流雲涙華第一部 風間火月対八角泰山
炎邪覚醒


八角泰山の後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた紫のナコルルは、隣の覇王丸に視線を移す。

「あいつ、山に引き籠ってたの? 出てきたのは人形師、つまりユガを追うためかもっておじさんは言ったけど」

「魔物封じの流派をしょってる御仁だから、ユガを見過ごせねぇってことかもしれんが」

「何かが八角殿の身に起こり、立たざるを得なくなったのかもしれませんな!」

磐馬が大声で引き継いだ。

「まぁ、そりゃあの御仁の事情だ。当人が言ってたように俺らには関係ねえ事だし」

覇王丸が床机(しょうぎ)から立ち上がる。

「じゃ、俺はそろそろ行くんでな」

愛刀河豚毒をさげ、酒瓶をその背に歩き出した覇王丸を見ていた紫のナコルルも立ち上がり、後にシクルゥが従う。

「覇王丸殿!」

茶屋をあとに峠の道へとさしかかった覇王丸の背を追い、磐馬の大声が轟いた。

眉をしかめ、紫のナコルルは振り向き磐馬を睨みつける。

「いい加減にしなさいよねっ! もう少し普通に話せないの?」

立ち止まった覇王丸の側に、雪姫を肩に座らせ、どすんどすんと歩み寄って来た磐馬はにこやかな笑顔のままで言った。

「ご同行させていただけませぬか!」

覇王丸はいささか怪訝な目つきで磐馬を見る。

「あんたは藩のために人形師を追わなくちゃならねぇんじゃないのかい」

「お笑いになるかもしれませぬが」

張り裂けんばかりの笑顔から、真摯な声が発せられた。

「覇王丸殿の往かれる旅路こそが、今回の異変の解決に繋がると……

なぜか某、非常に強くそのような気がしてならぬのです。何とぞ、ご承諾いただけませぬか!」

「ふぅん」

そう軽く唸った覇王丸の隣に、軽やかな足取りで追いついた紫のナコルルは、磐馬の言葉に愉快そうな表情になる。

「おじさん、変に勘がいいみたいね」

「……なぜなのですか?」

磐馬の肩の上から雪姫が尋ねた。

「こいつはユガに狙われているからよ。私が一緒にいるのもそれが理由」

悪戯っぽく、どこか鋭さを宿した笑みで紫のナコルルは笑った。





そこでは、闇そのものが渦を巻く。

空間も引き摺られるように歪んでゆく中、生暖かく濁った空気が充満していた。

(兄さん)

身動きのならない風間葉月は、ただひたすらに念じていた。

(兄さん、助けて、義父とうさんが)

体に感覚が取り戻せないまま、彼女は強く念じる。

(早く……早く火月兄さんに知らせなくちゃ)

しかし彼女の意識は次第に朦朧となる。

まるで周囲の濁った闇が葉月を侵略するかの如く、精神が混濁し呑み込まれようとしている。

葉月は必死に、薄れて行く意識を呼び覚まそうとした。

耳元で、篭った唸りが響く。

オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

葉月は感覚のない状態で、閉じた瞼に必死に力を込める。

体が思うように動かせない状況では、それだけが彼女にできる唯一のことだった。

(義父さん)

義父の必死の形相が、閉じられた目の裏に浮かぶ。

「逃げろ、葉月!」

義父の叫びが思い起こされ、目に涙が滲んだ。

(火月兄さん)

手にも足にも感覚はない。

葉月はただひたすらに目を硬く閉じ、周囲を認識することを避けようとする。

それまで幾度か薄く目を開き、一度二度恐々と凝らしてもみたが、辺りはどこまでも、どんよりと濁った闇が広がるのみだった。

自分がどこにいるのか、あれから何がどうなったのかまるでわからない。

しかし、自分が只ならぬ所に身を置くはめになったということだけは、

葉月は本能的に察していた。

自身の周囲にあるすべてから身を守るために。

無駄かもしれないとうすうす思っても、できる限り目を堅く閉じるほか、今の葉月になす術はなかった。

彼女は必死に思い続ける。

(兄さん、火月兄さん、お願い。義父さんを助けて……)





火月は結局、雲飛の娘淑鈴の同行を許し、彼女を伴い山道を歩いた。

その夜も更けた頃、二人は無人の山小屋に行き逢い宿をとることとなった。

簡素なつくりの囲炉裏端に腰を下ろし、火月は考える。

(とりあえず、怪我する前にこいつをなんとか追い返さねぇとよ)

