第一章 月夜の襲撃者
人に踏みならされた道とはいえ、険しい山道を行くには似つかわしくない少女の姿に、すれ違う人々の視線が集まる。
長い手足に真っ白な肌、透き通るような金の髪が木々の生い茂る森の中でそこだけ切り取られたかのように違う空気を醸し出している。
しかし、向けられる視線のほとんどは好意的なものではなく、好奇や恐怖を孕んだものだ。
この国で彼女、鈴姫と同じような髪の色を見たことがある者など、いないに等しい。
さらに彼女は自身の丈と同じくらいの荷を背負っている。白い布で幾重にも巻かれたそれが、幼い頃に殺された父の形見である大剣と
いうことを知れば、周りの反応はもっと酷いものになるだろう。
普通の十四歳の少女が持って歩ける重さではない。
天降藩主の幼女として不自由ない生活を送らせてもらってきた。けれど、その幸福な場所を離れても、大切な人を置いてきてでも
鈴姫にはやらなければならないことがあるのだ。
実の父を、母を殺した相手を見つけ出す。その決意が今鈴姫を突き動かしていた。
鬼だ妖怪だという声を聞き流し、鈴姫はひたすら街道を歩き続けた。
「…………!?」
視界が開け、いくつかの建物が見えてきた時、不意に首筋にちりちりと焼け付くような貴を感じて鈴姫は振り返った。
何度も浴びてきた悪意の視線とは違う、自分を監視しているような気配。
他の旅人が怯えるのは分かったが、鈴姫は警戒しながらゆっくりと背中のバスタードソードの布を解いた。
すると、こちらに向けられていた気配が気配がゆっくりと消えていった。
「…………なんなのよ、もう」
小さく呟いて、しまいなおそうと剣に目をやると、ひどい刃こぼれが何箇所も出来ていた。
それに、柄を握った感じもなんだかおかしい。
「参ったわね。……鍛冶屋を探さないと」
丁度、次の宿場町が見えてきたところだ。鈴姫は地面に落ちていた布を拾い上げると、適当に剣をくるんで駆けるように街道を進んだ。
「いや、こりゃあ、一日じゃ無理だよ。三日くらいかかるな」
「ええ!? 急いでるのよ、なんとかならない? あなたこの町でいちばんの鍛冶屋なんでしょう?」
「そう言われてもなあ……。こんな大きさのもの扱ったことがないからねえ」
「お願い! 本当に急いでるの!」
「うーむ」
白髭を蓄えた鍛冶は困った顔をしながら、机の上に置かれた鈴姫の手を見つめた。
「…………な、なによ?」
髪や顔ならば見つめられなれているものの、他人から手をまじまじ観察されたことなどなくて、鈴姫はたじろいだ。
「いや……」
「何だか知らないけど、……も、もういいでしょ!」
さっきまで、一回りどころでない年上を相手に詰め寄っていたとは思えないほど赤くなって、手を引っ込める。
「よし、明日までになんとかしてやろう」
「ほんと!?」
「ああ。……アンタのそのマメと傷だらけの手を見てたら、ずっと鍛錬を積んでたんだって分かるしな。
まあ、これだけの重さの剣を持って歩いてきたところで、すでに普通の女じゃないのは確かとは思ったが」
「な……! 失礼ねっ!」
「褒めてるんだがな。ちょっと待っててくれ……よっと」
男は弟子らしき青年と二人がかりで鈴姫の剣を置くへと運んでいった。いくつか指示を出すと、鍛冶だけ戻ってくる。
「明日の昼には直しておくから、今日は近くの宿に泊まって行きな。女将に俺の名前を言えば、少し安くしてくれるだろう」
「あ、ありがとう……」
旅路で久しぶりに受けた好意に、鈴姫は少し照れながら礼を言った。そういえば、この鍛冶は自分の容姿に驚きもしなかった。
「この通り沿いだから、すぐに分かるだろう」
「ありがとう」
宿の簡単な案内が書かれた紙を受け取り、鈴姫は今度は照れずに笑顔を返せた。
「……お、おう」
代わりに今度は彼が照れてしまったようだが。
「んー、極楽ぅ」
貸し切りにした小さな露天風呂で、鈴姫は至福のため息を漏らす。傍らには普段は懐にしまっている鉄芯入りの笛を置いている。
