剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃 サムライスピリッツ新章 書伝侍魂
侍組・うりわり南 著
其の壱
第一話 雨煙(蒼志狼と迅衛門) 第二話 遭遇(凛花) 第三話 群影(服部半蔵)
第四話 因縁(銃士浪とサヤ) 第五話 土龍(つむじ風の臥龍)
第一話 雨煙
雨が降っている。
遠く雷鳴。空のかなたは、焼け爛れたように紅かった。
暗雲の切れ間から大気が夕立となり、強く時には弱く、地面に叩きつけられている。
春の煙雨がしのつく離天京の街中で、今、二人の侍がたたずんでいた。
「ふむ、このとげとげしい気。
…何やらさっそく不穏な気配がいたしまするな、若」
幕府方御庭番衆、裏目付・花房迅衛門は、じょり、とあごひげを撫でた。
この老練の隠密の眼は今、離天京の彼方にそびえる真っ黒い城塞を見つめていた。
離天京。幕府の法に裁かれた罪人達を更正させ、隔離する目的で作られた絶海の孤島である。
本来は幕府領内であるはずのこの街に、数年前から非合法政府ができあがった。
――――天幻城と呼ばれる巨大な城塞に棲み、離天京を支配する三人の主魁。その名を、覇業三刃衆という。
今回、御庭播州に下った密命とは、奴らがここで企む「何か」を調査することだった。だが、……
「剣気か。…聞こえるか、迅衛門。あいつが俺を呼んでいるのを」
迅衛門の横でぽつりと言ったのは、同じく若頭・九葵蒼志狼である。
一七歳の若さで、幕府の御庭番衆を束ねる天才剣士の横顔には、みじんの欠点もない。
物静かな表情も精巧な細工物を思わせる。だが、その腰に差した刀が、先ほどから鈴の音にも似たうなりを上げているのは、迅衛門の気になるところであった。
――――とうとう、この時が来たか。……
蒼志狼をこの離天京に引きつけたのは、御庭番衆としての役目よりも、あの紅眼の男の噂、
――――父より受け継ぐ九皇天昇流、その継承者の証したる、蒼紅一対の片方だったに違いない。
数年前、蒼志狼が義兄と呼んでいたその男は、彼の実父を斬ると共に片方の刀を奪い、行方知れずとなった。
この国の剣史では陰にこそ隠れているが、九皇天昇流の継承者とは、すなわち最強の剣士を意味する。
それを目指す蒼志狼の手には、証のもう一対、蒼き刀がある。奴が今、天幻城にいると聞けば、動くのは道理。
おのが強さを極める。――それが剣士の定めとはいえ、かりにも兄弟と呼ばれた二人が戦うのは、一体いかなる因果なのか。……迅衛門は複雑な思いに駆られた。
――――その耳が、足音を拾う。
「むっ、…誰か来ましたぞ」
愛槍・活殺十字槍に思わず手を掛けた横で、蒼志狼も振り向いた。その側を一つの影が、どん、とぶつかる勢いで走り抜けた。
それは、背中に負った長剣の重みに似合わぬほど、可憐な美少女であった。
第二話 遭遇
「どきな、侍!」
吉野凛花は、雨の中に突っ立っていた二人の侍に怒鳴りつけ、突き飛ばした。
遠慮斟酌の余裕もないほど、せっぱ詰まっていた。立ち止まると振り向きざま、背後から迫る殺気に向けて、背中に差した刀を抜く。
凛花の眼前に刃が落ちてきた瞬間、長剣はキンと鋭い音を上げて、弾き返した。
「見つけたぞ!志士の小娘!」
凛花が構えた。雨煙の下に、女郎蜘蛛かと見まがう斑模様を全身に描いた女達が現れていた。朧衆。
――――覇業三刃衆の一人にして妖術師、朧の元で働くことから、その名を冠する暗殺集団である。
側に立っていた若侍らを、凛花の仲間と見なしたらしく、四方を囲い込んできたのと、
「若、覚悟はよろしいですかな。 さっそくこの街を食い荒らす虫どもが現れたようですぞ」
中年の侍が不敵に吐かし、着ていた羽織をハラと宙に投げたのは、同時である。
凛花は、鍔せり合いをしていた朧衆を力一杯突き飛ばすと、二人の侍を庇う位置に飛んだ。
「いいかい、やるんじゃないよ。こいつらはあたしがやるんだ!!」
と言い終わらぬうちに、朧衆が一気に三人へ襲いかかってきた。
身構えた凛花の前に、すっと立ちふさがったのは若侍の方だった。端整な顔立ちをしているが、その手元から蒼い柄の刀が鞘走った時、凛花は悪寒を覚えた。
……こいつ、何者。……
若侍の腕が自在に動いた。そのたび、稲妻にも似た蒼い光の束が縦横に走り、朧衆の五体に叩き込まれていく。
目にもとまらぬ早業だった証拠に、身を入れ違えた朧衆が立ちすくんだ後ろで、若侍は既に刀を収めていた。
