第一章 尋夢 Searchin’ For The Dream(3) YUMEMIGUSA〜夢の浮橋・参〜 |
「シュタタタッ! 愛の戦士、コードネームはパ・ン・ダっ。しーきゅーしーきゅー、 妖精さん通信っ。妖精さん、ふぇーあーゆーごーいんぐっ?」 (……?) 足音を忍ばせ、壁に体をつけ、姿を見られぬよう注意しつつ女は表通りを覗く。 何とも異様な姿が目に入った。 薄暗い路地を、ほぼ丸の形に近い巨体のものがこちらへ走って来る。 真っ白に塗られた肌に青い刺青の入った丸坊主の頭、やはり青い刺青が左右の頬にある下膨れの顔に異様に細い眼、 黄色い大陸の武術着から突き出した腹に、異常なまでに長く大きな右腕。 女は目を見張った。 (あいつは!) そのものは急停止し、周囲を見回す。 「この街はなんだか、危険がアブナイ予感がするんだ。でんじゃーなヤツラがうろうろしてる。 ボクがやってきたのはきっと日本でもゆーめーな、すらむな街に足を踏み入れてしまったんだな。 でもでも! 愛のためなら妖精さんのためならっ、飛んで火に入る夏の虫なのさっ。」 声の主は飛び上がり、踊るような足取りで跳ねる。どすどすと地面が鳴り、楽しげな鼻声が聞こえる。 「妖精さ〜ん、どこですか〜? こちらパンダちゃん、あ・な・た・の・パンダちゃんですよぉ〜。」 汚らしい家壁の陰に身を潜めた女は、目を細める。 (……妖精? 何のこと? それにしても……一体どうして、こんなところに奴が?) 女は路地裏から躍り出、気づかれぬよう声の主を尾行し始める。 巨体のものと後をつける女は、しばらく曲がりくねった路地を進んだ。 「ハッケン、ハッケン! シュタタタッ!! あそこの人に尋ねてみるに違いないっ。」 突如巨体のものが、陽気で間の抜けた大声をあげる。 「ヘイッ! そこのいかしたヤングメ〜ン! 聞きたいことがあるんだけどっ! ボクの妖精さんを見なかった?」 女は物陰から巨体のものを見やる。 釣り合いの取れていない巨大な右手を、巨体のものは壁を背に立つ人物へと突きつけていた。 女は再度、目を見張る事となった。 それは先ほどの、見事な剣の腕前を持つ青年であったからだ。 彼は目を閉じ、静かに家壁にもたれかかっている。 (同行者がいたはず……どうしたのかな) 訝しむ女の前で、巨体のものは青年の答えを待っているようであったが。 「こんのぉ! シャイなあんちくしょうっ! そんなキミに質問さっ! ボクの妖精さん見なかった?」 青年は全く反応を見せず、静かに佇んでいる。 「クッ! クールなアナタに首ったけ。そんなキミに! 質問さっ! リベンジ〜!! ボクの妖精さん見なかった?」 腕を振り回し、巨体のものがなおも青年に問いかける。答えは返らない。 「キミ……三回は辛いよ? まさかボクの事無視してる?」 巨体のものがぷるぷると身を震わせ始めた。 (これは、まずい……かな) 女は飛び出す構えを取る。 「オッ、オマエ〜! まさかメガシカトしてるのかあ! くっ、悔しすぎるぅ〜〜〜!!」 巨体のものが喚き散らす中、突如、青年が目を開いた。 「すまん、寝ていた」 ぽつりと漏らした言葉に、女も思わず唖然とする。 「何か用か?」 平然と問いかけた青年を前に、巨体のものの顔は赤らみ表情がくしゃくしゃに歪んだ。 「キィィィ―ッ! キッ、キッ、キライだー! お前なんか、だいっきらいダー!!」 その甲高い叫び声があがったとほぼ同時に、女は飛び出す。 巨体のものが大きな右腕を振り上げる。 キィン、と澄んだ金属音が辺りを制した。 「ぬわぁっ!?」 己の右腕を止めた刃に、巨体のものが珍妙な声を上げる。 青年はその両手に、先ほど女の目撃した刀を握っていた。 月光の如く、青白く閃く刃。 「アタァッ!」 一声と共に巨体のものは飛び退き、再び青年を攻撃しようとする。 「待て! 肉裂き 女は叫んだ。 「ギョッ!? ボクのこと知ってるヤツ!?」 振り向き、女を目に留めたと思う間もなく、巨体のものは一目散に駈け出した。 「このっ」 忌々しげに呟き、大熊猫と呼んだ巨体のものを追おうとした女だが、 ぞわりと全身を包んだ感覚に、すぐさま青年を振り返った。 「お前」 仄かに蒼く光る刃を手に、青年は女を見ている。 「 冷めていながら澄んだ瞳が女を見据えた。 「邪魔をするな」 淡々と、彼……蒼士狼という名を持つらしい若き侍は告げた。 女は愕然とした表情で蒼士狼を見返したが、次の瞬間その場から跳躍し逃げ去った。 闖入者たちが去り、月明かりに照らし出された静寂のみが残る。 「……」 蒼煌と呼んだ刀を鞘に納め、若き侍、九葵 蒼士狼は、再びこっくりと船を漕ぎ出した。 「蒼士狼ーっ! 早く来んか、お前はっ!」 迅衛門の声が近づいて来た。 「覇業三刃衆、か。」 小さな家の中で行灯の方角をぼんやりと眺めつつ、灯りを映しこんだ円らな瞳を瞬かせ、吉野凛花は呟く。 肩の上まで登ってきた鉄之介が小さな声で鳴き、首を傾げて凛花の顔を覗き込んだ。 小鼠に笑みかけ、遊べるように人差し指を差し出す。 