in Walhalla ワルハラ宮の一室でシドから報告を受けていたジークフリートは、先程のミーメの報告を思い出していた。 「そういえば、トールの村の娘が一人消えた、という話だったな。何らかの異変の兆しである可能性は否定できぬが……」 2人の神闘士の会話はそこで途切れた。 夜の闇が突如光に満ち溢れ、昼間のように明るくなる。 驚愕の眼差しで、2人は異変の源である星空を見上げた。 光の洪水の中で、ジークフリートとシド、二人の神闘士が見たのは……否、脳裏に直接飛び込み焼き付けられたのは、全く同じ幻の光景であった。 先端が丸く渦巻いた細長い船首を持つ、幾艘もの船が見える。 かつて世界の海を駆け、嵐のように禍のように、様々な国の民に恐れられた、北欧の海の男たち。 彼らを乗せた船団は、重く垂れ込めた黒雲の下、暗い海原を征く。 その魁に、対の角持つ冑、天を刺すように掲げられた剣、片腕に丸い盾を装着した姿が映る。 船を埋め尽くす武装した男たちが、獣のような鬨(とき)の声を上げた。 戦士たちを従え導き、崇められる神。 その名はヴァルファズル、戦の父と呼ばれる。 それはあらゆる戦士たちの養い手、と称えられる故にである。 ヴァルファズルはまた、神々の王であるオーディーンに常に付き従う随神……戦神と名乗り、最古の三神と呼ばれるうちの、一柱の神の異名であった。 続いて別の幻想風景が流れ込んできた。 険しい山脈を背後にした広大な平原に聳え立つ、緑生い茂る、優雅にして天に届くほどの大樹。 北欧の伝説の宇宙樹、ユグドラシルである。 その天辺で、大きな大きな鶏が鳴いていた。 その翼もその羽毛も、見事な黄金の色に輝いている。 それはたった一つの武器を除いては、傷つけることも斃すことも叶わぬという、不死身の黄金の巨鶏。 ユグドラシルの頂上に住まう、その鳥の名はヴィゾフニルという。 とてつもなく強大な小宇宙が見せた、あまりにも鮮烈な幻像。 二人はどちらからともなく、窓の向こう、小宇宙が感じられた方向へと目を向けた。 その時。 突如天地に巨大な雷が轟き、アスガルドの大地が揺れた。 崩れ落ちた別邸跡で、トールの姿をしながらトールでなくなった男は立ち上がる。 手にした短槍が、大きな手によって虚空へ投擲された。 巨大な雷鳴が再び轟き、次の瞬間北天に掛かる五つの星のうち、 上部の二星が強く、燦と輝き渡った。 まるで超新星の爆発のように。 天空は光に満ち満ちて、地上から全ての闇が刹那消え失せる。 そして光が収束すると、二つの星から光が真っ直ぐにアスガルドの大地へと落ちた。 動くことのできないヒルダが見たものは、 空中をゆっくりと降下してくる短槍であった。 否、それは巨雷の直撃を受けて既に異なるものに変化している。 大型の、紋様を刻まれた槌。 それ自体雷光を纏い、雷鳴を発していた。 その名は神器ミョルニール。 雷霆神フロルリジしか扱えないと伝えられる、アースガルズの神々の所有の中でも最強の神器。 そして星の光から降臨した二つの影。 豪奢な鎧を纏った、二人の長身の男。 一人は厳めしく冷たい表情の、強い短髪の男。 もう一人は白金の、足まで届くかという長髪を持つ美しい男。 彼らはそれぞれ、金属製と思しき大きな籠手を手にしていた。 籠手は独りでにトールの方へと向かい、その両手に装着される。 冷たい目をしたトールは、籠手の上から神器ミョルニールを手にした。 降臨してきた二人の男は、トールの前に跪く。 トールのベルトが内側から光り出し、表皮がボロボロと剥がれ落ちていく。 古い皮を脱ぎ捨て、それ自体が脱皮する生き物のようにベルトは光輝の神器に姿を変えた。 神話において雷霆神フロルリジは、三つの宝を持つと言われている。 それによって数多の巨人族ヨトゥンを屠った、最強の神器ミョルニール。 それなしにはフロルリジすらミョルニールを扱えないとされる、籠手のヤールングレイプル。 最後の一つは、フロルリジの持つアース神最強のパワー・アースメギン(神力)をなお倍増するという帯・メギンギョルズ。 全てを見ていたヒルダの瞳から、一筋の涙が流れた。 心の中では彼の声が響いていた。 「帰りましょう、ヒルダ様。ワルハラ宮へ」 真摯さだけが宿った瞳で彼女を見ていた男は、もういない。 一方。 崩れ落ちた家屋の残骸の中からこっそりと身を起こし、一部始終を見ていた者がいた。 メグレスの神闘衣を纏ったアルベリッヒである。 最初、頭を振って起き上がった彼は自分が神闘衣を纏っていることに気づき、同時にその心臓部分が、拳の形に歪んでいる事を知った。 これは神闘衣が彼を護ったということ。 この護りがなければ今頃は……。 刹那戦慄するが、次に起こった事態がそれを吹き飛ばした。 