スタルカド~北欧神話唯一の「トール型英雄」

注:今回のエピソードではトールに雷神的要素がほぼないため、主にトール神と表記しています。




スタルカドという北欧神話キャラクター(登場人物)を初めて知ったのは、前ページに出した『神話・伝承事典』(P758)でした。




スタルカド(Starkad)

 多くの腕を持つ古代スカンジナヴィアの神。トールは、「スタルカドを見栄え良くする」ために、彼の多くの腕のうち2本だけ残して他は全てもぎとってしまったが、

彼の身体には余分だとして取られた腕の傷跡がいつまでも残っていた。

彼はサンスクリット語のrishi(聖仙)に由来するリシrisiと呼ばれる、オーディンの率いる神々以前に崇拝された神々・すなわち巨人たちの一人であった。

それゆえ彼が今日でもインドに見られるヒンズー教の多腕型の神であったのは明らかである。スタルカドの神話を見れば、北方のアリアン諸民族の起源がアジアであることがわかる。
※1




当時こう思ったものです。

そんな話聞いた事ないんですけど?



ひょっとしてこの本の著者の創作話を混ぜたりしたんじゃ……? とか失礼なことを考えたりもしたのですが、その後、謎は全て解けました(笑)

新紀元社の良書『図説 北欧神話』(池上良太著)によりますと、

13世紀頃デンマーク人の歴史家・サクソ=グラマティクスによってラテン語で書かれたデンマーク王朝史『デンマーク人の事績』には通常知られた北欧神話の別バージョンが収録されており、

神話的な記述は全16書中第1~第9の書に集中している、とのことです。

1993年に、谷口幸男氏訳でその第一~第九の書までの邦訳が出版されました(東海大学出版会)。


この『デンマーク人の事績』第六の書に、上記の『神話・伝承事典』とほぼ同じ内容があったんですね。(スタルカドの名はラテン風にスタルカテルとなっています)




第六の書より(上掲書P245)

あるものは彼が巨人から生まれ、その怪異な出生のあらわれは異常に手が多いことでわかると伝えている。

更に付け加えて、神トールは、その性質の異常な欠陥から生んだ四つのものから神経の連鎖を断ち、その身体から奇妙な指の束を抜き取り、その結果2本の手だけが残り、

以前は巨人のような大きさまで膨れ上がって、醜い手足の多さから巨人のような姿をしていた身体が、

今やよりよい姿に矯正され、人間並みの大きさをとったのだ、と言っている。





『神話・伝承事典』の記述だと、トール神はスタルカドの腕を二本残して「もぎとった」と、いかにも巨人殺しで知られたトールらしい荒っぽさを感じさせますが、

『デンマーク人の事績』の「神経の連鎖を断ち」「奇妙な指の束を抜き取り」「よりよい姿に矯正」という記述は、むしろ外科手術を施したようにも取れます。

トールさんわりと器用、という意外な一面が(笑)



しかしさらにその後。ゲルマン神話・英雄伝説関連の書物で、スタルカドとトールについてこれとは全く違った話を目にするようになりました。

『【図説】ゲルマン英雄伝説』(A・ホイスラー著 M・コッホ画・吉田孝夫訳 八坂書房)や『ゲルマン神話(上)神々の時代』(ライナー・テッツナー著 手嶋竹司訳 青土社)を参考にしますと




スタルカドはグラニ(またはフロスハールスグラニ、馬のたてがみのグラニの意味)という男の養子になっていた。

ある夜、スタルカドはグラニに起こされある森に連れて行かれるが、そこには12の椅子に11人の"裁判官"が座っており、

グラニが12脚目の椅子に掛けて自分が神々の王オーディンであることを明かす。

11人の裁判官はアース12神であり、この会合はスタルカドの運命を決定するため開催されたのだが

12神の中でこの決定に関わったのは事実上、オーディンとトールのみであった。

まずトール神が口火を切り、スタルカドは子孫を持たぬ定めと告げる。

オーディンはスタルカドに三世代分の寿命を与えると告げた。

以後二神の応酬が続く。

トール「その三世代の寿命のうちに一つずつ〈不名誉な行い(ナイディングス・ヴェルク)〉を行うものとする」

オーディン「スタルカドは最高の武器と戦の装いを所有することを定める」

トール「ではスタルカドは決して土地を所有してはならぬ」

オーディン「スタルカドのすべての戦に勝利を与える」

トール「スタルカドはすべての戦において重い傷を負うだろう」

オーディン「スタルカドに詩文の才を与え、巧みに演説を為すよう定める」

トール「スタルカドは自作の詩をすべて忘れる」

オーディン「スタルカドは地上の偉大なる者たちに仕え、誰よりも寵愛を得ることを定める」

トール「どこへ行こうとも民に憎悪されるように定める」

そして会合はお開きとなった。




うっわぁ……(^^;)