山越えの最中に捕らえた鳥を小屋の中で炙り、火月は娘に勧めたが彼女は首を振る。

(あ。そういや、こいつ肉は食えねぇとか言ってたっけか)

「しばらくは食事なしでも何とかなります。お父さんに行気術を教わってますから」と淑鈴は言う。

「なんか思いっきり不健康そうだけどな。明日は木の実でもとってやらぁ。ところでおめぇ」

火月はぎっとした視線を淑鈴に向ける。

「人形師の居場所を知ってる、っつったな。今どの辺にいて、大体距離はどのくらいだ?」

「もっと近づいたら言います」

火月を見返し、淑鈴はそう答えた。

火月は苦虫を噛み潰したようなしかめ面になる。

いろいろと言いたいことはあったが、ここは押さえ込み質問を変える事にした。

「なら、それ以外で人形師について知ってる事ぁなんだ?」

「すべて、父に聞いた話です。千年の昔、祖国が唐と呼ばれていた頃、その都長安に人形師が……壊帝ユガが現れました。」

火月は淑鈴の話に全神経を集中させる。

葉月を拉致した張本人。

魔界より現れ、現世を侵食せんとする妖魔について、娘は火月にもたらそうとしているのだ。

「兄弟子たち……水邪と炎邪も、その時人形師に化身していたユガと遭遇したそうです」

火月は思わず身を乗り出した。

「ちょっと待て。てこたぁ、奴ぁ千年も前から、ワケわかんねぇ人形芝居で人間をイカレさせてたってのかよ」

娘は頷く。

「その頃からすでに、壊帝は伝説として語られていました。

大陸に最初に立った王朝、夏を滅亡に導き、その後は商(殷)を滅ぼし、後を受け継いだ周の滅亡にも関わったそうです」

「マジか」

それが真実ならばまさに人知を超えた、劫と呼ばれるほどの永き刻を、その妖魔は存在し続けている事になる。

火月は淑鈴から、その兄弟子にあたる水邪と炎邪、そして師でもある父劉雲飛が遭遇したという人形師の姿形とその技、

所業についてのすべてを聞いた。

人形師は、明らかに人にあらざる異界に属するものの証のように、黒い目と金色の瞳孔を持っていた、という。

「人形師は、生きた人の意志を奪い、自在に操る術を会得しているそうです」

天草四郎時貞と同様か、もしくはそれ以上のあやしの技を人形師は用いる、ということを火月は理解した。

(こりゃ、褌のヒモ締めてかからねぇとな)

火月は内心で誓う。

天草同様に人ならぬ力と術を持つものを相手に戦い、葉月を取り戻さなくてはならない。

それは彼一人で成し遂げるべき事だった。天草の凶事の際もそうだったが、他人の力を借りることなど、頭の隅にも思ったことはない。

目の前にいる大陸の娘が邪魔とまでは思わないが、実際のところ必要だとも思わなかった。

それよりも、かつて葉月を救出する際恩を受けた老爺の娘を危険にさらすわけにはいかなかった。




(ったくよ。こーゆーのがめんどくせぇっつうのに)

火月は心で吐き捨てた。

ひとりの娘と道中を共にするということは、寝食のほぼすべてを共にしなくてはならないと言う事だ。

とりあえず、小屋の中は淑鈴に譲って戸口に陣取る。

彼女がすまなげな様子をしているのを、

「いいからとっとと寝ろ!」

一言怒鳴りつけ、引き戸を閉めてよりかかった。

(葉月)

星空を見上げ、火月は妹を想う。

(おめぇも辛ぇよな。炎邪水邪だの天草だの人形師だの、異変が起こるたんびにバケモンどもに狙われ続けてよ……

なんで、おめぇなんだ? なぁ?)

ふいと、風間の里にいた頃に、頭領の月心斎が告げた言葉が脳裏を過ぎった。

「葉月の未熟な忍の技はさておき、その秘めたる力……此度の任においては欠かせぬ」

葉月の秘められた力。

魔性の者どもが欲するのはそれか。

この度、人形師……壊帝ユガが葉月をかどわかした理由はそれに繋がるものなのか。

だとすれば、人形師は葉月を生かして利用するつもりなのか、それとも。

葉月の笑顔が脳裏に蘇る。

「くそぉ」

火月は悔しげに呟いた。

こうしている時間も惜しい。

だが、闇雲に動いて下手に体力を消耗しても、葉月救出に有利には働かない。

その事を、火月は理解している。

行く手に何があろうと、何を犠牲にしようと、必ず助け出すと。

成し遂げることができると信じて、人形師……壊帝ユガの元へ向かう以外の選択肢はなかった。

今は休息せねばならない。

「待ってろ、葉月」

呟き、火月は目を閉じる。

やがて瞼に落ちてきた暗黒の安らぎの中、突如叫び声が轟いた。

「ドッッグォラアアァ!!」

驚きと共に、火月は眠りの中で目覚めた。

夢の中で目を開き最初に見たものは、長く豊かな髪を持った、ひとりの半裸の男だった。

(兄貴!?)