昼間、町の入り口で感じた気配に警戒してのことだ。
「ふふん〜、ああ〜♪ 天降の川に流れるはぁ〜♪」
とはいうものの、旅路についてからこんなにゆっくりするのは久しぶりで、鈴姫は上機嫌で鼻歌を歌い始めた。
頭には手ぬぐいをのせ、温泉の中に手足を伸ばす。
「お山の泉の…………」
歌が中断され、鈴姫の目つきが急に鋭くなる。
手はしっかりと笛を掴む。
「…………誰!?」
鈴姫がきっと睨んだ先は、温泉宿の建物内だ。
「くっそおおおおおお!!!」
この露天風呂に繋がる部屋から、刀を手にした男が飛び出してきた。男は目をつぶったまま、まっすぐこちらに向かってくる。
「舐めないでよね!」
「ひっ!」
鈴姫は裸のまま湯から飛び出し、右手に持った笛で男の刃を止めた。力を受け流し、腹を蹴り上げようとしたが、
男が刀を手放して後ずさりしたせいで、当て損ねる。
「ちいっ!」
捨てられたせいで足元に落ちてきた刃先をかわし、一度後ろに飛び退く。
普段、傍目からは分からないが、裸になってみると十四歳の少女とは思えぬほどの筋肉がついており、その肌理細やかな肌には、
無数の小さな傷跡が残っていた。
「お、おまえ……な、なんなんだ。俺は鈴姫って姫を捕らえたら金をやるって言われただけなのに……。
わ、分かったぞ!お前、影武者かなんかだろう!」
「金をやる?」
「ひいいい! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
尻餅をついてがたがたと震える男に、鈴姫も戦う気が失せ、構えていた笛を降ろした。これはただの素人だ。
「……残念だけど、アタシはあなたが狙っていた鈴姫本人よ。姫と呼ばれてても、強いけどね?」
「う、うそだ。姫はこんな野蛮じゃ……あぐっ?!」
肝の小さい男から漏れた言葉に、鈴姫は思わず笛を振りかぶって、勢いよく頭に叩きつけていた。
「あ、いけない。……大丈夫?」
「うぅ、ううううう……いてぇ」
ギリギリのところで力を逃せたらしく、男は頭を抱えて呻いている程度で済んだ。鈴姫は安堵の息を漏らしながら、
再度男に笛を突きつけた。
「さ、誰に雇われたか知らないけど、これに懲りたら二度とこんな情けない真似はしないことね」
「……あ、ああ」
「返事はハイ!」
「はいぃい!」
よしよしと頷いたところで、答える男の視線が妙に下に向いているのに気付いて、その視線の先を追ってみる。
たどり着いたのは十四にしては豊かな胸のふくらみ。
「………………あぁんたねぇ!」
裸であることを忘れて説教をたれていた自分も悪いが、九分九厘はこの男が悪い。間違いないと心で呟き、鈴姫は両手で鉄芯入りの笛を握り締めた。
殺気を感じてか胸に向いていた男の目が、再び鈴姫の顔を捉えた。しかし、もう遅い。
男が鈴姫の怒りに塗られた表情を確認する間もなく、笛が振られた。
「こんの、恥知らずが――――!!!」
「ぎょえ――――!?」
腹に入った笛が男の体を持ち上げ、そのまま竹塀の向こうまで吹き飛ばす。どさっ、という音で鈴姫は我に返った。
「あ! やば……、こんどこそやっちゃったかな……」
「う、ううーん。暴力反対……」
「よし、元気」
塀の反対から聞こえたうめき声に、鈴姫は一人頷いて振り返る。
面倒が飛び込んできたせいで、貸し切りにできる時間が残り少なくなってしまったではないか。
「でも、ま、これでゆっくりくつろげるわよね」
街道で感じた気配はあの男で間違いないだろう。剣を出しただけで引っ込んでしまったあたりが、臆病なあの男らしい。
再び湯に浸かった鈴姫は、また鼻歌を歌い始めた。
「ああ〜♪ 天降の川に流れるはぁ〜♪ お山の泉の……」
「きゃーー! 誰か来てぇ!人がっ」
「ううう、暴力はんた、い……」
外を通りかかった誰かの悲鳴と、先ほどの男のうめき声は、ご機嫌な鈴姫の耳には届かないようだった。
「空より降る〜♪ ふんふふふん〜♪」