第一章 尋夢 Searchin’ For The Dream(2)
YUMEMIGUSA〜夢の浮橋・弐〜


夜闇を渡る風が髪を舞い上げ、簫簫の音を耳朶に吹き付ける。

風は鬼哭、すなわち死者の嘆く声。

そして同時に風は、天命を告げるもの。

そう思いを馳せ、眼を開く。

「……夢仙境への、道が通じた」

ぽつりと言葉が零れ落ちる。

夜闇に沈む、離天京の色町である是衒街の一角。

天に向けて突き出た火の見櫓の屋根の上に、女が立っていた。

その手に剣鞘を握り、長くさらりとした銀の髪が風に嬲られるまま、女は感じ取っていた。

仇の降り立ったこの孤島は、霊的な力を強く漂わせている場所であることを。

霊的な場所であるなら、現世と異なる場所への扉を開くことのできる……

そのような異能の力を持つものが存在していてもおかしくはない。

島を覆う霊力には、負へと傾く黒い気配が混じり、

おそらくは徐々に強まっていこうとしている。

明らかに、そう仕向けている者がこの島には存在している。

「ねーねー」

突如幼い声が聞こえ、物思いを破られた女は無表情のまま顔を向けた。

「なんかくれろ?」

一人の小柄な少女が隣に立ち、小さな掌を女に向けて突き出してきた。

後ろ手に、巨大な猫の形の手をつけた槌を持っている。

眠兎ミントはランポーといっしょに、リューキューへ行くからなっ。金がイチバンいいんだけども」

少女は下から女の顔を覗き込み、にっかりと破顔する。

「ほへ? 輪っかに鈴ついてんだな。眠兎ミントはそーゆーのも好きだぞ。」

くるっとした目が、女の腕にある金の腕輪から、女が体にかけているものへと移る。

「けどもくれるんだったら、その弓でもええぞっ。」

「これは弓じゃないから。楽器。」

少女が弓と誤解した”一弦琴”の弦を思わず握り、女は無表情な声で少女に答えていた。

「ふむ。ねーちゃん、まーまーそこそこプニプニなヒップだなっ。チチの方もまぁまぁなんでないのけ?」

首を傾げ、少女は女の腰から視線を上へと移し、大きな目をぱちくりと瞬く。

風に吹かれながら、女は少女を冷めた目で見ていた。

こんなところに子供がいる。

屋根でも崖でもどのような難所でも、ものともしない脚力を持ちそれによって此処まで駆け上がってきた

女を嘲笑うかのように平然とここにいて、

にこやかな表情でたかってくる。

(相手にしない方が、得策かな……。)

そう考えていたが、少女の発した言葉の中にひとつ、女の心にひっかかるものがあった。

「あなた……琉球へ行く、の?」

「おうっ。海がアオアオでびゅーちほーな魚がわぁんさとおるって、陀流磨ダルマのオジイが言っとった! だからなんかくれろっ。」

歯を剥き出しにしてにかりと笑う少女に、女は全く表情を動かさず告げる。

「いいところ、みたいね。でも、私はその邦、嫌い。」

「ほへ?」

女の足が渡し木を蹴る。

少女が瞬きしたその刹那には、女の影は既に遠のいていた。

月影に溶けるかと見えるほど飛び走り、街の屋根屋根を走り去っていく小さな姿だけが目に映る。

「ほへへ?」

その少女……兄貴分の乱鳳ランポウと並び、”離天京の小鬼”と呼ばれている眠兎ミントは、首を大きくかしげて再びぱちくりと瞬いた。

目をつけた”獲物”に逃げられたことをはっきりと認識し、頬を大きく膨らませる。

「あいつケッチだな〜! イッパツぶっ飛ばさなかったのは、眠兎ミントのミスなのねっ。」

そう言いつつ、むくれた眠兎は彼女の武器である”紅葉の猫小槌”をぶるんと振り回し、

猫の手の形をした先端の、肉球部分を櫓の壁に打ち付けた。

「かい―――んっ!!」

ぽよん、と音が響いて星が散った。




火の見櫓から飛び去った女は、街の屋根の上に降り立つ。

同時に肌が只ならぬ気配を察し、鼻腔を血の匂いがくすぐる。

発生源を探して屋根の上から周囲を見渡す女の目に、一人立つ者の姿が飛び込んで来た。

その手に刀を持ち、刃は仄かに青白い光を放っている。

まとわりつく血糊。

刀を振り、それを払い落とした青年がふっとこちらを見上げた。

涼しげな雰囲気の、人形のように繊細で整った顔立ちだった。

その瞳の、冷めていながら深い色。

瞬間、思わずその瞳にひるんだ女は咄嗟に身を伏せる。

「若っ! おい、蒼士狼せいしろうっ!」

低く渋い男の声が、耳に届いた。

「何をやっとるんだお前はっ!」

その声はどなり声へと変わる。あの青年に向けられたものだろうと女は察した。

「む? そやつらは……」

「行くぞ、迅衛門」

涼しい響きの若い男の声が聞こえる。先ほどの青年の声だろう。

「眠い。横になれる場所に移動だ」

「なっ!?」

先ほどの渋い声が素っ頓狂に響く。

「お前はっ! 何をしに来たのかきちんと理解しとるのかっ!! ああいう騒ぎを起こしておきながら……

ってコラぁっ! 待たぬか蒼士狼ッ!!」

その声は呆れから苛立ちを含んだ腹立ちに変わったが、急ぐ足音と共に遠ざかっていった。

声が聞こえなくなった頃、女は屋根の上から身を起し、跳躍する。

わずかな月明かりに照らされた路地裏、先ほどまで青年が立っていた場所に降り立ち、

女はそこに転がっているものに冷めた目を向ける。

赤い肉塊が三つ。

転がっている刀。

どうやら、全員が女であるらしい様子は見て取れる。

「すごい腕」

女はぽつりと呟く。

全身をくまなく鋭利に斬られ、ほぼ肉片にされ骨と臓物が覗いている。

彼女の故郷の裏社会でも、滅多に見られない見事な人体の切り刻み方だった。

先ほどちらりと目にした青年の姿を、女は思い出す。

美しい顔立ちに、頭の後ろでまとめられた髪が大きく逆立っているのが異様と見えなくもないが、

妙に均衡がとれているように見えた。姿形からすれば、おそらくは日本本土の侍だろう。

「サムライ、か……」

女は遠い目つきになり、何事か物思いにふける。

しかし女の夢想は珍妙な声によって破られた。



  

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