刹那、火月は驚愕する。

そう見えたほど、青みがかった美々しい長髪と整った顔立ちが兄を思い出させるその男は、

しかし感情をあまりうかがわせない兄とは違い、尊大な雰囲気を漂わせていた。

足を組み宙に浮かび、形の良い顎に指を当てている。

その手を覆う手袋には蒼の色も鮮やかな宝玉が飾られ、手首の周囲を巨大な鉄の環が取り巻いていた。

彼は火月に悠然とした視線を向けている。

「うむ? 生まれ変わり、だと?」

「グルッシャァ! ゴォラッ!」

男は目にいささか怪訝な色を宿したが、発せられた唸り声に答えた。

「転生の事をお前は問うているのか? ならば梵語ではサンサーラとなるが」

「ドゥルァア!」

叫び声と共に火月の視線がぐるりと回転し、そのまま駆け出す。

ごつごつとした岩場の壁と天井……どうやら洞窟の内部だと火月は察した……を駆け抜け、

やがて火月の目に映ったのは妹の姿だった。

(葉月!)

声にはならなかったが、火月は叫ぶように夢の中の妹に呼びかける。

「きゃっ」

葉月が小さく悲鳴をあげ、その手を火月が……否、火月ではない誰かが掴んで引き寄せていた。

その手首の周囲も、先ほどの男同様巨大な鉄の環に取り巻かれているのが見えた。

「さんさーら、って、一体……」

困惑の色を目に浮かべた葉月が問い掛けてくる。

「グルッシャァ! ザンッ! ザァラアアァ!」

火月は、葉月がその叫びになおも困惑した表情になるのを見ていた。

(なんだよ、こりゃ)

妙に筋道だった夢の中の光景。

自分や兄が傍にはおらず、明らかに異なる者たちと共にいるらしい葉月の姿。

「ヴァーッハッハッハッハー!」

火月と同じ目線の何者かが、豪快に笑う。

困惑した表情を浮かべる葉月の周囲は薄暗い闇に閉ざされていたが、

妹の体の向こうに、眠る子供の姿を火月はとらえた。

それは仙術士劉雲飛の娘。

大陸からやって来た娘の、幼き頃の姿だった。

(待てよ、てことは)

火月は考えをめぐらせる。

(ひょっとしてこいつぁ、葉月があの化けモンどもにさらわれた時の)

記憶、なのだろうか。

とすれば誰の記憶なのか。

自身のものでない事だけは明白であった。

一体、誰の記憶を今自分は見ているのか。

模索する火月は、呼びかける声を聞く。

戦波ジャンボ

(あ?)

咄嗟に返事を返す。

(オイ、誰のこと言ってんだ。俺は風間火月だ!)

目の前に話しかけてきた人物を見た火月は、夢の中で瞬きを繰り返した。

(コイツ……ひょっとしてさっきの半裸野郎か?)

大分雰囲気が変わっているが、その大陸の衣裳……どうやら簡素な武術着のようだ……

を纏って目前に立っている男は、先ほどの宙に浮かんでいた男と同一人物らしい。

「このような無駄金を使うな」

どこか兄蒼月に似た、大陸の衣装をまとった男は、そう言うと形の良い眉をひそめた。

空きっ腹じゃあ、戦にならねぇじゃねえかよ。

火月は自分の口がそう動いたのを知る。

そのまま、手にした食物に彼はかじりついた。

口の中に、油と肉と饅頭の皮に似た味が広がる。

「まったく」

目の前の男がわずかに溜息を漏らした。

彼を見ていた火月が脳裏に呼び起こしたのは、先ほど聞いた、雲飛の娘の話だった。

彼女の兄弟子に当たる炎邪と水邪が人であった頃、人形師と遭遇したという事件を。

(こりゃ、その時の記憶だってのか?)

