流雲涙華第一部 風間火月対八角泰山
陰陽柱


「どうなってやがるんだよ」

風間火月は呟く。

苛立ちの混じった声だった。

「考えるのは後にしねぇとな、風間のボウズ」

火月と背中あわせに立ち、愛刀河豚毒を構えた覇王丸が言う。

まばらな無精ひげの点在する頬にに笑みが浮かび、顎に走る傷跡がそれにつれて歪んでいた。

「あんたに言われなくてもわかってらぁ! けどイライラすんだよっ」

刃が空を裂き、火月に襲い掛かる。

抜き身の朱雀が閃き、

火月は襲い来る男の腹を切り裂いた。

「こんな木偶みてぇな奴らが相手で、熱くなれるかァ!!」

「まぁ、最近こういう手合いが多いな」

声には面白がっているような響きがあるが、

覇王丸の目は炯々と目の前の敵たちを見据え、

豪腕を添えた河豚毒の一振りで確実に屠っていく。

男のひとりが声もなく地に倒れ伏す音と同時に、

「ッていうか、多すぎるな」

覇王丸は呟いた。

目の前の、彼らを取り囲む敵たちは、町を闊歩する侠客の一党であろうか。

この錆びれ、人影の見えぬ町並みは、彼らの縄張りであったのだろうか。

彼らは一語も発さない。

その目には全く光が無い。

彼らはただ黙して立ち、刀を手に只管に、執拗に覇王丸と火月に向かってくる。

「くそッッたれがぁ!」

火月が吼え、炎が爆ぜた。



ようやく侠客たちを降して後。

腰を落とし息を整ていえた火月は覇王丸に目を向け、力を込めて見据えた。

「ん?」

火月の視線を捉え、覇王丸が彼を見る。

「あんたはなんで絡まれんだ?」

「なんで、ってのは?」

火月が立ち上がる。

「俺はわかるんだよ。追っかけてこられちゃ目障りってことだろうしよ。けど」

今一度、倒れ伏す侠客たちを火月は見渡した。

「あんたは、こういう連中に襲われる理由に心当たりがあんのかって聞いてんだよ」

「さぁてな」

覇王丸は河豚毒を鞘に収める。

火月に問われたことを気にかけている様子は、微塵も窺えなかった。




「それはね」

突如、若い娘の声が響く。

「あなたの存在自体が魔を呼んでいるのよ」

覇王丸は、女の声に目を向ける。

颯爽とした姿の娘があった。

白を基調に、紫に縁取られた衣。

腰の後ろに結わえ付けられた、小振りな宝刀の鞘。

潰れた片目と鼻面に一文字の傷跡を残す巨体の狼が、娘の背後に従っている。

その背には、大陸の衣装をまとったひとりの長髪の娘が腰掛けていた。

短い髪をなびかせ颯爽と立つ、紫の衣の蝦夷の娘は、不敵とも見える笑みを浮かべていた。




その姿は覇王丸の脳裏に、

数年前の記憶を呼び覚ます。

かつて、黄泉が原での騒乱の直前に出会った、あの紫黒の衣をまとう蝦夷の娘。

(あなた、その殺気……この先その身にどんな禍いを招くか、わからないわよ)

かの娘が告げたとおりの道を己が歩んできた事に、ふと覇王丸は思い当たる。

(だが別に悔いはねぇぜ)

誰にともなく心に呟き、覇王丸は娘を見た。

あのときの娘……”レラ”と似ているところがあるような気もするが、

決定的な違いは、目の前の娘に憂いの気は切片もないところであった。

「そうは言っても」

彼女……カムイコタンの巫女にしてアイヌの戦士、”赤のナコルル”と同じ名を持つ少女、

”紫のナコルル”は言葉を続ける。

「半陽のオッカイ、として生まれたのはあなたの意志じゃない、

大自然の定めたことね。どうなるものでもないわ」

「お前さんもそれを知ってるのかい」

覇王丸の問いかけに、娘の様子に誇らしげな色が強まった。

「私は自然の声を聞ける巫女よ?

