剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃 サムライスピリッツ新章 書伝侍魂
侍組・うりわり南 著
其の弐
第六話 血華(夜血と灰人1) 第七話 狂月(夜血と灰人2) 第八話 子鬼(乱鳳と陀流磨1)
第九話 風鳥(乱鳳と陀流磨2) 第十話 炎眼(朧と九鬼刀馬)
第六話 血華
離天京、是衒街。――――そこは、離天京の中でも、更に世間の規矩に馴染めず流れてきた、無法者の中の無法者たちのたまり場だった。
退屈を持てあました剣人、貧困にあえぐ町人、それらから儲けようとする商人、売春婦、芸人、無宿者。
――この街は、今日も殺伐とした喧噪を見せていた。
その路地裏で今、ぶっしゃああ、と血飛沫が羽目板を染め上げた。
肉片が散り生首が飛び、刀が閃々と交錯する。ゴロツキが草鞋をすっ飛ばして走る。
修羅場の真ん中で刀を連撃で振るい、次々と屍を作り出すのは、狂犬のごとき殺気を放つ一人の男である。
「な、何びびってやがる!! この手勢で半々の若造一人――――」
負けるはずがない、とでも言いたかったのか、言葉を終えぬゴロツキの下顎が、顔から斬り飛ばされた。
例の男が身をひねりざま、刀を横殴りに払っている。凄まじい速さの逆手居合であった。
「……半々、……?」
男の目の奥にゆらり、と青白い炎が燃え上がった時、ゴロツキたちは、己らの愚を悟った。
是衒街に自衛と称して群れる侠客集団、その組織内ではよくある喧嘩沙汰であった。
いかに相手が侠客集団の裏頭とはいえ、一体十数人、手勢に物を言わせて斬れるはずであった。
だが、そのたった一人の敵の前で言えば、生きて帰れる者はないと言われる言葉があった。――――その男が心の深淵とする、異端の生まれである。
「……驕るな」
眼を見開いた男が、ずい、と一歩歩み寄ってきた。その氷のごとく冷たい無表情に、ゴロツキたちは寒気を覚えた。
しょせん体面も意地もなく、本能のみで生きる者たちである。次の瞬間には一目散に逃げ出していた。
それを男は地面を蹴って追った。
うぎゃあああああ――――……と是衒街の一角に断末魔の悲鳴が響いた。
春の宵。是衒街の遊郭の一座敷では、通りに植えつけられた桜が風に散っている。
「今夜は花が綺麗だなァ。……そうは思わねえか、ナミ?」
燃えるような比翼重ねの緋布団の上で、侠客集団表頭・十六薙夜血は言った。
傲慢、狡猾ともとれるその眼は半開きとなり、障子の向こうに立つ桜を眺めている。
是衒街いちの太夫・那美乃は、その腰を黙って揉んでいた。
その男とは思えぬ白く細い指が止まり、憂いを帯びた美しい顔に怯えが走ったのと、障子が開く音が同時であった。
「遅かったじゃねぇか。……灰人」
夜血がゆっくりと身を起こした。すわった目で、廊下を見る。
「何の用だ、夜血」
そこには修羅のように全身返り血を浴びたその男、七坐灰人がむっつりと立っていた。――
第七話 狂月
「何の用だ、夜血」
侠客集団裏頭・七坐灰人はぶすっとして言った。
弦歌さざめく離天京・是衒街の遊郭である。傾城屋の一座敷に、血の臭いをぷんぷんさせながら現れた灰人を見て、
太夫・那美乃はスッと立ち上がった。その眼に嫌悪の色がちらついた。
「夜血、……あまり無理はしないでね」
「ああ、わかってるよナミ。お前はちょっと外出ててくんねえか」
那美乃は素直に座敷を出ていった。それを侠客集団表頭・十六薙夜血は見届けてから、
「灰人さぁ。ちっとは賢くなれよ。気に入らねェ奴は斬るだけじゃなく、利用する手もあるんだぜ」
布団の上に膝を立てた。その差し向かいでは、灰人が胎児のようにうずくまって、懐から取り出した媚薬をがりがり無心に噛み砕いていた。
この男、今や相当な薬狂いである。
「この離天京で生き残りたきゃ、ココを使うんだよ、ココをよ。お前みてえに見境無く斬ってると、いつかその刀で命を落とすぜ?」
夜血は自分の頭を、こんこんと指先で叩いた。
「お前だって、気に入らない奴は結局殺す」
「かもな。覇業三刃衆。あれ、そろそろ殺ることにしたぜ」