その時突如、火月の脳裏を劈いた声。

「KUMUDANA」 

全身が総毛立つ思いがした。

すさまじい違和感をもたらし、体と心を引き裂き、脳髄を鷲掴みにし掻き乱すような、

人のものならざる異様な声。

火月の目には、一丈ほどの高さの人形芝居の舞台が映る。

ぐねぐねとうねる闇の中に直立する舞台の中央に、あやしき姿が陣取っていた。

木製の枠組みの中に舞台となる空を現出している、そこに立つは、

白い肌を持つ異国のものと一目でわかる、艶めかしき女の傀儡。

それを手にした人物が立ち上がり、こちらに目を向ける。

火月を視線で射抜いたのは黒い眼球に張り付いたように輝く、黄金の瞳。

厚い唇が嗤いを浮かべた。

「我が手のうちで滅すべし」

闇そのものが唸ったかのような、不気味にくぐもった声が轟く。

(てめぇか!)

火月は夢の中で声を張り上げる。

それが”人形師”に届いているか否かはわからない、

そんな事は火月の眼中になかった。

(てめぇが人形師か! オヤジと葉月をどうしやがったあ!!)

火月は自身の声で目を覚ました。

「火月哥々!」

傍らで、劉淑鈴の声がした。

我に返った火月は娘を見据える。

心配そうな表情で、娘は火月を見ていた。

「人形師のことが……気になりますか?」

火月は憮然とした表情で娘から目をそらした。

「葉月姐々のことも……それに」

娘はさらに表情を曇らせる。

「火月哥々のお父上も、人形師を追って行かれたんですか?」

周囲はまだ、夜闇に包まれていた。

月明かりにわずかに照らし出される娘の顔を睨むように見据えていた火月は、

「まだ夜は明けてねぇ。寝てろ」

そう言い捨て、背を向け寝転がった。

娘の目に寂しげな光が宿った。




しばらく、火月の背中を見ていた淑鈴は、肩を落として自身の背後を振り返る。

目の前に広がる夜の山をぼんやりと見、ふっと夜空を見上げ、再び目前の森に目を向ける。

人の姿があった。

包まれた長物を携えた一人の男。

引き締まった体、眼鏡の下の半眼からこちらへ射込まれる鋭い視線。

淑鈴の背筋に、刹那ぞくりと冷たい気配が走る。

「魔の気配があったようだが、気の迷いか」

男は呟いた。

「え」

「そりゃどういうことだ?」

声と共に、火月がむくりと起き上った。

「火月哥々!」

「ここら辺に魔物の気配があるってことか。それとも」

火月は、男をぎっと睨む。

「俺かこいつのどっちかから、ってことか?」

男は黙したまま火月を見詰める。

夜の静寂しじまを満たす沈黙。

「ダンマリでメンチ切っててもラチがあかねぇや」

静かな闇の静寂を切り裂き、火月の声が響いた。

「魔の気配とか言ってるって事ぁ、アンタ祓い師かなんかか。ひょっとして、人形師を追ってんのか?」

怒鳴るような問いかけに、男の眉がわずかに動く。

「再びその名を聞くのも巡り合わせか」

男が再度小さく呟く。

「人形師を……壊帝ユガを知ってる……」

怯えたように淑鈴が呟き、男の冷たい半眼はちらりと淑鈴を一瞥したが

すぐさま火月に視線を戻した。

「また、退くことを勧めねばならんか」

「退く? どういう意味だコラ」

「言葉どおりだ。何が起きたかは知らぬが、人形師からは手を引くが良い。

お主らの手に負える相手ではない」

「断る!」

断固とした調子の火月の声が響く。

男の表情は変わらない。

「今テメェで言ったよな? 何が起きたか知らねえんなら、余計な口出しすんじゃねぇよ。

俺は人形師から取り戻さなくちゃいけねぇ大事なもんがあるんだ!」

「取り返さねばならぬ大切なもの、か」

冷めた声で男が言った。

「だが、お主が向かったところで犬死にだ。

どうやら腕に自信があるようだが」

と、火月の体つきを一瞥する。

「人形師は腕力のみで倒せるほど容易い相手ではない。」

火月は眉をしかめ、横様に唾をはき捨て男に怒鳴りつけた。

「その程度の事ァ承知してらぁ!余計なお世話だッつってんだろぉ!」

「火月哥々っ!」

大陸の娘が突如、声を上げ火月と男の対峙に割り込んだ。

「どうしてそんなに喧嘩腰なんですかっ? しなくていい争いをしてたら、ユガに立ち向かう肝心な時に力が出せなくなるでしょうっ?」

娘は身を乗り出し、火月の腕を掴む。

「おめぇもうるせーよ」

声の調子を落とした火月は、軽く淑鈴の手を振り払った。

