天泣〜天草四郎時貞〜(7)

「な・・・・・・なんと面妖な。」

チャムチャムを目にした天草は明らかな困惑をその顔(かんばせ)に浮かべ、滅多になく狼狽の言葉を口にする。

「この地には、あのような人とも思えぬ半獣が存在しておるのか?」

その天草の耳に、忍び笑いが届く。

「なるほど、これは確かに変り種。ハグワルを背にへばりつかせた人間ならば、我も幾度か見たことはあるが。

守護すべき者以外に取り憑いたハグワルなど、目にしたことも耳にしたこともない。

珍奇な見世物と楽しんでおくがよいよ、四郎。」

楽しげに笑みを浮かべている、魔神テスカトリポカの化身たる金髪の男に、天草は問い返す。

「はぐわる、とな?」

「憑き神、とでも言い換えるべきか。」

「コラッ、お前〜! ボクのことバカにしたなッ! 言ッとくけど、ボクは村でタム兄ちゃンの次に強いンだぞッ!」

チャムチャムは天草たちを威嚇するかのように叫ぶが、大きな目が金髪の男を捉えた途端、まん丸くなった。

「コイツ、変態ダー!」

天草の表情に驚きが走る。

「タム兄ちゃンッ! ホラ、あいつブラブラさせてるゾッ! お前ッ、ちゃンと腰布くらいつけろっ!」

天草とタムタムが、その言葉に唖然としている中。魔神である金髪の裸身の若者は、声高らかに笑った。

闇の中に響く楽しげな哄笑。

「これはなんとも滑稽よの。まさかこの”羽ある蛇”の聖地に、”黒き鏡の主”を知らぬ痴れ者がおろうとは。」

くっくっと喉を鳴らしていた魔神は、笑みを浮かべたままチャムチャムに向き直った。

「だが道理ではある。知らなければ我を恐れることもなし、か。

では愚昧なる獣の娘よ。汝に真の恐怖を教えてやろう。」

天草と魔神をにらみつけているチャムチャムの、獣のものと等しい手の片方には、木で作られ歪曲している、大きな刃が握られていた。

「えいやッ!」

振りかぶってからチャムチャムは、その木の刃ヨックモックムックを、思い切り天草たちめがけて投げつける。

「ちゃむちゃむ!」兄の叫び声。



「どこを見ておるか?」

その刹那チャムチャムの背後で、魔神が笑みを浮かべて立っていた。

優雅でありながら邪悪な、酷薄この上ない微笑。

笑みを浮かべたままで魔神が腕をかざす。

途端にチャムチャムの体が浮き上がり、反転する。

「ニャッ!?」

悲鳴をあげる間もなく、両足首ががっちりと、楔のような男の手に掴みあげられていた。

魔神はそのまま、腕を高く吊り上げる。

そうしながら魔神の顔には、邪悪な微笑が張り付いたままだった。


逆様の状態のチャムチャムの目に映る、若い男の顔。

それは鼻筋の通ったほっそりとした顔に、金色の長い髪と金色の瞳を持つ、美しいものだった。

だがこの上なく邪悪で、ぬくもりの欠片も感じられない表情がその顔にはあった。

男が、チャムチャムを見て、にっこりと微笑を浮かべる。

チャムチャムは総毛立つ。

綺麗な顔を透かすように、とてつもなく不気味なものが彼女の目に見えた。


刹那、チャムチャムは兄の友人カクムの顔を見る。

その顔は既に精気が完全に消え去った、全ての表情と感情を失った虚ろな抜け殻だった。

カクムの顔が霧のように薄らぎ消滅し、浮かび上がってきたのは

真っ白な髑髏。

その眼窩には漆黒の無機質な、巨大な目がはめ込まれている。

それが、ぎょろりとチャムチャムを見た。

そして髑髏が、確かに嗤った。


「ニャアアアアアアアアアッ!!」

広場に、広場を取り巻く森に、チャムチャムの叫び声が木魂する。