ぶっちゃけ引きますね(笑)トール神いくらなんでもスタルカド嫌いすぎ。


上記の参考文献のうち『ゲルマン神話(上)』は、スタルカドを語る章『20 トールがオーディンの英雄シュタルカドを傷つける』冒頭に




トールは職業軍人という者には信用を置いておらず、オーディンの声のかかったシュタルカド(スタルカド)には不利になるようなことをしてやろうと考えた。(上掲書P152)




と書いてきちんと説明はしているんですけど、どうも理由としては弱いような気がします。

そもそもトールが職業軍人全体が嫌いなら、北欧神話の名のある英雄たちの運命決定会議の度にクビ突っこんで酷い運命を与えて回っててもよさそうなものですが(笑)

トールが英雄の運命を決定した……というか英雄に関わったのはスタルカドのみで、

北欧神話において英雄に関わり彼らの運命を決定する(大抵は死を定めて魂をヴァルハラ宮殿に集め、ラグナロクに備える軍団の一員とする)のはオーディンの役割です。



いや、ていうか、『デンマーク人の事績』に書かれてるエピソードや態度と全く一致してないんですけど!



そっちでは外科手術をして、人として普通に生きられる姿にしてあげてるというのに一体何故に。



そしてまたまたその後。謎は一応、全て解けました(笑)



フランスの比較神話学者、ジョルジュ・デュメジルはざっくり言って

"インド・ヨーロッパ語族の神話において主要な神々は〔主権(王)・戦闘・生産(豊穣)〕の三機能を有し区別される"という「三機能説」を提唱しました。

北欧神話に当てはめると、主権=オーディン(すべての神々の王)、戦闘=トール(巨人族と戦い世界を守護する)、生産=フレイ(豊穣や生殖を司るとされる)となるわけですが、

そのデュメジルの著作の一つ『戦士の幸と不幸』(高橋秀雄・伊藤忠夫訳)「第二部 宿命」第四章に「スタルカテルス(スタルカド)の三つの罪」がありました。(ちくま学芸文庫デュメジル・コレクション4 丸山静香・前田耕作編)

この著作の中で私の抱いた疑問……上記の『【図説】ゲルマン英雄伝説』や『ゲルマン神話(上)』に記されたスタルカドとトールのエピソードってどこ由来よ? も解決しました。

そして、『デンマーク人の事績』の挿話との繋がりも。



デュメジルの上記の著作によれば、オーディンとトールがスタルカドの運命を巡ってはっきりと対立しているとも言えるエピソードの典拠は




『ヴィーカルの挿話』と題された詩と、その詩を引用し注釈を付けている『ガウトレックのサガ』の散文で書かれた文章である。(上掲書P343~344)




そしてデュメジルの説明では、『ガウトレックのサガ』は『デンマーク人の事績』の改訂版だとか。

デュメジルの要約に沿って説明しますと。




ノルウェーにスタルカド(文中ではスタルカズ。以後スタルカドで統一)という八本の腕を持った巨人がいた。

この巨人はある娘を攫い、彼女の父親はトール神に娘の救助を依頼。トール神は巨人のスタルカドを殺して娘を救出したが、彼女は巨人の子を身ごもっていて、やがて黒髪の美しい男の子を産んだ。

この子はストールヴィルクと名付けられ、長じて立派なヴァイキングとなり、ハーロガランド(ノルウェーの地名)の姫と結婚し、英雄スタルカドの親となった。




つまりスタルカドは、同名の複数の腕を持っていた巨人の孫として生まれたわけです。(当時の北欧では産まれた子供に祖父母の名をつける風習があったそうです)

ここからサクソの『デンマーク人の事績』のエピソードと繋げるなら、巨人の孫スタルカドは、おそらく隔世遺伝で(父親のストールヴィルクはどうやら普通の身体だったようなので)

祖父同様多腕の身体で産まれ、多分家族の願いを受けたトール神がスタルカドに外科手術を施し、普通の人間と同じ姿にしてやったということでしょう。

巨人を倒し人間の友と呼ばれる神らしい慈悲に溢れたエピソードになるわけですが、そのトール神が何故、運命決定会議でかつて助けたスタルカドにあれほど過酷な運命を与えたのか? というと。

デュメジルの『ガウトレックのサガ』要約はさらにこう続きます。




真夜中に、フロスハールスグラニはスタルカドを起こし、共にオールを漕いでその島に着き、彼を連れて森を通って林間の空き地にやって来る。

そこでは一二の席の周りに一団の人々がいて、「全体会議(シング)」が開かれている。一一の席がすでに神々によって占められている。

フロスハールスグラニは、自分がオージン(オーディン)であることを明かして、一二番目の席に着き、スタルカドの運命の決着がつけられることになると宣言する。

トールがすぐに話を続け、スタルカドの祖父母―ある巨人と、彼自身すなわちアース神族のトールよりもその巨人を選んだ若い娘―に対する告訴理由に注意を促し、最初の悪い運命を宣告する。

