第一章 尋夢 Searchin’ For The Dream
〜弐〜

そこは薄闇にも似た靄の中。

周囲の様子も定かではない。

凛花はあたりを見回す。

前にもこんなことがあった。

そうだ、眠りの夢の中で覇業三刃衆の一人、命と名乗る女に会ったのだった。

またこの靄の中に、あの女はいるのだろうか。

淑やかで、どこか哀しげな赤い目を持った女。



夢で命に出会ってから、まださほど時間は経っていないのに、

凛花を取り巻く状況は大きく変化している。

銃士浪に当たって家を飛び出し、得体の知れぬモノに襲われ、大陸から来た双剣の魔封じと名乗る女に救われ、

サヤの勧めでその女を家に泊めることになり……。

それらを順々に脳裏で繋いでいた凛花の顔に、ふいっと風が吹き付けた。

周囲を覆い尽くしていた靄が吹き払われ、凛花は少し離れた所に人の姿を見た。

水流の如く豊かで長い、青みがかった髪の持ち主が腰掛けている。

いや、腰掛けている場所が存在しない。

その者は空中に浮かんでいた。

組まれた足が完全に地面を離れているのを見て取り、凛花は目を丸くする。

それは逞しい上体を持った年若く見える男だった。彼は上半身に着物をまとっておらず、

両の手首に大きな鉄環を付けている。

(なに、あいつ……)

半裸の男は端正な顔立ちではあったが、その表情を見た途端、凛花は反射的に嫌悪感を抱いた。

冷たく傲慢な光が、男の目には満ち満ちている。あらゆる人間を侮蔑していることを、その目の光は物語っていた。

そしてその者の正面に女が立っていた。

双剣の魔封じ。

暁村にやって来た、大陸の女退魔師。

彼女は片足を引き、鞘に収めた双剣の柄に手を掛け怒りも露わに半裸の男を睨みつけていた。




「滑稽だな」

顎に指をかけた男が、悠然と言葉を発する。

「貴様如き半端者が剣仙を名乗るなど笑止千万。今頃貴様の師兄どもは黄泉の下で憤懣やる方なく、

師もあまりの情けなさに嘆くに嘆けぬ事であろう」

「……黙れ! あんたになんか、それを言う資格はない!」

「虫ケラが生意気にも一人前の口をきくか。神たる我の御前で無礼であるぞ?」

「うるさいっ! 魔物に堕ちたくせに自分を神だなんて思い込んでる、流派の恥さらしの妄想狂ッ!」

「薄汚い言葉を吐き出すほかに能がないか。不義の果てに出来上がった下衆など、所詮その程度だな」

「なっ……」

魔封じが愕然とした表情になる。

その様子を目にして、男の面に尊大な笑いが満ちた。

「貴様のような出来損ないが我が師たる劉雲飛の血を受けし者などとは、世迷いごとにすぎぬ。

おおかた師娘が師の不在中に、何処ぞの馬の骨を引き入れた結果であろう?

