銀のしずく ふるふる 第二章 〜覇王丸と〜(弐) |
黄の着流しを纏い、六本の刀を差し、巨大な太刀を持ち、 頭上に大きな髷を反り返らせている、垢抜けた風情の若い男。 彼はただ何気なく、飄然と立っているだけだったが、 タムタムは警戒を露わにして男を睨みつけた。 「オ前、何者ダ? ナゼソンナニ多クノ刀持ツ?」 「これか?」 男は口元に笑みを浮かべる。 「こいつらは俺の恋人でね。」 「・・・・・・ナニ? ソレハ、オ前ノ武具デハナイノカ。」 「撫子、朝顔、夕顔、牡丹、椿、白百合。」 刀の名を口にしつつ、男は六振りの刀それぞれに、愛しげに手を置いていく。 「俺の身を守り、道行きを開いてくれる華たちだ。」 男の言葉にタムタムは、怪訝な色を浮かべた目を瞬く。 「で、お前さん。日輪國に行くと言ってたが、随分ごゆっくりな道行きみてぇだな。」 と、男は覇王丸を見た。 「さっきそこのお嬢さんに、殺気立ってて禍を招きそうだって言われたんだが」 覇王丸は、レラを親指で指し示し言葉を続ける。 「違いねぇ。盗賊に絡まれて立ち合ってたもんでね、幾らも進めなかった。」 「凶事を纏う道行きか。そりゃ物騒だ。」 言いつつ、覇王丸を見る男の目は言っていた。 それも、あんたの望む道行きなんだろ?と。 風が吹き渡り、低く唸りを響かせた。 ふと上空に目を移したタムタムが声を上げる。 「オオ・・・・・・!」 彼の知らせた異変に、その場の全員の目が集中した。 中空に人が立っている。 その者の長い白髪と、同じく白い顎鬚が、風に靡いていた。 認めたタムタムが、目を大きく見開く。 「ヤハリ・・・・・・ヤハリ、ソウダッタ! 我ガ神ノ化身、風ヲ従エシ”偉大ナル王”!」 彼はその場に跪いた。 「王ガ再ビ、地ニ降リラレタ。黒イ神、倒スタメニ!」 喜びの溢れる声と同時に、タムタムは宙に浮かぶ老爺に向けて平伏した。 剣豪覇王丸と、七本刀の男も流石に、茫然と宙に浮かぶ老爺を見るほかなかった。 離れてはいるが、老爺が手に大陸の刀を持ち、鋭利な目をしていることは見て取れた。 「こいつぁ・・・・・・珍しいもんが見られたな。人が宙に浮いてるたぁね。」 「あの風体、この国の人間じゃなさそうだな。清国の読み物にでも出てきそうだ。」 と、覇王丸。 「ならあのご老体、本当に仙人ってことか?」 七本刀の男が言った。 「さて、そりゃ俺にはわからねぇ。直接ご本人に聞かなきゃな。」 レラは二人の会話を聞いているのかいないのか、冷めた表情で空に浮かぶ老爺を見ている。 風が、老爺の背後で渦を巻く。 「ハッ!」 一声と同時に老爺の体は押し出され、猛禽の如き鋭さで舞い降りる。 レラが飛び退く。 打ち合わされる刃、弾け飛ぶ剣気。 覇王丸と、七本刀の男が飛び退き、顔を上げたタムタムは愕然とした表情を貼り付けている。 「邪気が満ちたな。」 体勢を立て直し、レラを見据えた老爺は呟いた。 その前に走り出る人影。 両腕をいっぱいに広げて、異国の戦士は老爺の前に仁王立ちになる。 「・・・・・・久しいな。」 戦士を目に据え、そう静かに呟いた、老爺の表情は何も変わらない。 「れら、神ヲ見、神ト心ヲ通ジル娘。ナゼ害ソウトスルノデスカ、"けつぁるくぁとる・とぴるつぃん"ヨ!」 彼の発した聞いたことも無い言葉に、覇王丸と七本刀の男は目を瞬く。 「ほぅ? すると知り合いだってのかね? あいつと、空を飛んで現れたご老体は。」 「さぁて・・・・・・。」 覇王丸の言葉に、七本刀の男は首をすくめる。 「それにしても今日は退屈しねぇ日だ。蝦夷娘に傾き者、その上仙人のお出ましたぁ。」 「言えてるな。俺の立場からすりゃ笑ってばかりもいられねぇはずだが、確かに面白ぇ。」 七本の刀を差した男が楽しげに笑っているのを、覇王丸は眺めやる。 