「やだ、やだぁッ、タム兄ちゃあンッ! カクムが・・・・・・お前、カクムに何をしたンだッ! 兄ちゃンの友達に何したンだぁッ!!」

魔神の若者は微笑みながら、宙で逆様の状態で身をよじって叫ぶチャムチャムを、楽しげに見つめていた。

「ほほう。これはまた珍奇なことだ。ケダモノの分際で、この体の元の姿を理解したか。

”羽ある蛇”に仕える一族ゆえ、僅かなりとも霊力を持ち合わせておるということかな?」

魔神はチャムチャムの足首を掴んでいた手を放す。チャムチャムの体は宙に浮かんだままで固定された状態となった。

テスカトリポカが天草を振り向く。

「さてと・・・・・・。第五の太陽の主たる、この”テルポチトリ(永久に若き者)”に無礼を働いたケダモノに、

どのような罰を与えるべきかを我は思案しておるのだが。

四郎は何と考えるね?」

「我なら一息に捻り潰そうぞ。木偶の鮮血など汚らわしきものだがな。」

「それも一興よのぅ。」

魔神テスカトリポカは、逆さ吊りのチャムチャムに顔を近づける。

ためつ眇めつ、チャムチャムの体を・・・・・・正確には、その肌を眺めていた。

「フム。駄目だな。このような日に焼けた粗雑な皮になぞ用はない。」



黒い神の吐き捨てたその言葉に、タムタムは総毛立つ思いがした。

傷を受けることを恐れぬのが勇者。

だが黒い神の言葉は、心にじかに刃を突き立てられたかのごとく、鋭く重い衝撃をもって響いた。

彼の脳裏を過ぎったのは、村に伝えられる黒い神の忌まわしき伝説。


・・・・・・王女様に、我らの神が至高の栄誉を与えましょうぞ・・・・・・


妹を救わねば。

タムタムは、掌に力を集中させる。

髑髏の形が中空から浮かび上がる。

死の霊への祈り、ムーラ・ガブル。これで黒い神の気をそらせられるか。

その時声が響いた。

「”羽ある蛇”の戦士よ。汝は妹の臓物を目にしても、豪胆でいられるか?」

テスカトリポカが再び、チャムチャムの両足首を掴むと裂かんばかりに左右に引いた。

夜の森に響く少女の悲鳴。

拳を握り締めたままで、タムタムの動きが完全に硬直した。

彼の背後に見えるは、ガダマーの宝珠・・・・・・聖石パレンケストーン。

背後に移動した天草が、タムタムに狙いを定めて宝珠を構えている。

「兄・・・・・・ちゃン・・・・・・。」

チャムチャムの喉から、擦れた声が漏れる。

苦しい、苦しい。

痛い、痛い。

怖い、怖いよ。

それでも、大声を出したかった。

「タム兄ちゃンッ!」



その刹那、天草が宝珠を突き出した。

「凶冥十殺陣!」

次の刹那に、タムタムの体は宝珠から発せられた稲妻の檻に封じ込められた。

苦痛に歪む兄の顔が、チャムチャムの目に映る。

金の髪の男、魔神テスカトリポカの化身は、満足げに悪しき笑みを浮かべる。

彼が手を薙ぐと、チャムチャムの体は地面に投げ出された。


叩きつけられた痛みと衝撃にうずくまっていたチャムチャムだが、

すぐさま、兄のことを思い出し漸う目を上げる。

稲妻の檻に封じられた兄へと、一歩一歩魔神が近付いていく。

片手を差し出し、指が兄の胸に触れようとしている。

何故か、本能的にチャムチャムは理解した。

金の髪と白い肌を持つ”黒い神”が、兄に何をするつもりなのかを。



食べられちゃう。



カクムみたいに、兄ちゃンが黒い神に食べられて。

食べられていなくなっちゃう。

大好きな笑顔も、優しいあったかい声も、みンな消えちゃう。

残るのは兄ちゃンの抜け殻だけ。空ッぽの穴だけ。


そう悟ったチャムチャムの目の前に見えたのは、兄の魂が食い尽くされた虚ろな穴の中、けたたましく嗤う黒い神の髑髏の仮面だった。



