サムライスピリッツ零・公式ストーリー
山城のなじみの遊郭に、気の赴くままに数日滞在し、その日の早朝、幻十郎は遊郭を引き払った。
微かに女ものの香の匂いが身体から立ちこめる。それを気にしたふうでもなく、道行く幻十郎に、ボロ布に素性を書くした男が仕事を持ちかけてきた。
「日輪國領主、兇國日輪守我旺……殺っていただけませんか? へへへ……」
「胡散臭いことをぬかすボロめが。何を企む!」
見てくれもそうだが、これほどに胡散臭い仕事の話は記憶にない。
「た、企むも何も、我旺を殺したいってヤツはごまんととおりますよって……へへへ。あっしはそんな連中を代表して幻十郎先生に……へへへ。
御代は、皆で出し合って……これ、このとおり、これぐらいで……へへへ」
ボロ布から指先だけを出し、指折り、用意してある報酬の値を提示し、その半値を包んだ布を渡す。
「フン……よかろう。退屈しのぎにはなろう。ただし、貴様……」
顔は見せぬ。名は名乗らぬ。値はともかく仕事の内容。何より、ボロ布の内側から漏れてくる薄ら笑い。
この世のあらゆる汚物を見てきた幻十郎をして、本能的に虫唾が走るこのボロ布の男。幻十郎は低く呟く。
単なる脅しではない。有り余る殺意を込めて。
「この俺を裏切ろうものならば……殺ス」
幻十郎は山城をその足で離れた。
一国一城の主の首を獲るなど、如何に幻十郎といえども不可能に思われる。
だが、訊くところによれば、我旺は兵を興し倒幕の構えをとっており、幕府軍もそれに応じる姿勢。
両陣営とも徴兵に念を入れている。
日輪軍か、幕府軍か。どちらに属するか。
思うに、兇國日輪守我旺なる漢は、後方で踏ん反り返っているだけの愚図ではあるまい。
戦乱に乗ずればあるいは――。
我旺がほかのだれかに討たれることもあろう。
幻十郎が日輪の地に着く前に、戦が終了していることもあろう。
どうなっていようが、かまうことではない。
幻十郎か我旺か、最後に生き残っているのはいずれか。それだけの話。
幻十郎は宿場町の女郎屋で、右手に杯、左手に遊女を抱き、月を仰ぐ。
―――なかなか面白い遊びだ。
橘右京
故郷の浜辺にて水平線の彼方を臨み、改めて考える。何時朽ちるとも知れぬこの身の、死に場所は果たして何処か、と。
それを想うと、必ず思い出す――忘れたことはない――夢路のこと。
「……夢路……殿……」
黒河内夢路。天才、という言葉は彼の者のためにあるのだと右京は思う。
八徳を修めし器量、聡明かつ明晰な思慮、そして卓越した剣の技。父であり師である黒河内左近の技を幼き日より修練し、昇華させ、
その太刀筋こそ神夢想――だれしもにそう言わしめる達人。
お互いに口数こそ少なかったが、よき友であったと右京は思う。
夢路こそ、神夢想一刀流の歴史に名を残すであろう後継者――となるはずだった。
今でも右京は決して忘れることはできないあの日。
五月雨が降っていた。それは時期外れの氷雨。
身を裂くような冷たさ。夜の帳が降り始めた時分、神夢想一刀流道場の前の往来に、夢路は立っていた。
傘も差さず、抜いた刀を手にし、道場に背を向けて、ただ一人、たたずんでいた。
右京の気配に気付くと、夢路は顔を上げた。黒く澄んだ瞳からは輝きが失われ、頬は翳り、生気は失われていた。
虚ろな双眸が右京を見つめる。
雨音に混じって声が聴こえた。二つ。道場の裏手にあろう黒河内左近の屋敷から。おやめください、おやめください、と悲鳴に近い女の哭き声と
――殺してやる、死んでしまえ、黒河内の恥晒し、お前のような下衆に家督は継がせぬ――と罵倒を繰り返す男の声。
右京の視線が血と雨の滴る刀に向けられると、夢路は自虐的な笑みを浮かべて、刀を払い鞘に納める。
なぜ、このような事態になったのか、右京は偶然知ってしまっていた。
些事だと右京は思う。剣の道を極めるのに、全くの些事だと思う。
だが、黒河内家と神夢想一刀流を継ぐためには、些事と片付ける訳にはいかなかった。家督を重んじる黒河内左近にとっては――。
右京殿、どうか、御壮健で。
佇む右京の脇を抜ける折、夢路はそう言い残し、以来、行方は知れない。
「死を待つばかりのこの命……最期ぐらい……」
あのとき、友として何もできなかったこと。何の言葉もかけられなかったこと。
夢路が剣の道を捨てたとは、右京には思えない。
もし、今からでも間に合うならば――友として――