「その娘は邪気を宿した禍の源。大事に至る前に始末せねばならん。理解したならば、そこを退け。」 少年は目を見開く。 「邪気・・・・・・? れらガ、悪イモノダトイウノデスカ、偉大ナル王ヨ。」 「然り。」 「ソンナ・・・・・・悪イモノナラ、たむたむヲ助ケテクレルハズナイ!」 タムタムが、小さく首を振る。 「儂を止め、娘を救いたいと願うか。だが願いだけでは何も遂げられぬ。止めたければ己の力で参れ。」 縋るような目を、タムタムは老爺に向けた。 「あの後、村と"黄珠魂"を守るため、お前がどのような力を得たか見せてみい。」 その言葉にタムタムは、何度も首を振る。 「王ヨ。ソレハ、アナタニ向ケルベキモノデナイ。」 「できぬと言うならば退けい!」 老爺の、抑えた調子ながらも鋭い一喝に、少年が顔をあげた。 ありありと見える戸惑い。それを必死に押し殺そうとしていることが伺える。 彼の背に向かって、静かな声が発せられる。 「どきなさい。」 タムタムは振り向いた。 抜き身の短刀・・・・・・カムイコタンの宝刀チチウシを手にしたレラが静かな、だが鋭い視線を向けていた。 「その男が用があるのは私で、あなたじゃない。邪魔よ。」 タムタムは、レラに向き直る。 「れら。ダメダ。王ト闘ッテハイケナイ。」 「あなたがそう言ったところで」 レラは、タムタムから老爺に視線を移した。 「あの男は引く気はなさそうね。」 「頼ム。王ト闘ウナ。オ前ガ悪イモノナドデナイコト、王ハキットワカッテクダサル。」 タムタムは、再び老爺の方へ向き直り、真摯な目を向けた。 「王ヨ。昔アナタニ受ケタ恩、たむたむ今モ忘レテハイマセン。 ソレデモたむたむ、コノ国デれらニ受ケタ恩ニモ報イナケレバナラナイ!」 「良い心掛けだ。だが、今お前の言葉に耳を傾けてはおられぬ。事は一刻を争う。」 風が、ふわりと渦を巻き、老爺の足が宙に浮かんでいた。 「王ヨ!」 少年は悲痛な声で叫んだが、唇を噛み前方に掌を突き出す。 「むーら・がぶる!」 死の霊に願う、という意味の言葉を口にしたタムタムの掌の上に、 真っ白い髑髏が浮かび上がった。 「ありゃあ・・・・・・何かの外法の術か?」 「ホント、退屈しねぇな。」 覇王丸は、実に面白そうにそう言った隣の七本刀の男の言い草に半ば呆れ、半ば感心していた。 そして思う。 確かに、ああいう術を使える奴と戦うのは退屈しなさそうだ。 老爺は宙に舞い上がり、タムタムが掌に召還した髑髏の上に、その身は降り立った。 髑髏は砕け散り跡形なく消え去る。 次の刹那、老爺の伸ばされた掌が吸い付くように若者の顔面を覆っていた。 「いい目をしておる。度胸もある。だが、お前はまだ若い。」 抑えられているのは顔面のみ、手足は全く縛められてはいないというのに、 若者はぴくりとも動かなかった。 「なんだ・・・・・・?」 七本刀を差した男が、訝るように呟く。 「ありゃ動かないんじゃねぇ。おそらく動こうにも動けねぇんだな。」 「ほう?」 説明を促すかのような相槌に、覇王丸が答える。 「昔聞いた話だが、なんでも大陸の武芸者には、体の内側の”気”を自在に操る技を会得したものもいるんだそうだ。」 「へぇ・・・・・・。内側の気、ねぇ?」 「そいつを攻撃に使って相手を倒すこともできれば、自分の怪我をある程度回復させることもできるらしい。 あのご老体が今してることも、それと関係してるかもしれねえな。」 「なるほどね。そりゃ面白ぇ。」 男は顎に指を当てる。 「勝テルハズ・・・・・・ナカッタ・・・・・・」 呟きが、顔を覆われた少年の口から漏れ出す。 彼は老爺を、己が崇める神の化身と思っている。 ”人”が”神”に勝てるはずがないと、思ったゆえの言葉なのだろう。 「覚えておくがよい」 老爺の声はあくまで静かだった。 