いやだ。いやだ。

怖いのも痛いのももういやだよ。

いやだいやだいやだ。

でも、タム兄ちゃンがいなくなるのはもっといや。

絶対にいやだ。

痛みを堪えてチャムチャムは動く。

這うように四つ足で地面を移動し、足に力を込めて狙いを定めた。

稲妻の檻の後ろで、パレンケストーンを構えている天草に。



「えいッ」

声が聞こえ、ふと殺気だった気配を感じた次の刹那、

天草は何かに飛びつかれた。

「この、このこのこのォッ!!」

鋭い爪で顔を掻かれ、声を上げてガダマーの宝珠を取り落とす。

稲妻の檻が消え去り、魔神は不快気に顔をしかめた。

天草とチャムチャムは揉み合いになっている。

「・・・・・・ケダモノにふさわしい醜態で死ね。」

魔神の掌に、暗黒の気が宿った。

稲妻の檻から解放されたタムタムが、”黒い神”に蹴りを叩き込む。

よろめいた魔神は、暗黒の気をタムタムに放ち吹き飛ばすと、

掌をぐいと上へ向けた。

「ニャアァッ!?」

チャムチャムの体は天草から離れて宙に浮く。



天草が再び手にする前に、宙に浮かんでいたパレンケストーンが

一際眩しい光を放った。

魔神の手から暗黒の気が消え、

辺りに清浄の気が満ちる。

「なに・・・・・・?」

ようやく気を取り直した天草が呟く。

「おのれぇ!」

悔しげな呟きを漏らした金の髪の魔神の顔には、明らかな狼狽が伺えた。

「四郎、引くぞ。」

彼は天草に向けて腕を伸ばす。

次の刹那に、"記憶の館"へ移動した時のごとく、二人の姿はその場から消えていた。

ややあって、パレンケストーンとタンジルストーンが飛び去っていく。


黒い神に暗黒の気を浴びせられた重い痛み。

先ほどパレンケストーンに浄化されかけ、消え去りかけたがそれは中断され、またしても痛みが甦ってきた。

堪えつつタムタムは身を起こす。

「ちゃむちゃむ・・・・・・。」

妹は目の前で横たわっていた。

「痛い・・・・・・痛いよ・・・・・・。」

苦しげな声が聞こえる。

タムタムは、チャムチャムを抱き起こした。

「タム兄ちゃン・・・・・・足、痛いよぉ・・・・・・。兄ちゃン。」

きつく閉じた目蓋から、ぽろぽろと零れ落ちる涙。

「動かないよ・・・・・・足が痛い、よぉ・・・・・・。」

落下の衝撃で片足を折ったチャムチャムが、兄の胸で泣きじゃくる。

「大丈夫。大丈夫ダ。けつぁるくぁとるガ、必ズ治シテクダサル。」

妹の小さな肩を、タムタムは力を込めて抱き寄せる。

「ちゃむちゃむ。ヨク頑張ッタナ。オ前ハコノ村ヲ、黒い神カラ護ッテクレタ。」

兄の胸にしがみついたチャムチャムは、異様な冷たさを感じてびくんと身を震わせた。

タムタムの胸の中央に、真っ黒な筋がくっきりと一筋、刻み込まれている。

と見えたが、兄の呼吸のたびにそれは消え去り、また浮かび上がり、を繰り返していた。

「兄ちゃン・・・・・・これ、何・・・・・・? 兄ちゃンに黒いヘンなのが・・・・・・」

折れた足の激痛も刹那頭を去り、チャムチャムは猫のような手を丸めて兄の胸を擦る。

「何、コレ? とれないよぉ、タム兄ちゃン!」

チャムチャムは涙声を出した。

妹の頭を引き寄せて宥めながら、タムタムは呼吸のたびに異様な冷気が胸の内側を侵食していくことを感じていた。

(黒イ神ノ印・・・・・・)

黒い神に捧げられる武器は、黒曜石で作られた短刀だと言われる。

それは、黒い神が何より嘉する生贄の胸を引き裂き、心臓を取り出すためのものだ。

(黒イ神ノ、エモノデアル印・・・・・・)

