「ちわぁーっす!!」 火の爆ぜる音が時たま響くだけの静寂が突如破れ、扉が開き雪の飛沫が入り込んだと同時に、明るい大声が響く。 毛皮の外套を纏った若い男が、ずかずかと入ってきた。 見上げるほどの大きな体である。少なくともミーメよりは大きい。 神闘士で比較すれば、トールを除いて最も長身のジークフリートさえも、頭二つほど越えていよう。 だが、 (――小さい) おかしなことに、天をも覆うかと思わせるほどのトールの巨躯を見た後では、比較してそのように感じてしまうのだった。 「あれ? 2人いるんじゃなかったっけ?」 短い栗色の髪と太い眉を持つ大柄な若者は、小屋の中をきょろきょろと見回し目を瞬かせる。 「――今席を外していてね」 ミーメは答える。 フェンリルの姿はその場から消えていた。 丸太を組まれた壁の向こう側、この小屋の台所にあっという間に身を隠し、そのまま息をひそめているようだ。 狼たちと暮らすうちに身に付いた素早さか。 若者には気付かれていないようだった。 「そっか。あんた、なんて名前?」 「――ベネトナーシュのミーメ」 「そうか! いやー、まさか伝説の神闘士が合わせて3人もこの村に集まるたぁ思わなかったぜ!」 外套に付いた雪を払い落とした若者は、歯を見せてにかっと笑みを浮かべた。 「俺はスタルカド。トールの友達だ。よろしくな! こいつを届けろってトールに頼まれてさ」 手に提げた皮袋と紐で結わえられた燻製らしきニシン、脇に抱えた大きな鍋を示す。 「あんたらの夕飯。うまいぜ~、ウサギのリンゴンベリー煮込みに、ニシンにオートミール粥! 特に煮込みは絶品! あ、一緒に喰ってもいい? 安心していいぜ、もう一人の神闘士さんの分はちゃんと残しとくから」 スタルカドと名乗った若者は、返事を待たずに革袋とニシンと鍋を木のテーブルにどかりと下した。 そのまま食事が始まる。 木製の皿とシチュー皿にある程度の量が盛られ、ミーメの前とその隣におかれ、 残りはスタルカドの旺盛な食欲の前に消えていった。 「ところであんた、俺を見てどう思った?」 「別に……」 「あれ、デカいって思っちゃくれねーの? ま、無理ねぇか。トール見た後じゃなあ。 俺よりデカい奴なんか、アスガルドにも他のどこにもいるわけねえ!って思ってたのにさぁー」 スタルカドは笑いながら言う。 「けどあんたも見たろ? お手上げだよ、トールはもう規格外だもんよ。 あいつがここに来た時、生まれて初めて思ったもんな~、この俺がタッパで負けたぁ! ってね。ははっ」 のべつ幕なしに喋り続ける、若者の言葉を聞き流している風だったミーメが、 オートミール粥を口に運ぶ動きを止め目を上げる。 「彼はこの村の生まれではないのか?」 「ああ。いつだったっけなー、確か6年か7年くらい前にこの村にやって来て住み着いたんだ。 それまでどこにいたとかは知らね」 スタルカドは肩を竦めてから続けた。 「ただ、その時こう言ってたんだよな。住む事を認めてもらえてありがたいって」 「……」 人は己と異なるものに違和感を持ち、場合によっては嫌悪感をも抱く。 並外れた巨体を持って生まれたトールがそれまでどれほど人に疎まれてきたかを、 ありがたいという言葉が物語っているようだった。 苦しみも悲しみも知らず、普通に幸せに生きてきた人。 それがミーメがトールに抱いた印象だったが そうではなく、ただ何も知らずに決めつけていただけだったのかもしれない。 ミーメはスタルカドに話しかけた。 「夕食を届けてほしいということは、トールは今夜は帰ってこられないのか」 「いや、帰ってこれるかもしれねーけど遅くはなるだろうな。なんせスルーズの家にいるから。 スルーズがゴネてトールを帰さねーもんだから、トールが俺に頼んだわけ」 スルーズ。"強きもの"を意味する言葉である。 「トールと親しい男性なのか」 「いや、女だよ。今年16」 「いい人がいるのならめでたい事だな」 「いい人っつうか、トールは基本誰にでも優しいからなあ。スルーズは、えーっと10歳くれー年離れてんのかな、 だからトールにとっちゃ妹みたいなもんだし、それにあいつ今寝込んでる状態だし」 ……病か。 ミーメは思い当たった。 (もしよかったら、家に行って竪琴を聞かせてやってくれないか?) その少女を見舞ってやってほしい、ということだったか。 「大分よくなっちゃきたんだけどさ。一時はホントひどかった」 スタルカドの表情が翳り、 「……トールの奴が棺に入って、ここに帰ってきたときは」 その声から、初めて明るさが消えた。 