それにウエンカムイを討伐するカムイの戦士でもある。そのくらいの知識は持っていなくちゃ」

「あのぅ……それ、さっき私が話したことじゃないですか」

紫のナコルルが従える巨体の狼、シクルゥの背に腰かけている少女が言う。

「あなたの話は、大自然のお告げを裏付けただけのものじゃない。威張るのは感心しないわね」

紫のナコルルの言葉に、少女の頬がぷぅと膨らんだ。

「私、別に威張ってなんか」

「おいおい」

眉をしかめ、火月は二人の娘に声をかける。

「いきなり仲たがいをおっぱじめるのは勘弁しろよな。で、なんだよお前らは」

少女がシクルゥの背から降り立たった。

謝々シェシェね、狼さん」

シクルゥに微かな笑みと共に話し掛け、少女は火月の前に進み出る。

「お久しぶりです、火月哥々カカ

大陸の衣装をまとい、長い銀髪の先端のみをゆったりとした三つ編みにまとめ、垂らしている少女は火月に頭を下げた。

「……誰だよ」

怪訝な表情でその少女を見つめた火月は瞬く。

「誰だよって……私、忘れられちゃったんですかっ!?」

言葉とともに少女の顔は、泣きそうにくしゃくしゃに歪んだ。

(げ)