何事もなかったような顔をしている。
「行くぞ、迅衛門」
若侍は言った。二つの影は、なすすべもなく見送る凛花の前で、雨の中に消えていった。
肩に一匹の鼠が飛び乗ってきたとき、凛花は我に返った。天涯孤独の彼女が唯一の道連れとする、愛鼠・鉄之介である。
「大丈夫、鉄之介。ケガはない?」
やさしく言った凛花の頬に、血潮が散った。はっと辺りを見回すと、それまで血の一滴も上げずに硬直していた朧衆の肉体に、無数の断裂が走ったのが見えた。
それは一瞬の後、ばらっ、と包みでも開くように崩れ、肉塊の堆積物にまで分解されると、血溜まりの間に沈んでいった。――――
凛花は厳しい顔を雨の向こうに向け、立ち上がった。
「あいつ、ただ者じゃない。……きっと幕府の犬だ。
……銃士浪達に知らせなくちゃ!!」
雨が上がって晴れ間が見えてきたとき、通りには影の一つも残っていなかった。
第三話 群影
離天京に訪れる、満月の晩であった。
白く冴えた月影は廃墟の社を照らし、闇の中、死骨の如く累々と横たわる大量の梁や柱を縁取っている。
闇の向こうから走りながら現れたのは、一人のゴロツキであった。
いや、格好はそうと装ってはいるが、無駄のない筋肉や乱れのない足さばきから、よほどの鍛練を積んだものと知れる。
そのただならぬゴロツキは、地に膝をつくと、何者かを待つように頭を垂れた。
「遅かったな、帰れぬと思ったぞ」
ふっ、と吹いた風が言葉となり、空気を震わした。
顔を上げたゴロツキの前には、いつどこから現れたものか、黒装束で固めた一個の影が立っていた。
服部半蔵。――――天下の公儀隠密たる伊賀忍者の宗家、その頭目である。
主君である将軍家すら、素顔を見たことがないという、忍びの中の忍びであった。
「離天京の様子はどうだ」
半蔵の問いに、ゴロツキ、……いや、配下の伊賀者は答えた。
「はっ、覇業三刃衆の支配はこの離天京の隅々にまで行き渡り、しかも暴虐をきわめておる様子。
民は荒れ、志士と名乗る謀反の輩やならず者達が、三刃衆の足下をすくおうと動き出しております」
「事は急ぐようだな。離天京を掴んだ覇業三刃衆の目は、上様のお膝元に向けられておるはず。
更に下々の者まで動き出せば、その波は江戸にまで流れ込み、……天下には大乱が起きるぞ」
半蔵の危惧通り、日本史上類を見ない長命政権である徳川幕府は、この頃、ようやく疲弊の色を見せていた。
財政が苦しい反面、支配者側の搾取のために、諸国でも大規模な農民一揆がいくつか起こっている。
米価も上がり、従って都市の治安は以前より格段に悪くなった。
そうして今、徳川に不信を抱き始めている民の中に、離天京の動乱という発破が投げ込まれれば。
……と半蔵は恐ろしい予感に慄えた。
「その覇業三刃衆が事ですが、……首領の名が解り申した」
「何者か?」
「は、朧と名乗る妖術師ということにござる。どうやら百八の外法を自在に使うとか……」
配下の報告を聞き、半蔵は沈黙した。
ふと、何者かの姿が見えてくる気がした。ぼんやりとだが、朧と呼ばれる男の画像が頭の中で結ばれ、それはかつて先代に聞いた、ある忍びの話と結びついてくる。
……それがもし、かの者だとすれば……。
「お頭。こたびのお役目は悪い予感が致します。何卒、我らにお任せ下され」
伊賀者が鬼気迫る声で言った。暗闇の向こうには幾十、幾百という伊賀者達の気配が潜んでいる。
「いや、わしが直々に行く。朧を斬らねば、わしやうぬらの命なぞよりも、……この国すら無うなるやもしれぬぞ」
そう言って半蔵は、頭上の曇り無き月を仰いだ。
頭巾から覗いた両眼は、意外なほど若々しかった。
第四話 因縁
廃墟の杜から離れた、森木立の中であった。春の宵風に楠の梢が揺れ、そこに隠れる数は二つ。
樹齢何百年もあろうかという楠の木に隠れ、伊賀忍者服部半蔵の様子を窺っていたその影は、相手に尋ねた。
「どうだ、サヤ。やっぱり伊賀忍者のお出ましだろう」
影は月明かりで男と知れる。高い鼻梁に引き締まった口元は薄情、かつ飄々とした色をたたえているが、時折凄みの翳がちらついた。
腰に挟んだ業物は独自の工夫か、鞘から銃床の握りらしき取っ手がついている。
刀とも長銃とも見えるそれをどう使うのかは知れぬが、ただ者ではないと察しはついた。その彼がサヤと呼ぶのは、
「そんな余裕を決め込んでて大丈夫? 銃士浪。凛花の話じゃ、伊賀者だけじゃなくて、御庭番も朧を狙ってここに入ってるそうよ。