「それからずっと寝込んでて、やっと起きてきたと思ったらそりゃあもう……あんな修羅場、二度と立ち会いたくねーや。 ヒルダ様が妹さんとこの村に来たんだけど。……トールの弔問にさ。 そしたらスルーズがトールがあの戦で倒れてからこっち、初めて自分で立って歩いてきたんだよ。 そんでヒルダ様を散々罵倒して。マジで聞くに堪えない言葉ばっかだった」 ミーメは語るスタルカドをじっと見ている。 「情けねーんだけどさ、俺ちっとも動けなかった。知ってる女がなんつーか……あそこまで豹変すんのかってショックで。 おかげで、あとで村のみんなにボロクソ言われたよ。 ああいう場合お前が真っ先に止めなくてどうするんだこの独活の大木!ってさぁ。ははは……」 ミーメは思う。 そのスルーズという少女は、一度はトールを失ったことで修羅と化したようだ、と。 「トールは」 少し、興味が沸いた。ミーメは尋ねる。 「そのスルーズとは、どう出逢ったのだ?」 「ああ、トールは村に来た時、最初はほら、向こうに見える山にあった小屋に住み着いてたんだよ。 ボロくて誰も使ってなかったから」 そして彼は言った。誰もその小屋には近づかなかったと。 「なぜ」 「だってこえーもん。俺でも子供に見えるくらいデカい奴だし、何されるかわかんねーじゃん? でも見た目ほど怖い奴じゃないってことがわかったのは、あいつがスルーズを助けた時だった。 スルーズの家は羊を飼ってんだけど、父親は体弱くてろくに動けないし、母親はずっと前に死んでたしで、 あいつがチビの時から一人で羊飼いをしててさ。 どう出逢ったとか知らないけど、トールがスルーズの家に狩りの獲物を持ってくようになって、 それからトールはこの村に馴染み出したんだ」 「なるほど」 その時、ミーメは気配を感じる。 「うわっ」 スタルカドが座したまま、椅子ごと後ずさった。 ガタンと大きな音が上がる。 「お……狼!?」 フェンリルが立っていた。 「その女の家はどこだ」 冷たい目でスタルカドを見据えたまま、言い放つ。 多少前かがみになった全く隙のない姿に、誰も寄せ付けぬ、冷たい光を放つ鋭い双瞳。 狼の群れと共に、十年の歳月を生きてきた少年。 人より狼を思わせたのも当然の事だろう。 「あ……あんた、一体どこにいたんだ?」 「そいつの家はどこだ」 冷たい声でフェンリルは繰り返した。 「答えろ」 「う……」 スタルカドがフェンリルを凝視しながら口ごもっていた時、小屋のドアが開く。 張り詰めていた空気が解けた。 皆が見慣れた男が、買い出しの品を入れた袋を背負ってそこに立っていたが。 「あ、トール」 スタルカドがほっとした表情になり、声を出す。 その場にいる者すべてに安心をもたらす存在、の筈が。 ミーメは彼の小宇宙の、僅かな変化を感じ取っていた。 この小屋で過ごした七日の間、トールから一度たりとも感じた事のなかった気配。 瞋恚。 何かに対する怒りの燃えた後が、まだ彼の中に燻っている。 「――なにかあったのか」 「……いや」 ミーメの問いかけに、トールは笑みを浮かべ答えたが、 しかしその笑みは、これまで見慣れた笑みとは違った。 僅かにぎこちなさが混ざり、彼の感情の中にいつもと異なる何らかの棘が存在していることが、ミーメには感じ取れる。 「スタルカド。手間をかけさせたな。二人に飯を届けてくれてありがとう」 「あ、いや……えっと……」 戸惑っている風だったスタルカドは、 「俺、帰るわ」 立ち上がると外套を手に取りドアへと向かい、そのままそそくさと出ていった。 スタルカドが立ち去ったのを見送っていたトールは2人に向き直る。 「フェンリル。まだ食ってないのか?] そう言った表情からは、先程のぎこちなさも瞋恚の残滓も、完全に消えていた。 何かがあったのだろうが――自分が気にすることではない。 ミーメはそのように結論付けた。 「ミーメ」 その声に再びトールを見る。 「見舞いのことなんだが……本人が辞退したんだ。長い間引き留めてしまって、すまなかった」 「そうか」 そう答えたミーメは、明日の朝トールの家を辞そうと思った。 ふとフェンリルに目を移すと、先程スタルカドに見せた取り付く島もない冷たさは影を潜めていた。 彼は、トールを見てほっとしているように見える。 人を嫌い人を避けているフェンリルが、何故トールの家に来て居着いていたのか、については知ることはできなかったが、 来た理由はともかくも、居着いた理由については理解できたような気がした。 トールと共にいると、居心地がよかったから。 彼の小宇宙は大地のように大きくて、陽の光のように暖かかった。 |