い人間どものため断ち切られた。だがそれでも太陽は日ごとに昇り、日ごとに沈んでいる。」 魔神テスカトリポカの化身である若者が、高らかに楽しげに笑う。 「我はそれでもかまいはしなかった。今度は白い人間どもが、我に生け贄を捧げてくれたのだからね。」 「白い人間、とは･･････。」 「えすぱーにゃ、とかいう国から海を渡り、この地に上陸した者どもさ。 そやつらの崇めていた神が、四郎がかつて崇めた聖なる書の唯一なる神だよ。 同じ神を崇めたのだから、言わば四郎の同胞に当たろうか。 彼奴らにとり、彼奴等の唯一の神こそが真理。すなわちそれを信ずる者は善、それ以外は悪ということになるらしい。 我やそれ以外の神々（テウル）を捨てなかったこの地の人間どもは、端から殺されていった。 心躍る拷問によってもたらされた甘美な死の数々。思い起こすたび、未だに我の心を震わせる。 赤肌どもが死にゆくごとに白い人間どもは"悪魔に首を捻られた"と称したものだ。 のみならず、彼奴らエスパーニャの者どもはこの地に自分たちの町を築くため、赤い肌の人間どもを死ぬまでこきつかった。 そしてこの地の人間どもは、花の戦が行われていた時より激減した。 なんと楽しい光景だったことか！」 魔神は笑い、そして慟哭が響いた。 天草は、壁画に彩られた石の建物の床に膝を突き、頭を覆って呻いていた。 「それが･･････それが天なる父に仕えるものたちがすることなのか･･････。」 擦れた声で、漸く天草が呟く。 「神は、そのような行為をお許しになるのか･･････！」 「許す許さぬはわからぬが･･････少なくとも咎めだてはしなかったようだね、天にまします父なる神は。 我は常々心に思うことがある、四郎。」 魔神は天草の前に跪き、顔を覗き込む。 「人どもが、どれだけこの地の表で嘆こうとも、苦しもうとも堕落しようとも、神は救いを与えようなどとはせぬ。 すなわちそのようなこと、神の知ったことではないのだろう。」 天草が、愕然とした顔をあげ、魔神の目を見る。 魔神である男の目は、愉悦の光を宿らせていた。楽しげに笑みを浮かべつつ、天草に口を寄せ囁く。 「つまり神は、人どもになど欠片の興味も抱いておらぬのだよ。」 魔神の言葉は、天草の魂にとり決定的な楔となった。 虚脱したように膝を突いた天草。 魔神の笑い声が、石造りの建物に響き渡る。 「良いではないか、四郎よ。神が人を必要とせぬのなら、人もまた神など必要とせず、己の心のままに生きればよい。 この殺戮。これこそが人の思うがままに生きる姿そのもの。 生きるために、欲のために、愉悦のために殺せばよい！ そのように相食み続け、やがてこの地の表から、人どもが完全に消え去るその日まで！」 「救えぬ」 天草が呟いた。 その声には底知れぬ絶望と、人という存在に対する果てしなき嫌悪が、そして侮蔑が篭もっていた。 「人は救いなどには値せぬ。いや、人という名にも値せぬ。汚らわしき我欲の木偶どもが！」 その顔に冷たい憎悪を燃え立たせて立ち上がった天草を、邪悪に微笑みながら魔神が見ていた。 「その木偶どもを、すべて壊して地の表を掃き清めるために。」 魔神は天草に手を差し伸べる。 「そなたの力、我に貸してくれるな？」 その目に冷たい憎悪を宿した天草は、魔神を見返した。 「良いであろう。」 天草が空に差し伸べた掌の上に、パレンケストーン･･････ガダマーの宝珠が浮かび上がる。 「ではまず、我が新たな体を得る手助けをしておくれ。」 同じく、掌の上に宝珠タンジルストーンこと、ラピス・ウトゥワレンディエルを浮かべ、 魔神テスカトリポカは言った。 |