「臆することは敗北、すなわち死だ。」 少年の顔面を捉えた老いた手に力が籠もる。 「ほあああああああああああああっ!」 鋭利な一声と共に、奇妙な靄のような何かが刹那、老爺の腕を覆う。 途端に、タムタムの体は吹き飛ばされて地に転がった。 老爺の鶴髪がさらりと流れ、その背に落ちる。 「すまんな。」 彼は倒れた若者を振り向かず、穏やかに呟く。 「臆することは敗北、すなわち死・・・・・・。」 老爺の目の前に、短刀を手にした娘が立っていた。 何の動揺もない冷めた目が老爺を捉え、レラは手にした宝刀を、くるりと回転させる。 「同感ね。」 レラは、地に倒れ伏した異国の勇者に一瞥を投げる。 (なのに何故、闘いたくないなんて思うのかしら。あなたも、ナコルルも。) その紅い光を帯びた瞳は、目の前の老爺に再び向けられた。 その時、レラは気づく。 風。 風が流れ渦を巻き、この老爺の体を常に取り巻いていることを。 「レラ ウウォマレ トゥム。」 ぽつりとレラは呟いた。 それはアイヌの言葉で、”風を集める力”を意味する。間違いなく、この老爺はそれを持っている。 老爺を取り巻き渦巻く風は、自然に流れ行くものではなく、彼の力で操られているのだ。 ポクナモシリ(冥界・魔界)からやって来た、血に錆た剣を振るうカミアシと対峙したあの時、感じた風と同じもの。 レラが静かに告げる。 「あの時、彼を救けたのはあなたね。」 老爺は何一つ表情を動かさず、肯定も否定もその面(おもて)に見せることなく。 ただ、鋭く静かな視線で、レラを見据えていた。 「娘。そなたに何ら恨みは無いが・・・・・・邪気を持つ者を捨ておくわけにはいかぬ。覚悟は良いな。」 「でも私も、大人しくあなたに殺されるわけにはいかないのよ。」 レラは宝刀チチウシを素早く手の内で回転させ、刃を構える。 「私一人の体じゃないもの。」 娘が鋭く声を放つ。 「シクルゥ!」 声に呼応し、虚空から銀色の大柄な狼が現れる。 獣は、娘に寄り添うような位置で低く構えていた。 覇王丸と七本刀の男は、流石に目を丸くする。娘が操るのは剣技だけではないらしい。 この娘も、先ほど老爺に倒された若者と同様、並みの者とはどこか一線を画した存在であるようだ。 「若さゆえ死に急ぐ、か。」 僅かに苦笑を浮かべた老爺は、次の刹那獣を従えた娘に鋭い視線を据え、 手にした大陸の刀を構えた。 「参れ。」 空いた手は、人差し指と中指がつけて伸ばされ、後の指は掌へと握られる。 大陸で剣指、または剣訣と呼ばれる構えであった。 微かに、砂利の動く音が耳に届き、 覇王丸は、この光景を並んで見やっている七本刀の男が動いたことを知った。 「撫子っ!」 刃が、老爺とレラとの間、空を割るように舞う。 二人はほぼ同時に、身をかわし飛び退く。 色鮮やかな花弁が散るが如き一閃。 舞を感じさせるほど優美でありながら、触れれば致命傷となる恐るべき剣の軌跡。 正に一撃必殺。 背後に身体を回転させて跳び退き、体勢を立て直した老爺は割り込んできた倭国の男を見据える。 老爺を流し見た男の目にも、刃に似た冷静な光があった。 果たして常人ならば、かわし切れたかどうかも危うい。 これほどの凛冽なる剣気を、肌身に感じたのは久しいことだった。 (・・・・・・倭国にもこれほどの使い手が育ったか。) 撫子と名付けた抜き身の刀を手に、七本刀の男は立ち上がる。 「野暮はこの辺にしときなよ。お二人さん。」 悠々とした声が響いた。 「そこで寝てる奴、死ぬ気であんたらを止めようとしてたんだぜ? それを見ても、何も思うところはないのかい。」 「貴公には関わりのなきこと。」 老爺が重々しくも静かに告げる。 「目の前でやられちゃ、関係なくもないだろ?」 男はレラの前に立ち、大陸の老爺と向かい合う。 「どうしてもやるってんなら、爺さん。」 