”天上より吹き、地上を渡る光の風”たる神ケツァルクァトルに仕える戦士でありながら、

自分は黒い神の印を負ってしまった。

屈辱の思いに混じってじわじわと、重い恐怖が広がっていく。



「あなたには使命があるんでしょう。」

その時、風の巫女である娘の声が、脳裏に甦った。

「だったら嘆いている時間は無い。そうじゃないの?」

(・・・・・・ソウ、ダナ。)

初めて彼女に逢った時、告げられた言葉。今でも忘れてはいない。

(れらナラ、キットソウ言ウ。)

この印に怯える前に、なすべきことがある。


黒い神は、宿敵である神ケツァルクァトルの気に怯えて逃げていった。

だが、二つの秘石を得た黒い神と天草は、きっとこの地以外の国で大きな禍を引き起こすことだろう。

追わなければ。

そして、石を取り返さなくてはならない。

神ケツァルクァトルの戦士として。




「忌々しい・・・・・・! このヤシェル・スユアにある限り、我はまた再び"羽ある蛇"に封じ込められるやもしれぬ。」

暗黒に沈む密林の影で、魔神は唇を噛んだ。

遥か遠くに、松明の明かりがぽつぽつと見えている。

「ここは羽ある蛇の聖地。彼奴を崇める者どもの発する、祈りの力がこの地を覆うておる。

さらに刻はいまだ、"羽ある蛇"が治めし"風の太陽"。認めたくなどないが、明らかにすべてが我にとって不利なのだよ。」

「しかし、テスカトリポカよ。その祈りの力を込めたという聖なるガダマーの宝珠は、今我が手にあるではないか。

それでは不十分なのか?」

天草の言葉に魔神は顔を上げ、にやりと笑みを浮かべた。

「一つ教えてあげよう、四郎。」

天草は魔神の顔を見る。

「ガダマーの宝珠ことラピス・ウビャレンクェと、タンジルストーンことラピス・ウトゥワレンディエル。

二つの宝珠が揃えば我は、羽ある蛇などもはや足元にも及ばぬ力を手にすることができる。

だが、ラピス・ウトゥワレンディエルはこのままの状態では、ラピス・ウビャレンクェに及ばないのだよ。

二つの宝珠の力を釣り合わせるためには、あることを行いラピス・ウトゥワレンディエルを変化させねばならぬ。」

「ほう・・・・・・。あることとは?」

「魂の封印だよ。」

魔神が手をかざすと、透き通る赤と黄金の光に縁取られた宝珠・タンジルストーンがその上に浮かび上がった。

「ラピス・ウトゥワレンディエルに、ある特徴を持つ選ばれし魂を幾つか封じ込める。

それによって、この石はラピス・ウビャレンクェと同等の力を得るのだよ、四郎。」

「すなわち、選ばれし魂を持つ者どもを狩らねばならぬということか。」

「そう。まずはその者どもを探し出さねばならぬのだが・・・・・・。」

魔神は天草を流し見て微笑む。

「我だけでなく、四郎。そなたも今より強大な力を手にしたいとは思わぬか? その体は間に合わせに過ぎぬ。

魂の力を高めておかねば、体との調和が取れず、まずいことになるかもしれぬからね。」

「そなたは、その方法を知っておるのか。」

「神の種を食らうことだよ。」

「神の種・・・・・・?」

聞きなれぬ言葉に、天草はひそかに眉を寄せる。

「何なら、魔の種と言っても良いかもしれぬ。

たとえば、先ほど神殿で話した"毒蛇の女"にしても、元はそれだったのだよ。」

魔神が笑う。

「毒蛇の女・・・・・・羅将神ミヅキ、とかいう女のことか。」

「そのとおり。かの者はこの地では、恐怖の女神シワ・クァトル、すなわち毒蛇の女と呼ばれていた。

千年の時を越え、魔界の王の僕として働いているが、あの女は元々人の怨霊だった。」

「それで。」

「人などそもそも土塊にすぎぬが、稀に非凡な力を持ち、人の世にあって神と崇められる偉業をなす者が出る。

最も、神と崇められるか、悪魔と忌み嫌われ抹殺されるかは運によるだろうがね。」