灰人は眼を夜血に上げた。瞳孔が開き、眼光が異様にぎらついているのは、薬のせいだけではない。
身を乗り出してきた夜血の肩越しに、血の澱んだような赤い月が浮かんでいた。
「何、俺ら今まで、あの朧とかいう爺と手ェ組んで、色々儲けさせてもらってきたけど、そろそろ潮時ってやつだろ。
それに、あの命とかいう三刃衆の巫女、これからの俺の計画を邪魔しそうな気がすんだよ。
……息の根止めんなら、奴らが動くより前の方が何かと都合がいいと思ってよ。
……おい、聞いてんのか灰人?」
その言葉を遠いもののように聞きながら、灰人は、ぼんやりと夜血を見つめていた。
いや、夜血の背後に浮かぶ月を見つめていた。薬の効き目で歪んだ視界でその色は、あの忌まわしい男の瞳と二重写しとなる。
生命ある者はすべて見下す、紅い瞳。自分と同じ異端に生まれついた者でありながら、この離天京を支配する、赤い瞳だった。
……気に入らねえ。
媚薬の効き目で眩暈を起こした頭の中で、奴に見下された屈辱と、激しい嫉妬が溢れた。その奴とは、覇業三刃衆が一人。
――――九鬼刀馬。
「……それは、いいかもしれねえな。夜血」
灰人は陶然とした口調で言った。
第八話 子鬼
真っ昼間の離天京・是衒街の界隈では、小さな店や行商人が寄り集まって商いをしている。
殺意と悪意が渦巻き、いつも殺伐としているこの盛り場でも、道の脇に品物を並べて商売に精を出す者、それら買い物を楽しむ者、見せ物を見る者達がいる。
思い思いにささやかな日常を楽しんでいたのである。
突然、通りの向こうが騒がしくなった。狂気のような叫び声が上がる。
「どけどけどけーえっ!!」
買い物をしていた通行人が、驚いたように道を開けた。その間を鳥のように敏捷な影が、ささっと通り抜けた。
十歳くらいの子供であった。それを行商人らしい親爺が棒を振り振り、息せき切らして追いかけてくる。
「こんの子鬼! 毎日毎日わしんとこの餅を盗みおって、今日という今日は勘弁せんぞ!!」
「へっへーん、捕まえられるもんなら、捕まえてみろっての!!」
走りながらせせら笑った少年の両手には、確かに餅がいっぱい握られ、ほかほか湯気を上げていた。
少年の顔を見て、通行人の一人が舌打ちと共に言った。
「また乱鳳の奴か。……」
この乱鳳は、孤児と生まれてこのかた、物を買ったことがない。欲しい物は盗む、しかもそれを生きるために当然の事と疑わないのである。
なまじ大人より腕が立つために、悪党ひしめく離天京でも『子鬼』と異名をとる、まさに札つきの悪ガキであった。
是衒街の人々は半ば呆れ顔で、どうしようもないという風にこの孤児を見送っている。
その乱鳳めがけて、先程の商人が棒を突き出した。その上を乱鳳は飛んだ。群衆の顔があっと上げられた。
乱鳳は、信じられないほど高く飛んだのだ。そのまま、長屋の屋根に張り巡らされた物干し縄をはっしと握り、大車輪のごとく回りだす。
うそっ、と顔をひきつらせた親爺は顎を蹴っ飛ばされ、音を立てて地に転がった。乱鳳はせせら笑い、
「全然ダメじゃねえか、ざまァ見ろ!!」
伸びきった縄を離し、乱鳳は空中からゆっくりと着地した。
一歩走り出したその体が、ドンと前に立っていた何者かにぶつかり、はね返る。イテテ何だよ、と見上げた乱鳳の顔があっと驚いた。
「ほっほっほっ、久しぶりじゃのう乱鳳。元気そうで安心したわい」
「あっ、オジイ。まだ生きててやんの。 ……うっ、相変わらず臭えな」
街の人々もおおっ、と驚いた顔を、乱鳳の前に立ちはだかる人物へと向けた。
そこには、全身ボロをまとった薄汚い風体の老人が、にこやかな顔で立っていた。
第九話 風鳥
「ほっほっほっ、乱鳳。相変わらずしぶとく生きておるようじゃのう。結構結構」
是衒街の悪ガキ・乱鳳にオジイと呼ばれた老人は、乱鳳の頭にぽんと手を老いた。
この老人、もちろん名は別にあり、陀流麿という。だが、それ以外の正体は知れず、定まった住処も持たない。
放浪の旅のうちで暮らしながら、何年か二一度、ふらっとこの離天京に現れるのだ。