いきなり泣かれるなんぞシャレにならねー。

火月は内心焦ったが、

「野暮ねぇ、あなた。そんなんじゃ一生独り身のままよ?」

小馬鹿にした表情を隠そうともしない紫のナコルルの言葉が耳に刺さった。

「うるせーよ」

そう吐き捨てた火月を、大陸の少女は頬を膨らませて睨んでいる。

その表情が、記憶の奥底から浮かび上がってきた、明朗でいて頑是無い表情と重なった。

「ああ、悪ぃ悪ぃ。思い出したぜ。大陸の仙術使いの爺さんの娘だったよな、確か」

「はい。天仙遁甲の劉雲飛の娘です」

「っと……あれから四年くれぇになんのか。デカくなったな、おめー。」

言いつつ、火月は首をひねる。

「つぅか、たった四年でデカくなりすぎじゃねぇか?」

火月の記憶にある仙術士の娘は、小さな体といい行動といい、

年の頃五つ六つより上とはとても思えぬ幼子であった。

今目の前にいる同一人物であるはずの少女の、

ほっそりした体つきは子供のそれではなく、成長した娘のものだった。

見たところ一三、四ほどであるように思える。

仙術士、劉雲飛リュウユンフェイの娘……劉淑鈴リュウスーリンは火月に答えた。

「そうかもしれません。私、普通の人と同じようには大きくならないみたいです」

「……そういや、あん時も普通じゃねぇ真似してたよな、おめぇ」

「そんなこと別にどうだっていいじゃない、派手な忍者さん」

紫を配した衣のアイヌの巫女が言う。

「誰がハデ忍者だ、コラ」

火月は彼女を睨みつけ、大陸の少女もむくれる。

「どうだっていいってどういうことですか」

「自覚がないって、怖いわよねぇー。」

すました顔で紫のナコルルは火月に答える。淑鈴は無視された形だった。

が、再び火月を見た彼女の目には冷厳な光が宿っていた。

「それはともかくここにいるものは皆、抜き差しならない事態に直面してるのよ?」

腕組みしつつ三者を眺めていた覇王丸が、のんびりと声をかける。

「ここにいるもの、ってぇと俺も含まれるのかい?」

「何言ってるのよ。あなたが一番厄介なんじゃない!」

短い髪をなびかせ、巫女は、覇王丸の顔面めがけて人差し指を突き出す。

「ユガと名乗るウエンカムイが狙っているのはあなたなのよ! 覇王丸!」




「―――まぁ、」

顎に指をかけ、覇王丸の頬に苦笑いが浮かんだ。

「何がいいのか知らねぇが、俺にご執心な変な野郎はいるみてぇだがな」

「牙神、って野郎のことかよ。」

「そりゃいつものこったから別に気にしちゃいねぇが。……なんでお前が知ってんだよ、風間の」

「蛇の道は蛇ってヤツ。忍びを舐めんじゃねーぜ」

「ちょっと。話をそらさないでよ。人間のヘンタイは私の知った事じゃないけどね」

紫のナコルルが、覇王丸と火月に割って入る。

「嫌な世界ですよね……」淑鈴が呟く。

「ユガがあなたを狙う理由は知ってるの?」

「いいや」

少し意地の悪い光が、刹那紫のナコルルの目を過ぎっていった。

「じゃあ教えてあげる。なかなか気味の悪い話になるわよ?」




「このところ嫌な瘴気の漂う日が多くなってきて、自然もざわつき始めたわ。

私はカムイコタンで占った。レプンモシリで陰惨な刃傷沙汰が尋常でなく増えて、

そしてたくさんの屍が魔界へと取り込まれていく、と出たわね」

「こんな感じでか」

薄く笑いを浮かべ、周囲に倒れ伏す侠客たちを覇王丸が顎で指し示す。

「こんな感じでね」

紫のナコルルが、覇王丸を見返しにやりと笑う。

「壊帝の企みのためには」

劉淑鈴が口を開いた。

「人々の躯が大量に必要になるんです」

その目に、真摯な光と微かな怯えとが同時に宿っている。

「まさか」

火月は太い眉をしかめた。

「まさか、葉月もかよ」

「それは……わかりません。ただ、人々の躯は壊帝にとって野望のための”材料”でしかないんです。

葉月姐々チェチェが持つ意味は、もっと別のものかもしれません。壊帝は、葉月姐々の持つ”封魔の力”を怖れて、

かどわかしたのかもしれません」

娘は火月に目を据えた。

「あのときの師兄たちと同じように」

「野望のための材料、なァ」

冷めた声で呟き、覇王丸は娘に問う。

「野郎は何のために大量に屍をこさえる必要があるんだ?」

大陸の娘が答えた。

「陰陽柱です」




現世が乱れ、人々が苦しみ、血を流し、怨嗟の声が満ちれば満ちるほど、

それを糧とし、魔の力は強大となる。

その魔、壊帝ユガのもとには強大となる一方の妖力と共に、

大量の屍と、禍に巻き込まれ生あるまま魔界に落ちた者たちが集まってきていた。

人間を操る力を有するユガは、魔界に落ちた者たちを己の生き人形と改造し、

彼らを使って屍を巨大な柱の形へと組み上げさせた。

過酷な作業のため壊れて使い物にならなくなった生き人形は、すぐさま柱の仲間入りをすることとなった。

そのように、人の身体を集めて作り上げられた肉柱は、ほぼ完成をみる状態となっていた。

その二つの柱が機能するために、最終的に必要になるものが半陰の女と半陽の男。

肉柱に封じ込められるための、人柱である。



「化け物ヤロウが! 胸糞悪ィったらねぇぜ!」

火月が吼えるように吐き捨てた。

「紫のナコルル姐々も、壊帝の作る陰陽柱の光景をぼんやりと透視できた、とは言っていました。

でも、おとうさ……父はその光景をより詳細に”真観シンカン”し、その意味を知ることもできます」

「それ自慢のつもり? だとしても凄いのはあなたのアチャであなたじゃないでしょ」

紫のナコルルは淑鈴を冷たく見やる。

「宇宙のすべては陰と陽から為っています。生成と消滅は、陰陽の結びつきと瓦解で起こります。

陰を象徴する女と陽を象徴する男を核とした陰陽柱は、世界の消滅と新たな創造を可能にするんです」

大陸の少女は紫のナコルルを意に介さず話を続けたが、

「アチャの受け売りね?」

小馬鹿にした紫のナコルルの物言いに、一瞬口をつぐんで彼女を睨むように見据えた。

「つまり、そいつは現世を滅ぼすために作られてる柱ってことか」と覇王丸。

「そして、壊帝の望む世界を現出させるための柱です」

「わかった? 覇王丸。あなたがユガに捕われることは、世界の破滅を意味するのよ」

紫のナコルルが告げたが、覇王丸は顎に指を当て別な事に考えを巡らせている様子である。

「大陸の嬢ちゃん。あんたの話だとその陰陽柱とやらにゃ、俺のほかにもうひとり女が必要、ってことになるな?」

「はい」

「その女も危ねぇんじゃねえのか」

紫のナコルルが軽く肩を竦めた。

「残念ね。半陰のメノコは既にユガの手に落ちたわ」

「葉月か!」

突然の火月の怒鳴り声に、大陸の少女は身を竦めて後づさる。

「葉月がその半陰の女やらだッてぇのかぁ!!」

獣の如く凶暴な形相となった火月はなおも、吼えるが如く大音響を轟かせた。

「ちょっと。私、うるさい男は嫌いよ」

眉をひそめ、紫のナコルルが火月を冷然と睨みつける。

「あのぅ、火月哥々……」

か細い声で、おそるおそる淑鈴が告げた。

「葉月姐々チェチェが、半陰の女ということはないと思います」

「あ〜っ、ッッたくよぉ!」

片手で頭を掻き毟り、火月は吼えるように吐き捨てる。

「なんだろうと知ったこっちゃねぇが、葉月は野郎の好きにゃさせねぇ!