(上掲書P346)



女に振られた私怨かい!!!(笑)



なんか今一つ話が繋がってない箇所がありますが、勝手に捕捉するならば

八本腕の巨人スタルカドを倒し、攫われた娘(ちなみに名前はアルヴヒルドというそうです※2)を救出したトール神はこの娘を気に入り、

自分の下に召そうとしたんだけど彼女にとっては好みじゃなかったのか(笑)断られたんでしょうね。

しかしなんで振った娘・アルヴヒルド本人でもその息子のストールヴィルクでもなく、孫のスタルカドに八つ当たりの如く仕返ししたんでしょうか。

赤ん坊の時か若い時か、どちらにしても腕の手術で助けてあげてるのに。



これまた推測で、アース12神で運命決定会議を開く段になってその祖母に振られたことを思い出し怒りしてスタルカドにぶつけたのかな……と。

スタルカドにとっちゃ傍迷惑な話ですが(伝説の中ではこのことについてスタルカドがどう思ったかは例によって奇麗に省かれてますが)、まぁ神様なんて大抵そんな理不尽なもんですよね。

しかし、スタルカドとトール絡みは面白いエピソードとは思いますし、トール神の意外な一面を次々見られて興味深くもあるんですが、

まさか人間の友と呼ばれるトール神で、そういう身勝手エピソードを見ることになるとは思いもよりませんでした(笑)




さて神々の王オーディンによって数々の恵みを授けられたものの、トール神によって悉く台無しにされ、家族も土地も持たず戦においては大怪我を決定づけられ

詩を作っても端から忘れ、不名誉な行いをして人々に憎悪される、不幸と共に生きる男スタルカドがどのような末路を辿ったかと言いますと。



神々の全体会議の後、スタルカドはヴィーカルという王に仕えますがオーディンが彼を生贄として望んだためヴィーカル王を殺害、人々に忌み嫌われる存在となります。

とはいえ数々の戦で武勲を立てたり、勇士やならず者を倒して名声を得るものの、※3 ある戦で仕えた王の戦死後、臆病風に吹かれて戦場から逃亡。

次には共に戦い、スタルカドを信用していたアリ(『デンマーク人の事績』ではオーロ)という王を依頼を受けて暗殺。

こうしてトール神が定めたとおりに、三世代分の命の間にそれぞれ〈不名誉な行い(ナイディングス・ヴェルク)〉を為したスタルカドは年老いましたが老齢で死ぬことを良しとせず、

かつて自分が殺害した一人である男の息子に自分を討つように言い、首を刎ねられて生涯を終えました。



デュメジルは上述の著作でこう語っています。




例えオティヌス(オーディン)が目覚ましい、両義的な賜り物を彼に与えているにしても、生まれた時の怪物的容姿から彼を引き離し、

また善意に満ちてはいるが荒っぽい外科手術によって、このきわめて異常な人物を一個の人間にしたのは、トールである。

スタルカテルス(スタルカド)の性格、功業の型も、巨人という起源に一致している。

つまり、途方もない怒りと暴力、放浪の気質、そして人間のあいだで、巨人に最もよく似ている者(中略)を探し求める性癖、また従属的地位にとどまろうとする一貫した傾向、

つまり貴人に敬意をもち、説教する一種の従者、要するに彼の主要な特徴は、節制を別にすれば、その有名な代父〔トール〕から来ていると思われる。

(中略)このようにスタルカテルス(スタルカド)は、われわれに対して、スカンディナヴィア文学であまり例を見ない存在、すなわち「トール的英雄」として現れるのである。
(上掲書P341~342)




昨今では北欧神話も日本のサブカルチャーにおいて結構メジャーになったと思うのですが、主要な神々はともかくとしても人間の英雄となると人口に膾炙しているのはシグルズくらいで、

スタルカドもデュメジル曰く数多くのゲルマン文献学・北欧文学史の研究者たちの研究対象とされたとはいえ、さほど知られてはいないのが実情です。検索しても殆どヒットしないし(^^;)

とはいえ、かつて名君と言われた王の跡取りが豪奢な生活にうつつを抜かしているのが我慢できずに王を諫めに向かった道中、あんたは何を担いでいるのかねと問われ

「石炭を運んでおるのです これを使って鍛冶仕事をしますのでな 王のなまくらになった心を、しゃんと叩き直そうと思っておるのです」と答える所なんかは素直に凄くカッコいいです。

