銀のしずく ふるふる 第二章 〜覇王丸と〜


重く立ち込める黒雲の群れが、空に重々しく立ち込めている。

日の光を永久に遮る如くに。

そんな空を見上げつつ、覇王丸は思い起こしていた。

近頃、日輪國に、つわものたちが集っているという噂を。

その領主・兇国日輪守我旺は、今の時代にも古の益荒男の気概を持つ人物らしいと伝え聞いている。

そして。

何やら、江戸幕府が彼を危険視し始めているらしい、ということも。

河豚毒と名付けた日本刀と、酒瓶一つを供にして

寂々とした通りを、覇王丸は歩む。

風の音のみが侘しく、何の気配もない町を吹きぬけていく。

日輪國が近付くにつれ、全く人気のない町が増えてきていた。


この男・覇王丸は、各地を旅して剣の腕を磨いている、元旗本家の子息だった。

今は家督を放棄し、修行の旅に日々を送っている。


ふと、人の気配。

覇王丸は目前に、一人の長身の男を見た。

妙に肌を晒した、紅を基調とした衣装を身に纏っている。

その全身からは怒気が感じ取れる。

紛れもなく、覇王丸に向けられたものだ。

無精髭がまばらに見える頬に、にっと笑みが浮かぶ。

「へぇ。なかなか傾いたなりしてるな、あんた。狂死郎が見たら悔しがりそうだ。」

江戸の町で評判を取る歌舞伎役者・千両狂死郎と、彼、覇王丸は顔馴染みで飲み仲間、

そしてお互い武芸を磨きあう仲でもあった。

語りかけられた若者には、その言葉を受け入れる様子は微塵も見られない。

その目には今や、怒気を越えた殺気が満ち満ちていた。

唇を噛みしめていた若者は、覇王丸を睨みつけ叫ぶ。

「オ前、アノ時ノ黒イ魔物カ! ナゼ再ビ現レタ!」

「魔物?」

珍妙な言葉に目を瞬く。

まったく覚えのない言いがかりをつけてきた、妙な風体の若者に対峙する覇王丸は、

若者が腰の後ろから引き抜いた、巨大な刀に目を留めた。

(初めて見る剣だな。)

この大刀の持ち主である若者は、どのような使い手か。

覇王丸が今、最も興味を持ったのはそのことだった。

魔物と呼ばれた理由を探るのはその後でいい。

「お前さんと会うのは今が初めてなんだがな。やり合いたいってんなら、受けて立つぜ。」

河豚毒と名づけた日本刀の柄に、覇王丸は手をかける。

「抜ケ。」

目に殺意を漲らせながら、唸るように若者は言った。



「タムタム。少し落ち着きなさい。この男はただの人間。邪悪な気配は無いわ。」

女の声がした。

覇王丸は声の主を見る。

「ダガコイツハ・・・・・・。魔物デナイトシテモ、ナゼコレホド似テイルノカ。」

振り向いた若者に、女の声が答える。

「一つ言えるのは、あのカミアシ(妖怪)はおそらく、この男の影ということね。

影が実体を持っても、本人が知らないことは多いわ。」


これまた、初めて見る。

覇王丸はそう思った。

その短い黒髪の娘が纏っているのは、蝦夷地の衣裳。それを見ること自体は初めてではない。

ただ、こんな目をした年若い娘を見るのは初めてだった。

氷の如く、刃の如く冴え渡り、凛と底冷えしている光。

"殺めるもの"の目の光。

それが、娘らしい甘い輪郭を残す澄んだ目に宿っている。

この娘は剣士。闘うこと、殺めることを知っている者だ。

顎に手をやり、娘を見やる。

(どれほどの腕前か、見せてもらいたいもんだ。)

「あんたの連れかい?」

覇王丸は顎をしゃくりつつ、娘に問う。

「今のところはね。迷惑をかけたけれど・・・・・・あなた・・・・・・その殺気。

この先その身にどんな禍を招くか、わからないわよ。」

娘が覇王丸を見据えつつ、静かに告げた。

「そりゃ、ご忠告どうも。だが別にそれが災難だとは思っちゃいないもんでね。」

娘は何も言わず、表情も変えずに覇王丸を見ていた。



「せっかく可憐な花が咲いてるってのに、妙に殺風景だな。惜しいねぇ。」

じゃり、と地を踏みしめる音が耳に届く。

覇王丸と若者、娘の三人は、現れた声の主を見やる。


一人の男が、笑みを浮かべながら立っていた。

「あんたは。」

「また会ったな。」

黄の着物を纏い、六本の刀を差し、巨大な太刀を持つ若い男。

飄々とした様子の男は、片目を閉じつつ覇王丸に声をかけた。


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