自分が親代わりと自称する悪ガキ二人、『子鬼』どもの顔を見に来るためだが、この退屈を極めて嫌う養親、旅続きでいささか放任が過ぎるようだ。
「ちぇっ、気楽なこと言いやがって。こっちはちっとも結構じゃねえっての」
乱鳳はぷいと横を向いた。ガキはガキでも、親の懐へ抱きつくような可愛げはかけらもない。
「ところでオジイ、眠兎は一緒じゃなかったのか?」
「うん? 眠兎がどうしたのじゃな?」
「あの野郎、家をプラっと出てったきり、もう十日も帰ってこねえんだぜ。前にもこんなことはあったけど、こんな長いのは初めてだ。
あーあ、あいつも腹空かしてんだろなァ。……」
乱鳳は一丁前の嘆息で締めくくると、先程盗んできた餅を頬張った。
眠兎とは今年七歳になる、乱鳳の妹分である。乱鳳と同じように、赤子の頃に実の親に捨てられたところを、陀流麿に拾われた。陀流麿が気楽な一人旅に出ている間、二人は是衒街で勝手にたくましく成長してきたのだった。陀流麿は声を上げて笑った。
「ほっほっほっ。さすがの乱鳳も眠兎がおらぬと寂しいと見ゆる。で、探しに行くのかな?」
「関係ねえだろ、そんなこと。ほれ、餅やるよ。どうせろくなもん食ってねえんだろ?」
乱鳳は殊更ぞんざいに言うと、食べかけの餅を陀流麿に押しつけ、大鎚を握った。
鳥を象って作られた大鎚の頭部には、笛のような穴が幾つか穿たれており、風が通り抜けるたびにホロホロ啼いた。
「うん、南風らしいや。乗れそうだな。それじゃオジイ、またなっ!」
乱鳳は地面を蹴り、鳥のように空に舞い上がった。何とこの少年、風を読みそれに乗るという、特異な技を持っていたのである。
青空の彼方に遠ざかる乱鳳の姿を、陀流麿は笑顔で見つめていた。
だが、笑いは一瞬で顔から拭い消された。
「やれやれ、子鬼らはようやっとるようじゃて。……わしも行かねばならぬかな。……」
と呟いた陀流麿の視線は、青空の下でも黒々とそびえる、天幻城の影に向けられていた。……
第十話 炎眼
涯の知れぬ漆黒の闇。
四隅を暗黒に閉ざされた部屋は、古代の神殿を思わせる。間の中心には蓮形の台が据えられ、炎が赤々と燃えていた。
その周りを同形の小さな台が取り囲んでいるのは、聖壇か、政を行う明堂か。
突然、紅蓮の炎が、大きく揺れた。
ウウウウウ、と獣の唸りにも似た音が、空気を震わしはじめたのだ。
何かを激しく求めているようなその音は暗黒の四方に満ち、同時に闇の中央から、火の粉が高く舞い上がった。
無数の火の粉は、天井の一点に集まると渦を巻き、やがて、斑模様の女達を斬り倒す男の画像をくっきりと映し出した。
男は幕府隠密方若頭・九葵蒼志狼だった。
「……来たか。……蒼志狼。……」
闇から、若い声が響いた。明晰とか透明とか言うよりも、冷酷に近い声だ。
声の主は、白い肌に精悍な顔をした剣士だった。台の側で腕を組んで、仁王立ちしている。
その眼窩に埋め込まれた紅い両眼は、天井で制止した蒼志狼の幻を、じっと睨んでいた。
「刀馬殿。あれがそなたの探しておった、もう一人の剣士ですかな?」
剣士の横では、目を細く閉じた老人が、天に映る幻像を見上げている。笑っているような顔は一見好々爺とも思われるが、どこか不気味な雰囲気が漂う老人である。
覇業三刃衆の頭目・朧であった。
「そうだ。奴は必ず来る。……俺の持つ、この紅い刀を取りにな」
刀馬と呼ばれた剣士は、先程から腰で異様なうなりを上げている刀を、握った。血のように紅い柄の刀だった。
朧はだらしない笑顔を吹き消し、
「あれもおそらくは、光の巫女に導かれてきた者。……この島に忌まわしき光が続々と集まっておるのを感じまする。
――――わかっておりましょうな。刀馬殿」
くわっと赤黒い目を剥いた。相手の心胆を一撃で射抜くような、鬼気迫る視線だった。
「特に、そなたと蒼志狼はともに育った仲と聞きまする。……しかし我らにとり、この国を腐らせた徳川の犬は滅ぼすべき不倶戴天の敵。情け容赦は無用と心得よ」
「笑止な。要らざる心配」
刀馬は朧を睨めつけることで、その視線をはね返した。
「貴様は手を出すな。役立たずの朧衆と一緒に、俺が蒼志狼を倒すのを見物するがいい」