「羅将神ミヅキは、そうした稀なる非凡の者であったということだな。テスカトリポカよ。」

魔神が、くすくすと嬉しげな笑い声を漏らした。

「四郎はほんに察しが良い。そのとおりだが、あの女は人の世で偉業を成す前に死んだ。」

「ふむ。」

「シワ・クァトルは嬰児(みどりご)の頃、口減らしのため捨てられた。

本来ならそのまま朽ち果てただろうが、あの女の非凡な才はその時目覚めた。

女は全身全霊を込めて、自分を捨てた世を恨んだ。

そして魔界の王を人世に呼び出し、朽ちゆく己が肉体を贄として契約を結び、"ラショウジン"として再び生まれ変わったのだよ。」

「ミヅキのような可能性を持つ者を探し出して食らえば、我の力はさらに増す。こういうことだな?」

にっこりと、満面に邪悪な笑みを浮かべて魔神はうなづく。

「では、四郎の糧となるべき神の種・・・・・・むしろ魔の種を、宝珠に示させようぞ。」


魔神の掌の上に浮かんだ宝珠が、妖しい光を発する。

天草は、タンジルストーンから微かな呟きを聞いた。

やがて、呟きははっきりと聞き取れるほどの大きさとなった。

「・・・・・・かがりび・・・・・・」

宝珠が、うっすらと紅の色を帯びる。

それは、どんどんと色濃さを増し、やがて宝珠全体がうっすらと血の色に煙る。

「篝火・・・・・・どこだい・・・・・・篝火・・・・・・独りにしないでおくれよ・・・・・・」

そう呟き、ふらふらと彷徨い歩いているのは、一人の若い男だった。

だが、男の姿は白刃の閃きに掻き消される。

吹き上がる血の色が、宝珠に映る光景をさらに鮮やかな紅に染め上げて行く。

鬣の如き長髪を持つ、山のような男の姿が映った。



白い煌きは、男が振るう巨大な刃。

悲鳴と絶叫が飛び交う。血飛沫がまだ明けやらぬ夜空に飛び、切断された人体が宙に舞う。

天草は思わず息を止め、光景に見入った。

大男は巨刀を振るい、周囲の逃げ惑い泣き叫ぶ人間たちを片端から斬り捨て、全身に血潮を浴びている。

男の巌のような顔には、感情の動きが欠片も見られなかった。

「こやつは・・・・・・。」

今までに出会ったどの剣士とも違う。

「斯様な殺戮を続けておるためこの地では、"鬼"と呼ばれ人どもに恐れられておるようだ。

名は壬無月斬紅郎。

人でありながら人を超えるモノとなった、彼奴こそが四郎の糧となるべき"魔の種"というわけだよ。」

「その名からして、この斬紅郎なる剣士。我の故郷である日ノ本の者か。これは良い。」

「鬼のおる国には、我が封魂すべき者どもも存在しておろう。」

「何故そう言えるのか? テスカトリポカよ。」

「選ばれし魂を持つ者とは、"羽ある蛇"のような光の側に属する者どもの最後の切り札。

切り札となるべき輩は、大抵最も気の乱れた国に遣わされるからね。」

魔神は、にっこりと邪悪な笑みを浮かべた。

「選ばれし魂の持ち主は、同時に我を満足させるだけの皮の持ち主でもあろう。楽しみだ。」

「皮?」

奇妙な言葉を聞いた天草の顔(かんばせ)に、怪訝な表情が浮かぶ。

先ほども、あの獣の娘に対し発せられた言葉だが、一体。

その時、夜の密林ががさりと揺れた。


天草は、獣かと思い顔を向けたが、現れたのは一人の男だった。

松明と銃を持っているその男は、どうやら欧州の人間のようだった。

奇妙な衣服を纏った妖艶な男と、裸体の金髪の男、というあまりに場違いな者たちに遭遇し、

男の顔面には、ありありと恐怖の色が浮かんだ。

天草が男に向き直るより早く、魔神が宝玉をかざす。

次の刹那、男の頭は破裂し、首の消えた箇所から血柱が吹き上がった。


「なぜ、このような所にこのような者がいる?」

首を失い倒れこんだ男を見やりながら、天草は疑問を口にする。

「おそらく、エスパーニャの探検隊ではないかな。