「小競り合いも腕慣らしぐらいにゃなるだろうが!」

ぎらりとした光を漲らせた目で、再び男を睨みつける。

「お主は、話してわかる性根ではないようだな」

男が静かに言った。

「来やがれ!」

腰の小太刀、朱雀に手をかけ火月が立ち上がる。

黙した男が、手にした長物の被いを取り払った。

火月の隣に坐したままの淑鈴が息を呑む。

月明かりに穂先が閃き、見事な装飾を施された槍が姿を現した。

「ムン!」

槍を両手で握った男が一声、気合いを込めた。

「えぇっ」

火月の横で、娘が驚愕の声をあげる。

二人の前で男の手にした槍の穂先が、全く違うものに形を変えた。

それは人の頭よりも遥かに大きな穂首……たっぷりと墨を含んだ、筆の毛の部分としか見えなかった。

いまや男の手にあるものは、巨大な筆。

「なんだありゃ」

半分呆れ声で呟いた火月の耳に、淑鈴の声が届いた。

「墨血……筆槍……?」

「知ってんのか」

朱雀を抜き取り、前に構えあくまで男の動向に注意を払いつつも、火月は横目で娘を見やる。

娘は呆然とした風で、男の奇妙な武器を凝視していた。

「お父さんの時代に、青龍寺にあった神槍が……どうして、日本に?」

「雲飛の爺さんの時代つーと……千年前かよ。ありゃ大陸にあった筆なのか」

言いつつ、

(待てよ)

火月は記憶を探った。

(なんっか聞いたことあるようなねぇような……そうだ、確か風間の里にいた時兄貴が言ってたっけか)




火月の所属していた風間忍群は、”封魔の術”を伝える一族でもある。

火月はその方面は不得手であったが、基本的な知識は得るようにと

葉月と共に兄蒼月から、日ノ本の著名な祓い師や封魔を旨とする流派について聞かされたことがあった。

その中に、書によって魔を封じるという流派があった。

大師流封魔術こと、通称”封字の法”。

蒼月の声が脳裏に蘇る。

「そもそも咒とは、言葉によって相手を束縛するという側面を持ちます」

冴え渡った冷徹な眼の光。恐れと重圧と憧れを、常に感じさせた男の。

「書に天賦の才を持っていた弘法大師が大陸より伝えた封字の法は、直截的であるがゆえに封魔の効果は絶大。

絶大すぎるがために習得は難しく、また反感を買うことも多々あったとか」

「どうして、反感を買ったりするの? 兄さん」

そう尋ねたのは葉月だった。

「簡単なことです。実力で劣る輩の生業が成り立たなくなるからですよ」

兄はさらりとそう言った。

「とは言え、封字の法は一子相伝を掟としていること、さらに先ほど述べた習得の困難もあり広まる事はまず考えられません。

やがて淘汰され、時代の彼方に消え逝く宿命でしょう。」

「そんならよ、兄貴。」

頬を指で掻きつつ、火月は兄に尋ねた。

「今は誰がその封字の法を受け継いでんだ?」

「闇の書道家と称された八角縛山の嫡子、八角泰山」

静かに蒼月が答える。

「先代の頃から封字の法に対する妨害はあったようですが、泰山に代替わりして後さらに激しくなったようです。

当人はそれを避け、隠遁生活に入ったとか」

「世捨て人ってことかよ。んじゃあ、封魔を必要としてる連中に何もしてやれねぇって事になりゃしねぇか?」

「そこは泰山の敵対者たちが何とかするでしょう。しかし……」

兄の眼に冷徹な色が増した。

「果たして八角泰山は、己の負った封字の法の宿命から遁れ得る事が叶うでしょうか。

私にはそうは思えませんが、ね」

兄のその言葉は、常にも増して冷酷な響きがあるように火月には思えたのだった。



「噂に聞いたことがあるぜ。封字の法とかいう流派の事をよ!」

火月は男に……八角泰山に向かって叫ぶ。

「その筆は魔物封じの道具なんだろうが!? ハッ! なら俺はてめぇに魔物扱いされてるってワケか」

「無益な殺生は必要ない。血の気の多い輩に対しては、一時その力を封じさせてもらう」

泰山は冷静に声を発する。

「血が流れれば流れるだけ、魔の力への呼び水となり人形師とその配下が力を増す」

泰山が火月を見据えた。

「封!」

鋭い一声と共に、封字の退魔師が舞う。


クムダナ…長安のインド名。中央アジア〜東ローマ帝国までの長安の呼び名・クムダンにちなむという。

一丈…約3・79メートル。



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