ふんふんと鼻を鳴らし、人差し指で遊び始めた鉄之介を見やりながら凛花は物思いに耽り始める。 夢の中で出会った、赤い瞳を持つ美しい女。ばかばかしいとは思いながらも、すべてを信じるならば彼女は、 この暁村を本拠地とする、榊銃士浪を中心とする志士たちの、 離天京における最大の敵のひとり。 凛花の脳裏に浮かび上がってきたのは、榊銃士浪の言葉だった。 「この島は、元々幕府が罪人を送り込む流刑地だったんだがな」 彼の半笑いにも見える、穏やかな表情が思い起こされる。 かつて凛花は平穏無事な、武家の息女としての生活を送っていた。 両親のもとでの穏やかな昨日は、今日に続きまた明日へと続いて、そんな風にいつまでもあるものだと思っていた。 しかし、凛花の父は卑劣な陰謀で藩を追われ、巻き込まれた母は命を落とし、 凛花は父の後について逃亡生活を余儀なくされた。 不安と怯えの日々が続く中、辿り着いたここ離天京で、父は彼を陥れた一味に捕らえられ打ち首となった。 その日以来、凛花と共にあるものは絶望のみとなった。 生ける屍と呼べる状態になるほどに打ちのめされ、ひとり残された凛花は、 父の形見である刀、闇路乕鉄のみを供として彷徨い歩き、離天京の、この暁村の人々に救われた。 そして月日は流れ、暁村でひとり、村の人たちの宛がってくれた小さな家で過ごしていた凛花は、 父の死で凍りつき、閉ざしきった心をようやくほんの少し、外へと向かって開き出した頃に 反幕府志士であるという榊銃士浪と、金髪碧眼の暗殺者、サヤに出会った。 父と共に流れ着き、今は一人残されたこの島がどういった場所なのか。 その詳細を、凛花は二人から伝え聞いたのだった。 「今は事実上、覇業三刃衆って名乗る連中が仕切ってる」 凛花は押し黙って顔を伏せ、聞くともなく銃士浪の言葉に耳を傾けていた。 「奴らはこの島に流れ着いた連中が自然に作り上げた色町に金を出して、そこからあがりを吸い上げてるのさ」 「そのことは、この島じゃ暗黙の了解になってるんだけど」 サヤが後を次いで言った。 「噂じゃね。彼らは大量の武器を生産して、海外に売りさばいてるんだって」 凛花は顔をあげ、サヤを見る。 青い透き通った目が、綺麗だと思った。 「それって……ご法度なんじゃないのか?」 「そうね。禁を破ってでも、彼らには大量のお金が必要なのね。」 凛花はサヤをじっと見た。 「覇業三刃衆は、その名のとおり朧という老人を中心に三人いるらしい」 銃士浪は凛花の目に浮かんだ疑問を目に留めたか、口の端をあげて言葉を続けた。 「らしいってのは、残りの二人は時たま入れ替わる上に素性がはっきりしていないんでね」 「つい最近、この島の外部から新たな”二刃”が朧に合流したって言われてるの。」 サヤが言った。 「刃という呼び方からして、腕の立つ兵法者じゃないかって噂だけは一人歩きしてるようだがな」 「ただ、朧は密輸入のほかに妖しげな呪術を行っている、って言ってる人もいてね」 怖いわよねぇ、サヤはそう凛花に笑いかけながら肩を竦めた。 「それで、あんたたちは」 凛花は、ぽつりと呟いた。 「なぁに?」 サヤが穏やかに問い返す。 「ここで一体何してるんだ。その覇業三刃衆から隠れ住んでるのか?」 銃士浪がふっと笑った。 「ま、そうとも言えるかな。ところでお嬢ちゃん。あんたはここでどうしたいんだ? 」 そう問われて、しばし凛花は黙して銃士浪を見据える。 銃士浪も、軽く腕を組み凛花があてがわれた小さな家屋の入口の引き戸に凭れかかり、 微かに笑んだような表情で凛花を見ている。 「俺たちが相手にしなきゃならんのは、最終的には幕府なんだが。 その前に覇業三刃衆とも、事を構えにゃならんかもしれん」 「幕府と?」 「俺は今とは違う時代を見てみたくてね。強い奴も弱い奴も、裕福であっても貧乏であっても、 みんな笑って生きていけるような。 だが今の時代を支配する幕府は、それを許しちゃくれんだろうからな」 「謀反を起こす、って事か?」 「そうなるかな」 「この村の人たちはそれを知ってるのかい」 「知ってる奴もいるが、知らない奴もいる」 「この島は生きるためには闘わなくてはならない処。喰い合わなければならない処。 でもその生き方ができない、したくはないって人もいるわ」 サヤが言った。 「そういう人たちが、この暁村に集まったのよ。元々は、伍苦門で働く侍たちに糧を提供するために作られた村なんだけどね。 今はほとんど交渉が途絶えてるのをいいことに、私たちが居座ってるってワケ」 「……あたしは侍はきらいだ。けど、あんたたちに協力するかは」 「ま、そいつはじっくり考えて、あんたのやりたいようにすりゃあいい。ところでこう呼んでも構わんかな? 凛花」 びくりと、体が震えた。 そう呼ばれるのは久しぶりのことだった。 銃士浪はサヤと凛花を促し、家の外へ出た。 彼が指差した上空。まっすぐに、どこまでも広がっている青い空。 「空を見てみな。止まっちゃいないんだぜ? ちっぽけな雲でもよ」 |