高みの見物なんかしてたら、先越されちゃうかもね」
と言って遠眼鏡を覗く影、その肢体をかたちづくる線は、ぞくっとするほど艶めかしい。横顔も息を呑むような色香に溢れた、金髪碧眼の女であった。
下衆には容易く手折られぬ、野生の薔薇そっくりの美しさに棘を添えているのは、腰に挟んだ二丁の鎌である。
銃士浪と呼ばれた男はふふんと笑うと、大人の胴ほどはありそうな枝の上に、背中をもたせかけた。
「幕府の犬はせいぜい三刃衆の注意を引きつけておいてくれればいいのさ。その隙をついてこの俺が天幻城に乗り込み、朧さえ倒しちまえば。……」
「三刃衆から離天京は解放される、でしょ? 大した自信だけど、そんなにうまくいくかしら」
「何言ってる。舞台から役者を下ろすなら、これぐらいがちょうどいいのさ」
「どうだか。 …あなたが朧を倒したいホントの理由だって、誰かさんの敵討ちなんじゃなくって?」
サヤの皮肉に、銃士浪は答えなかった。その笑顔に少し暗い翳りがはかれたが、それもすぐ消える。
「それよりそろそろ教えてくれよ。朧の居場所、つかんでいるんだろう?」
「教えて上げてもいいけど、朧は私の獲物なの。……首は私がいただくわよ?」
サヤは腰に手を当てて、妖艶に微笑んだ。
地下に潜って離天京に政権を打ち立てる挙を狙う、革命勢力。――――志士と呼ばれる者達の頭領・榊銃士浪と、離天京で知るものぞ知る美貌の暗殺者・サヤ。
情を交わしたわけではないが、互いに堅気とは言えぬ者同士。
つかず離れずの腐れ縁を続けているうちに、時折、稼業の動きも共にするようになった次第であった。
「これは噂なんだけど。……天幻城の最上階、隠し通路を抜けた神殿では、朧が毎晩ある儀式をやっているらしいわ。
…そこから死骸が運び出されたのを見た者がいるって話も、……あら、銃士浪?」
サヤは辺りを見回し、いつの間にか銃士浪の気配が消えているのに気づいた。
どこからか、肌寒い風が吹いている。風は銃士浪が先ほどまでいた枝を揺らすと、サヤの頬を飄々と撫でていった。……
第五話 土龍
ミシ。……と紙一枚も入る隙間もないまで石で組まれた壁に、一筋の亀裂が入った。
亀裂は見る間に網の目のように広がり、ドゴーン、と轟音。音は岸壁にこだまし、天の岩戸と見紛う堅固な石牢は砕け散った。
木っ端微塵になった壁の破片と、濛々たる砂煙が、坑道一杯に舞い飛ぶ。
離天京外れの隠し金鉱、その奥深くに設けられた牢獄が、何者かによって破られた瞬間であった。
岩壁に開いた穴から、ユラ、…と影が坑道に現れ出た時、金鉱の看守は振り向いた。
「何者!!」
刀を抜いて叫んだ瞬間、看守の懐に砂風がゴッと渦を巻いた。
足払いをくったのだと気づいた時、看守は強烈な重みに胸を踏み押さえられている。影は巨体に似合わぬ、敏捷な動きだった。
「おゥ、おめえがこの金鉱の看守かい。若え割にトロくせえのう」
影は看守を見下ろしながら、低く笑った。ほこりにまみれた顔は強面ではあるが、どこか愛嬌が漂う。
その一つしかない目は不敵に細められ、片袖が風にぶらぶら揺れている。としたら、それは。……
「お、おぬし、まさか、……つむじ風の臥龍か。……」
看守は、うめいた。
かつて、全国六十余州を震え上がらせた伝説の大山賊、手下の数は数百数千とも言われ、盗んだ財宝に至っては星の数。
その名が示す通り、行く先に金品が残ったためしはなく、得物は風のごとき素早さでかすめ取るという。
それが数年前から朧とさる取引を交わしたために、ここ離天京にある金鉱脈の奥深く、断崖絶壁の牢獄に幽閉されていたと聞くが。――――
「てやんでぃ、外道に名乗る名なんかあるか。朧め、ワシの子分を殺したそうじゃあねえか?」
ぬっと臥龍は顔を突き出した。へっと気を抜かれる看守の前で、隻眼がぎろっと怒りに剥かれた。
「朧のクソジジイに伝えときな。てめえの外道っぷりには、必ずお天道様のバチが当たるぜ、
――――このつむじ風の臥龍との約束を破ったうえは、てめえの命を頂戴しに上がるとよッ!!」
「くぅー、オヤビィィィン!! 格好いぃぃーっ!!」
ぱちぱちぱち、と拍手。臥龍の後ろでは、手下とおぼしき出っ歯の小男が、泣きながら歓声を飛ばしている。
これが脱獄の手引きをしたと見え、振り向いた臥龍は顔をくしゃっと歪ませた。
「おう、チョビ助。山賊に泣くなァ似合わねぇ。こんなカビ臭え牢屋たぁさっさとおさらばして、是衒街てえ盛り場とやらで、いっちょう仲間の弔い酒というこうじゃねえか!!」