北天を覆いつくした超新星爆発の如き光の洪水、同時に舞い降りてきた者たち。 二つの強大な小宇宙が見せた、〔戦ノ父〕ヴァルファズルと〔黄金ノ巨鶏〕ヴィゾフニルの幻像は、アルベリッヒにも届いていた。 「Odins sessi……馬鹿な……」 茫然と呟く。 「北曜第一星と第二星が、オーディーンの随神テュールとヘイムダル……最古の二神だと……! 想定外にも程があるぞ……!」 驚愕していたアルベリッヒだが、すぐさま考えを巡らせる。 依り代は奴らの手に落ち、雷霆神フロルリジがアスガルドに降臨した。 ここはひとまず撤退し、態勢を立て直さねばなるまい。 無事に立ち去る事が最優先事項だ。 別邸はほぼ崩壊したが、外れに立っている馬屋は無事なようである。馬たちの嘶きが聞こえてきた。 アルベリッヒは手に持ったまま共に吹き飛ばされ、近くに落ちていた炎の剣を携え、瓦礫の中からこっそりと抜け出すと、小走りに馬屋を目指す。 in Walhalla 地上、いやアスガルドの大地に聳え立つ山からも、幾筋もの雷が沸き起こる。 それは天の山を意味する、ヒミンビョルグの山肌から発していた。 樹々が、岩々が砕け散り舞い上がり、山肌は地鳴りと共に競りあがってきた数々の建物に覆われていく。 ヒミンビョルグは今や、麓付近から頂上近くに至るまで、一面巨大な建物の集合体に覆いつくされていた。 稲光が次々と夜闇を照らし出し、ヒミンビョルグの変貌と同時に幾度も映し出した光景がある。 「……何!?」 茫然と呟くジークフリート。 一台の、獣に引かれる戦車が見えた。 見事な角を持つ逞しく黒い雄山羊二頭が、戦車を引きながら山肌の数多の建物の間を駆け上り、頂上近くに立つ高殿へと向かっていく。 その戦車を駆っている、遠目にも解るずば抜けて大柄な体。 「トール!? 馬鹿な……」 アスガルドに生まれた者ならば、誰もが子供の時から聞き知っている、オーディーンの配下の神々・アース神たちの物語。 その中で最も多くの逸話を持つ、オーディーンの最初の息子。神の國と人の世界を襲う邪悪な巨人族ヨトゥンを打ち倒す、最強のアース神フロルリジ。 彼は二頭の強靭な雄山羊、神獣であるタングニョースト(歯軋りするもの)とタングリスニル(歯を剥き出すもの)に引かせた戦車に乗って世界を駆け巡り、 神の國アースガルズにおいて、オーディーンの住まう王宮・ヴァルホルに次いで巨大な館……その名をビルスキールニルと呼ぶ……を所有しているという。 「ジークフリート。聞いてほしいことがあるのです」 十年前。12歳の少女であった頃の、ヒルダの姿が脳裏に甦る。 「このアスガルドには……オーディーンの同胞、あるアース神の依り代となる者が既に誕生しているのです」 それはアスガルドの秘奥を守護する沈黙の一族が彼女に齎した秘密であり、 いずれアース神がその依り代に降臨すれば、アスガルドに何かが起こることは避けられないのだという。 ジークフリートにそう告げたヒルダは、最後にこう言った。 「どうか、他言は無用に願います」 主君のその言葉を守り、ジークフリートは以後十年の間、誰にもその話を洩らすことなく胸の内に秘めてきた。 (奴が……トールがアース神、雷霆神の依り代だったというのか!) 内心動揺しているジークフリートだったが、次に目にしたものに心を奪われることとなる。 山を乗っ取ったかに見える建物目掛けて、山羊の引く戦車の後を追いさらに天翔けていく者たちがいた。 空中を駆ける、筋骨逞しい馬が二頭。それぞれに騎乗する鎧を纏った男たち。 ジークフリートは、彼には珍しく危うく声を上げそうになったが、それを押し止めた。 遠目にも見紛うことのない、長い絹糸のような青みを帯びた銀の髪が流れ、 ドレスの裾が風にはためいている。 一人の女性が、宙を駆ける馬の鞍の前に意識を失った状態で乗せられているのだ。 彼女を運んでいる神馬の名は、ブローグズホーヴィと呼ばれる。 血塗れの蹄を意味し、その名に相応しく戦神と呼ばれる神専用の馬と伝えられていた。 もう一方の神馬はグルトップと呼ばれる。 金色のたてがみを意味し、こちらもその名に相応しく光神と呼ばれる神のみが騎乗する、との言い伝えがあった。 (ヒルダ様……!) ジークフリートは踵を返し、部屋を飛び出そうとしたが。 "おまちなさい!" 二人の神闘士は、現在の彼らの主君・地上代行者ヴォルヴァの声を頭の中に聞いた。 "あすがるどにわざわいがおこります。ひとびとのひなんをゆうどうしなさい" 「ジークフリート」 シドが声をかけ、ジークフリートは一瞬唇を噛んだが 「……承知しました」 そう答える。 二人の神闘士は、共に部屋から駆け出して行った。 |