「だれかの……役に立つ……ならば……」
柳生十兵衛
人里を離れた竹林の中、十兵衛は人目を憚るようにして急ぐ。
これより取り掛かる任は、事態が事態である。万一に備え、旧知の仲であり同じく公儀隠密である服部半蔵の協力が必要と十兵衛は判断した。
北へ向かう街道の宿場町と宿場町の中間にある竹藪。そこで半蔵と夕刻に落ち合う手筈を整えている。
人の気配は無く、風の流れに従って、微かに笹の葉が揺れる。
半蔵はまだのようじゃ――
「―――ッ!」
疾雷のごとき太刀筋。振り向きざまに抜刀し、背後に突如として現れた気配を斬つ。加減など配慮する間もない柳生新陰流の無常の斬撃。
その風圧に土埃と笹が舞う。手応えは無い。右の太刀は振り抜いた。即座に左の太刀で、反撃に備える。
瞬きを一度できるかできないかの僅かな間に、十兵衛は二十手先まで読み、あらゆる状況に対応する――それこそが、十兵衛の会得した心眼。
舞い上がる土埃と笹の向こう、十兵衛の間合いを切っ先一つ分だけ外した場所に、黒装束に身を包んだ服部半蔵がようやくその姿を見せる。
十兵衛は、自分より先に半蔵はここを訪れ、隠れていたこと理解した。
刀を納めつつ、十兵衛は半蔵に厳しい視線を向ける――戯れが過ぎると。
「半蔵……。お主、人が悪い。柳生の間合いにみだりに踏み込むものではない」
腕を組み、半蔵は肩を揺すって笑う。
「十兵衛殿、此度の任……申されよ」
「うむ、そうであったな。日輪國領主、兇國日輪守我旺が謀反を企んでおるとのこと。真偽を確かめ、その如何によっては――」
「……滅」
半蔵は下忍にいくつかの指示を出すと、十兵衛の前から忽然と姿を消す。
十兵衛は思う。戯れが過ぎると。半蔵と死力を賭して斬り合うことなど有り得ない。いずれかが徳川より離反しない限りは――。
いくつもの死線を共に越えてきた仲だが、一度限りでかまわない、斬り結んでみたいと欲する己の中の鬼を十兵衛は抑えつける。
剣を手にしたときから鬼は目覚めたのか、あるいは、鬼が目覚めたからこそ剣を手にしたのか。
伊賀忍軍頭領・服部半蔵との真剣勝負――それは叶わぬ戯れ。
「うむ。では不貞の輩、江戸に飛び火する前に狩り取ってくれるわ」
十兵衛は竹藪から街道に戻り、日輪に急ぐ。
服部半蔵
「半蔵……。お主、人が悪い。柳生の間合いにみだりに踏み込むものではない」
十兵衛の厳しい視線を浴びつつ、腕を組み、半蔵は肩を揺すって笑う。
自分に分のある戯れのはずだった。背後をとれば、十兵衛は半蔵に向かって即座に抜刀するだろう。当たり前のこと。
それを避ける。旧知の友、柳生新陰流・柳生十兵衛の技量を肌で感じてみたいと欲する半蔵の単純な筋書きだったが――
これほどまでに心胆を冷やす刹那は、記憶にない。間合いも、太刀筋も、速度も、分かっていながら、伊賀忍軍頭領・服部半蔵をして
「紙一重に避けるのが精一杯」とと言わざるを得ない。
一の太刀を避けた刹那、十兵衛の左の太刀が半蔵の反撃に備えていた。背に負う刀の柄に置いた右手が酷く疼いたのを、無理矢理抑えた。
十兵衛の知らぬ忍の太刀筋がどこまで通じるであろうか――半蔵はあの瞬間、あらゆる手を尽くして十兵衛を抹殺する流れを考慮したが
「十兵衛殿、此度の任……申されよ」
武者震いと一緒に封じ、ことも無げに先を促す。
「うむ、そうであったな。日輪國領主、兇國日輪守我旺が謀反を企んでおるとのこと。真偽を確かめ、その如何によっては――」
「……滅。十兵衛殿は表より、拙者は裏より……委細承知」
――我が名は伊賀忍軍頭領・服部半蔵。闇に生き、闇に死す。陽のあたる場所での真剣勝負など、望むべくもない……。
半蔵が合図をすると、姿を消して控えていた下忍たちが即座に半蔵の下に現れる。
「半蔵殿」
「我旺と通ずる奸賊がいるやもしれぬ、裏を洗え。――散ッ!」
「――承知ッ」
下忍が半蔵の下したそれに従う。
改めて、半蔵と十兵衛は向き合う。十兵衛から凛とした剣気が感じられる。おそらくは抑えの効かぬ己の剣気も、十兵衛に伝わっている。
例え思うことは同じでも、それは口にしてはならない。
十兵衛は日輪の方角を見やる。
「日輪より出でる邪気、災いの元となろう」
「十兵衛殿、油断召されるな。――御免!」
半蔵は日輪に向かう。
柳生新陰流・柳生十兵衛との真剣勝負という、叶わぬ戯れの一切を捨てて。
心に刃を忍ばせて――。