エル=ドラドとかいう場所を探して、密林に分け入ってくる者どもが時たまいるのだよ。」

「える=どらどとは?」

「黄金郷、とでも言うのか。全てが黄金で造られているとされる、隠された都。

エスパーニャの者どもは、かつてこの地に存在し、おのれ等の滅ぼしたメシカやインティの国(インカ帝国)の壮麗さを見て、

またそのような宝の山にありつけるかもしれぬと夢を見ておるのさ。」

「宝と、奴隷と殺戮の獲物を求めておるのか。満たされることなき我欲の木偶どもが。」

眉をしかめた天草は、男の骸に足を乗せ、踏みにじる。

「一人ではあるまいな。遠からぬ所にこやつの仲間がいるはず。

四郎よ、そなたの鬼を食らうための旅立ちの前に、我は晩餐を摂りたいのだが。」

「晩餐?」

天草は聞き返した。

「我は封印を抜け出してから二つの魂を食ろうたが、まだ血肉を食ろうておらぬのでね。」

魔神は、己の唇を舌でなぞりあげる。



今、天草の目の前には何とも奇怪な塊があった。

ところどころ、指や肉の欠けた人の腕や足が、至る所からにょっきりと突き出している。

それは、魔神の晩餐の痕(あと)。

食い散らかされた人体の残骸が積み上げられ、ねっとりとした血と体液に塗れた、悪臭を放つ小山ができあがっていた。

"晩餐"を終えた、流れる金の髪の、美しい若者の姿の魔神。

全身を紅く染めた、満足げな表情。

「まるで、ラクシャーサ(速疾鬼)のようだ。」天草は魔神を見ながら呟いた。

「らくしゃーさ、とは何のことだね? 四郎。」血に塗れた唇をなめ上げながら、魔神が問い返す。

「我の故郷たる東洋で伝えられる、人の血肉を食らう魔物のことよ。今のそなたはまさにそのものだな。」


ラクシャーサ・・・・・・すなわち羅刹とは、仏教において悪鬼の総称である。

風の如く走り、剛力を持ち、また人を食らうとされている。


「ふむ・・・・・・ラクシャーサ。血肉を食らう魔物、か。それはなかなかに良い響き。気に入った。

では、我は今からラクシャーサと名乗ることにしよう。」

そう言って、魔神テスカトリポカは右手を横に薙ぐ。

中空に浮かんだ宝珠・タンジルストーンが光を放ち、天草は目を瞬いた。

鏡を見ている如くに、目の前には衣装も髪の結い上げ方も、すべてが天草と瓜二つの姿があった。

ただし、その髪は金の色のまま。肌はより白く、衣服は青と金を基調としている。

「四郎の故郷(ふるさと)へ往くのであれば、我も相応しい姿をとった方が良いであろう?」

天草と同じ姿となったマヤの魔神は、掌の上に宝珠をかざした。

「我は必ずや、二つの宝珠によりて"風の太陽"を没落させ、

新たなる愉悦の時代、"オリン・トナティウ"を打ち立てん。」

天草には理解のできぬ言葉を、魔神・・・・・・ラクシャーサは朗々と謳い上げる。

「その時こそ、我が仇敵"羽ある蛇"よ。そなたの名が語られる時代は、永久に終わりを告げるのだ。」

ラクシャーサの掌の上の宝珠が放電する。

天草もまた、ガダマーの宝珠をかざす。

稲光が真っ黒な周囲の密林を黄金に照らし出し、やがて消え去る。

二人の天草の姿も消え去り、積み上げられた人体の残骸と野営の後が残るのみだった。



やがて。

夜の闇の中、密林の緑の葉がみるみる黒ずみ、枯れ果てて落ちてゆく。

枝も張りを失い、力なく萎れ腐り果てていった。

魔神が佇んでいた箇所の、周辺一帯のすべての植物が枯れ果て、腐り爛れ、蒸発する。

魔神テスカトリポカは、疫病を広め自然を腐らせるものでもあった。

聖なる宝珠が失われた今、魔神が復活したことにより広がる災いの歯止めとなるものは何もなかった。


天泣(6)  樹雨〜リムルル〜(1)

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