彼は何処か人懐こさを含んだ涼しげな笑みを浮かべたまま、 だが油断なき視線で老爺を見据えた。 「代わって俺が相手するぜ。」 「・・・・・・無益な戦いに割く暇(いとま)はない。」 「余計なお節介ね。」 男の背後で、レラが素気無く言い放つ。 「あなたが出てくる理由は何もないでしょう。邪魔をしないで。」 「なくはねぇよ。男は腕っ節が強く生まれついてるが」 男はレラを振り向き、片目を閉じてみせる。 「そりゃあ女を守るためにあるもんだ。」 レラは男を見返す。 その目にも、その表情にも、細波一つ立たない水鏡の如く 何一つ、感情の揺らぎは表れていなかった。 「必要ないわ。私は私が護る。」 男は刹那眼を瞬くが、レラを見て笑んだ。 「こりゃあ、たいした女丈夫だねぇ。あんたの心意気にゃ惚れるが、男の面子ってもんを立たせてもらえりゃ有難ぇ。」 その言葉に、レラは表情を作らぬまま穏やかに返した。 「つまらない好奇心で、余計なことに首を突っ込まない方が身のためよ。」 「こいつが片付いたら考えとくぜ。」 そう言った男は、大陸の武芸者である老爺に向き直る。 「いざ尋常に、と行くかい?」 「己に関わりなき些事に命を賭けるか。」 低く言い放ち、老爺は再び手にした刀を構えた。その時。 「こいつぁ良かねぇな。もう脈がないぜ?」 覇王丸が、その場にいた者すべてに届く大声を出し、倒れた若者の手首を取りつつ肩を竦めていた。 「馬鹿な。」 鶴髪の老爺がぽつりと言う。 動揺は見られないが、声には訝しげな響きがある。 「邪魔されて頭に来たのかもしれねえが、いきなり殺しちまうってのは乱暴だなぁ、ご老体。」 「眠らせただけだ。命に関わる内頚は放っておらぬ。」 「爺さんはそのつもりでも、ついつい加減を間違えちまった、ってことはあり得るだろ?」 覇王丸は言いつつ、タムタムの腕を取って担ぎ上げる。 「道端に転がしとくわけにもいかねえやな。蝦夷のお嬢さんは、連れを見てやらなくていいのか?」 「・・・・・・死んだのなら、看護は必要ないでしょう。」 言いつつ、レラは老爺でなく覇王丸の方に向き直っている。ただ短刀を持った手は、いつでも反応できるように意識していた。 「とりあえず、ここを出て宿をとるか。」 覇王丸はそのまま、彼の刀の河豚毒とタムタムを担ぎ、歩き出した。 その後姿を見ていたレラは、老爺をその目に捕らえているシクルゥを見る。 「爺さん。」 割って入った男に呼びかけられ、老爺は彼に視線を移した。 「あんたにも事情があるんだろうが、若い女を血祭りにあげようってのはいただけねぇぜ。 ましてや、孕む赤子をもろとも斬るつもりかい?」 レラと老爺は、同時に目を見張る。 「あんただけの体じゃねぇんだろ?」 男はレラを振り向き言った。 「・・・・・・くだらない勘違いをしないで。行くわよシクルゥ!」 レラは男と老爺に背を向け、狼を伴い覇王丸が消えた方向へと歩き出した。 「あァ、やっぱ生娘か。」 男は小さく呟く。 「余計な寄り道かもしれねぇが、俺の立場からするとあの連中をほっとくわけにもいかねぇ、か?」 七本刀の男は、言葉と裏腹に楽しげな様子をその顔に浮かべて歩き出す。 覇王丸と蝦夷の娘が歩んだ方角へと。 老爺は、彼らの去った方向を見つめていた。 風を操ることによって空中に浮かび、自在に飛ぶ、という人にはなし得ぬ技を、 仙術を会得している身ゆえに操れる彼にとっては、 彼らが何処へ動こうと追いつくことは容易であった。 「もう一つの魂を孕むか。」 老爺は呟いた。 彼のみ感じ取った、微かな邪気を感じた娘に宿る別の魂の存在。 それそのものは邪悪ではなく、むしろ清浄な気を発しているが。 「あの娘・・・・・・一体何者か?」 老爺は目を細め、自身を取り巻く風に自身を運ぶよう命じた。 |