しかしその一方、『エッダとサガ 北欧古典への案内』(谷口幸男著 新潮選書)では次のようなエピソードが紹介されています。

三百年生きた男・ゲストについて語られる短いサガ『ノルナゲストの話』によると、主人公のゲストはある時竜殺しで有名な英雄シグルズの部下になります。

シグルズと義兄弟のグンナルとホグニ(ドイツ伝説ではハーゲンに相当する人物)はシグルズの持つ宝を狙ったある敵と戦になりますが、敵の軍勢の中に誰も抵抗できない巨人のような男がいました。




シグルズはその者に「名は」と尋ねる。「スタルカズだ」という。「悪業は聞き及んでいるぞ」相手に名を聞かれ、シグルズだという。

「ファヴニール殺しのか」「そうだ」するとスタルカズは急いで逃げようとする。

シグルズが剣を振るうと、敵の臼歯が二本とぶ。その一本をゲストがもっていて、ルンドの教会の鐘の綱につけたが七エーレの重さがあった。
※4
 (上掲書P260)




そしてシグルズたちの敵の軍勢は総崩れになりましたとさ。

孤高の「トール型英雄」スタルカドも、正しく北欧神話随一の勇者たる「オーディン型英雄」シグルズには叶わなかったということですか。

……どうもこのくだり、『デンマーク人の事績』で書かれるエッダのそれとは違うバルドル(バルデル)とホズ(ホテル)のエピソード(第三の書二章)を連想させますね。

神オーディンの息子バルデル(バルドル)は人間の娘ナンナに横恋慕し、それきっかけでホテル(ホズ)を始めとする人間と神々は戦になるのですが、誰も敵わなかったのがトール神。

しかしホテル(ホズ)がトールの棍棒(棍棒なのか!)の取っ手を切り落とし使用不能にしたことで、神々の軍は総崩れになったとあります。



余談ですが、『ノルナゲストの話』は作家ポール・アンダースンの大河SF『百万年の船』(岡部宏之訳 ハヤカワ文庫 1993年発行)第一巻第五部「誰も運命を避けることはできない」のモチーフになっています。

『百万年の船』は世界各国の不老不死の者たちを描く壮大な物語なのですが、その一節である第五部でゲストはスタルカドと出会い、しばらくの時を共に過ごします。

スタルカドの生涯を始めとする北欧伝説がバランスよく取り込まれ、かつ哀切さに満ちた物語です。

ただ個人的に一番気に入った・兼気になったのは次の一節。




この頃には夜はとっぷりと暮れていた。"トールの戦車"つまり北斗七星が、木々の梢すれすれのところに大きく輝いており、その上に北極星が槍の穂先のように光っていた。(上掲書P195)




北欧神話で"星座"に関する言及はありませんが(精々オーディンまたはトールが巨人シャツィの両目を星にした伝説・トールが勇者アウルヴァンディルの凍った足指を星にした・

あとはスノリのエッダでムスペルヘイムから噴き出した火花で星々が作られたと言われているくらいですね)

こちらのページによると、北斗七星は北欧では実際に"雷神トールの車"または"オーディンの車"と呼ばれていたのだそうです。

参考文献のページのどの本に書かれていたことなのか……悩ましい限りです(笑)








※1 菅原邦城『北欧神話』(東京書籍・昭和59年発行)によると、

「古い多神教の神々が小アジアあるいはビザンティウムから発して北欧の地に到来したという考えは、中世の北欧では(スノリ・ストゥルルソンの他には)

さらにデンマーク人サクソにも認められる(『ゲスタ・ダノールム(デンマーク人の事績)』第一書七章一)」
とあります。

当時の北欧の知識人たちは多分インドとは考えなかったんじゃないでしょうか。

また、巨人をリシ(ドイツ語のRiese=巨人と同根でしょうか)と呼んでいるのは、北欧の言葉における「山の巨人=bergrisi」に由来していると思われます。




※2 参考:King Gautrek from『Seven Viking Romances』Penguin Classics ©Hermann Palsson and Paul Edwards 1985




※3 オラウス・マグヌス著『北方民族文化誌』上巻(谷口幸男訳・渓水社 平成3年4月15日発行)の「第五巻 巨人」で語られるスタルカテル(スタルカド)の物語によりますと、

ヴィーカル王殺害後のスタルカドはヴァイキングとなって活躍・ロシアに侵入しフロックスという王を破る・スウェーデン、デンマーク、アイルランドで武勲を立てる・その後再びロシア東部に赴き、

ヴィシンという名うての剣士ながら略奪の常習者で名士の奥方を夫の前で暴行という蛮行を為していた男に決闘を申しこみ倒す・

さらにビサンチンで無敵と呼ばれたタンナという巨人を相撲で打ち負かす、と数々の活躍を見せています。




※4 エーレは、確証は見つけられなかったんですがどうも中世北欧のお金の単位みたいです。