絶ッッ対に取り戻す!」

「無視して話を戻すけど。覇王丸!」

紫のナコルルが、再び覇王丸に向き直る。

「そういうわけだから、あなたは何としてもユガにさらわれないようにしなくちゃ」

「ま、気をつけとくぜ」

そう言い置き、覇王丸は踵を返そうとしたが、

「待ちなさいよ!」

その背に声をかけた紫のナコルルは、小走りに覇王丸の正面に回り込んだ。

後に、巨狼のシクルゥが従う。

「これからは私が側にいて、あなたに近づくカミアシどもにお仕置きしてやるわ。感謝しなさいよ!」

覇王丸は面倒気に紫のナコルルを見る。

「別に必要ねえんだがな」

「あなたの都合はこの際どうでもいいのよ。私はアイヌの巫女、そしてカムイの戦士として、

ウエンカムイの企みを無に帰すために一番手っ取り早い手段を選ぶだけなんだから」

「要するに、俺にくっついてりゃ壊帝が釣れるだろう、って腹か?」

「そういうことね」

紫のナコルルが不敵な笑顔を覇王丸に向けた。

「好きにしろと言いたいところだが」

覇王丸は苦笑する。

「正直、お前さんにくっつかれても邪魔なんだがねぇ」

「あなたの都合はどうでもいい、って言ったでしょ?」

「やれやれ」

覇王丸は肩を竦める。

がらんどうの店の軒先に置かれていた、吟の一文字が入った陶製の酒瓶を、彼は刀の鞘の先にひっかけた。

「何が襲ってこようと、片っ端から叩っ斬るだけだがな」

その目が紫のナコルルを振り向く。

「お前さんの面倒まで見切れねぇぜ。それは覚えとけよ」

紫のナコルルは、むっとした表情を浮かべたが、

覇王丸に告げた言葉は真摯そのものだった。

「勘違いしないで。私があなたに守られるんじゃない。

私が、大自然のためにあなたをウエンカムイから守ってあげるの」





愛刀と酒瓶を肩に追い、去っていく覇王丸の後を、

蝦夷の娘と狼が軽やかに追っていくのを火月は見送っていたが。

ちらりと、傍らに立つ大陸の娘に目を移す。

「おめぇは行かなくていいのかよ」

「私がするべきことは、火月哥々カカの側にいることです」

「何でだ」

「葉月姐々を、壊帝がかどわかしたのは知っています」

娘は、真剣な眼差しで火月を見据える。

「……私も、気持ちは火月哥々カカと同じです。葉月姐々チェチェを助けたい。四年前、師兄たちから命を助けてもらった恩に報いたいんです。

それに」

火月を見据える目に、さらに強い光が宿った。

「私は、壊帝ユガの居場所を知っています。だから、火月哥々カカのお役に立つことができます」

「なんでお前が知ってんだ」

爺さんの真観とやらか、と続けて口に出そうとした火月は、

「雲飛の爺さんとの真観、とやらなのかよ」

そう告げながら少女を見下ろす。

「はい」

大陸の少女は火月の顔を見据え、強く頷いた。

「……野郎の居場所がわからなけりゃあ、当然葉月は取り戻せねえけどよ」

火月は目の前の少女に目を据える。

「おめぇ、覚悟はできてんだろうな?」

睨みつけているようにも、挑みかかるようにも思える目つきだったが、

少女は強い意志を篭めた目で、そんな火月の目を見返してくる。

「火月哥々。どういう意味でしょうか」

「葉月を助けるために、自分がどうなっても構わねぇのかってことだ」

「言われるまでもないです。覚悟があるから、私はここへ来ました」

「ハッキリ言うけどな。……怒るなよ? 口で言うだけなら簡単なんだよ。

さっきの覇王丸のオッサンの台詞じゃねーけど、

おめぇにつきまとわれても面倒見切れねえんだ!」

「火月哥々」

大陸の娘が言った。

「私はもう、四年前に火月哥々たちに助けてもらったときの何もわからない子供じゃありません。

武侠の娘として、流派を継ぐものとして修行を積んできました。だから、ただの足手まといにはなりません」

火月はその睨みつける表情に渋い色を宿し、娘を見据えている。

「それでも、壊帝ユガの相手はできませんけど……」

そこで娘の声の調子は落ち、彼女が僅かに俯いたのを目に留め、

火月は心にふときざした疑問を口に出した。

「そういやおめぇ、わざわざ大陸からひとりでここまで来たのか?

雲飛の爺さんが許してくれたのかよ。まさかたぁ思うが」

火月は娘の前に顔を突き出す。

「オイ。親に黙ってこっそり出てきたわけじゃねぇだろうな?」

淑鈴が俯いた。

「こっそり出て来ようとしましたけど、お父さんの目はごまかせませんでした」

「無茶苦茶すんじゃねーよ。爺さん怒ったんじゃねぇのか。」

「怒ったかどうかは、お父さんは顔があまり変わらないからわかりません。でも、未熟者呼ばわりされました」

「なんか、声が聞こえてきそうだな」

四年前。

初めて、妹葉月が魔の手にかどわかされた事件の折に出会った大陸の老爺の、

低く、落ち着きがありながら威厳の籠もった声を思い出し、火月は指でこめかみを掻いていた。






彼の妹・葉月は、風間忍群の切り札である、

”封魔の力”を宿して生まれた娘。

魔界のもの、炎邪と水邪の手から取り戻したその二年後、

そろそろ冬に差しかかろうとする季節のことだった。

葉月は突如、原因不明の病に倒れ、起き上がることが叶わなくなった。

ほぼ時を同じくして、風間の里は不穏な報告を受けとった。

かつて古の時、江戸幕府に反旗を翻した切支丹や農民たちが立て篭もり、乱が鎮圧され焼き払われた島原城の復活。

この年、春に様々な異変が起こり、元凶はその島原周辺にあったのではないかと噂されていたが、

風間忍群は頭領の指示の下、ひたすら里の守りを固めることに終始して異変をやり過ごした。

だが、今回突如として復活した島原城は禍々しい瘴気を放ち、

それは周囲の幾つかの村を飲み込み、消滅させたと言う。

”葉月の病は復活せし島原城……否、魔城の瘴気に影響されたもの”

そう判断を下した頭領は、葉月の隔離を命じた。

彼女が隔離されたのは、

その二年前、炎邪と水邪を滅することに兄蒼月曰く”借りのあった”

大陸の老爺とその娘が滞在した、風間忍群が里山の境に設けた監視小屋であった。



火月は決意していた。

”葉月”

入っていった小屋の中央に、粗末な布団に寝かされた妹がいた。

火月に向けられた瞳は、熱で潤んでいた。

”待ってろ。もうすぐ起きれるようになるからな。辛いだろうけど、辛抱するんだぞ!”

妹の熱を帯びた手を握ると、

葉月は苦しい息を吐きつつ、微かに笑ってみせた。

小屋を飛び出した火月は、そのまま風間の里へは戻らなかった。

もう、二度と。

彼は島原の魔城を目指し、駆け出した。

それは抜け忍となること。

今後、風間の里を完全に敵に回すこと。

己は里にとり断罪されるべきもの、それ以外何ら意味を持たぬ存在となりその死が確実となるまで追われる。

すなわち、己の生きる場所は逃亡の中のみとなることを意味していた。

それでも、魔城を潰す。

もしくは、魔城を復活させたものを倒す。

さもなければ、葉月の身体は元には戻らない。



そうして火月は島原への道のりで、

かつて黄泉が原で出会った異国の戦士に再会し、また

一振りの刀と酒瓶を手に武者修行の旅を続ける剣豪・覇王丸や、

蝦夷からやって来たという、巫女と名乗る少女たちとも出会った。

漸く魔城へと潜入した火月が目にしたものは。

人ならぬ色の肌と、喩えようもない忌まわしい妖しの気をまとった伴天連の衣装をまとう男。

そして、その男に拘束された襦袢姿の妹葉月だった。


葉月はその強大な力ゆえに、この魔物の如き男に目をつけられ、

拐かし易くするために呪術で病気にされ、魔城の瘴気を維持するため利用されたのだと知った火月は、

怒りのままに刀を振るい、伴天連の衣装の男……島原の乱の首謀者・天草四郎時貞の霊の悪しき部分の集合体……を倒した。

だがそれを合図に、”天草が怨霊”が魔界から召還し、意のままにならぬがゆえに封印した”鬼”……

壬無月斬紅郎なる強力の剣士が復活し、火月に襲い掛かった。

斬紅郎を倒し、満身創痍の火月を救ったのは、

追い忍として風間の里から派遣された実兄、風間蒼月であった。



「里の掟、わかっていますね」

そう口にしつつ兄は、

炎邪・水邪の事件の時と同じように、

辻褄を合わせて弟妹を救ってくれた。

火月と葉月は魔城諸とも滅した事になり、風間の里の頭領は蒼月のその報告を信じ、

里には疑問を呈する者もなくはなかったが、それが火月と葉月に影響を及ぼすには至らず

二人は安住の地を失った代わりに、新たな生を踏み出す事となったのだった。




だが、これからを共に生きる相手である妹葉月は、今火月の側にはいない。



人形師。

真なる呼び名は壊帝ユガ。

その謎の存在を火月が知ったのは、抜け忍となり葉月とひっそりと暮らしていた時、

再会する事となった義父の言葉によってであった。



オッカイ…男  メノコ…女  レプンモシリ…沖の国=本州  アチャ=父  カミアシ=妖怪

哥々…おにいさん、兄貴  姐々…おねえさん  真観…仙人の持つ透視能力



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