さもなくば、貴様如き愚佻の輩が生れ落ちる由もない」

侮蔑と揶揄がたっぷりと含まれた男の声を浴びた魔封じの体が、わなわなと震える。

「このっ……クズっ……!」

魔封じが叫び、剣鞘から白刃が閃いた。

「愚物が」

男の唇に歪んだ笑みが浮かぶ。

「あッ」

鋭い悲鳴と共に魔封じの体が後方へ倒れた。

何が起こったのか、凛花には咄嗟に把握できなかったが

男は地面に降り立ち、両腕を解き構えを取り片足を前方に伸ばしていた。蹴りを魔封じに見舞ったらしい。

動きがまったく追えなかった。

「どうした? その双剣、天稟使命と天倫致命を継いだ者であれば、

蒼穹神剣もしくは雷挺霹靂刃程度は会得している筈であろう? ん?」

男は悠然と、かつ愉快そうに笑みを浮かべつつ倒れた魔封じに近づいていく。

「千年前、太師父が我が師劉雲飛と十日十夜戦ったあの折には、その双剣を仙術で操作し、

一時は闇キ皇に憑かれた師を圧倒していたのだぞ?」

呻く魔封じの手を、男の足が容赦なく踏みつけ、悲鳴が響く。

「貴様が劉雲飛の正当な娘であり、剣仙を継ぐにふさわしい器であると主張するならば、

太師父同様に双剣を使いこなして我に披露せよ。」

踏みつけにした魔封じを見下ろしつつ、男は楽しげに囁きかけた。

「さあ、我を早く殺してみろ。」

男の足が魔封じの頭に襲い掛かろうとする。

「止めろっ!」

凛花は叫ぶと同時に、腰の後ろから闇路乕鉄を抜き取り、飛び出していた。

男が凛花に目を向けた。不思議と目線にも表情にも、変化がない。

「すぐそいつから離れろ!」

男に怒鳴りつけ、凛花は長い愛刀を構えた。

「脅しじゃない。斬るよ!」

ふいに、男の面に笑みが浮かんだ。




次の瞬間に凛花は目覚めていた。

障子から差し込む月の光が、彼女の寝所でもある一間の家に映り込んでいる。

目を向けると囲炉裏の向こうに、布団にくるまって双剣の魔封じが眠っていた。

と見えたが、女の頭と肩が震えていた。

呻き声が微かに聞こえる。

「おい……大丈夫か?」

凛花は身を乗り出し、抑えた調子で声をかけた。

「知らないくせにっ……お前に何がわかるの……お母さんが、どんなにお父さんを愛してたか」

嗚咽に似た声が、小さいながらも叩きつけるように女の喉から漏れていた。

凛花は動きを止めた。

魔封じのその言葉は、瞬時に先ほどの夢の中の男を思い起こさせた。

これも夢の続きかと戸惑うほど、ありえない可能性に凛花は思い至る。

(そんなことって、まさか……こいつと同じ夢を、同じ時刻に見たっていうのか?)

女は肩を震わせ続けている。

「おい」

再び、先ほどより幾分強い調子で、凛花は女に呼ばわったが返事は返らない。

(こういう時は……放っておいた方がいいんだろうか)

そう思って、布団の中に潜り込む。

しかし、なかなか眠りは訪れない。

寝返りをうった凛花の耳に、突如聞こえた声。

「謝々」

「え?」

凛花は布団の中から背後を振り向いた。

魔封じと目が合った。

「水邪から助けようとしてくれて。感謝します」

凛花は思わず起き上がる。

「スイジャって……さっきの、夢の中の男の事か?」

女が布団の中でかすかに頷く。

「恥を話すことになるけれど、あれは私の兄弟子。流派が健在だったら破門されている所業をした」

「兄弟子……?」

「父の八人の弟子のひとりだった」

「……ずいぶん、偉そうな奴だな」

「正直に言ってくれていい」

魔封じがぽつりと言い、凛花は戸惑いを覚えた。

「変な男だと思ったでしょう。客観的に見たらそのとおりだから」

ぽつぽつと、唇から言葉が漏れ出す。

「半裸の変な男。どうしようもない小物の妄想狂。継海師兄は……兄弟子の水邪は、そういう人だった。

あの時私は子供だったから、そのことを理解できなかった」

瞬きつつ、凛花はぽつぽつと呟く魔封じを注視する。

「でもあの人は、どこかで父をまだ尊敬していた。少なくとも私はあのとき、そうなんだと感じた。

大嫌いな奴だけど……私は、あの人を心の底からは蔑まない。心の底からは、憎まない」

その言葉は、魔封じの流派である天仙遁甲の複雑な事情を伺わせたが、

凛花の胸には幾つかの疑問が渦を巻いていた。

どうにも不可思議な言葉が、魔封じと兄弟子という夢の中の男・水邪との会話には混じっていたからだ。

(千年前とか……クラキ、なんとかって……一体何なんだ? 聞き間違いか?)

それよりも遥かに気になったのは、なぜ凛花と魔封じが同時に同じ夢を見たのかということだ。

「何か、いろいろあったんだな。て、いうかさ。なんで、あたしとあんたが同じ夢を見たんだろ?」

答えが返ってくるわけもない、と思いつつの問いかけだったが、魔封じはぽつりと言った。

「夢仙境に踏み込んだから。あなたも、私も」

「え?」

驚いて問い返す。

「夢の中で他人の魂魄と交信できる状態、っていうのかな。夢見の能力を持っている人間に巻き込まれて、そうなることが多い」

その言葉は凛花に、命の語った”夢の浮き橋”を思い起こさせた。

「あなたがそういう能力を持っているか、それともそういう人間があなたを巻き込んだか」

魔封じはそう言葉を続けた。

「夢見……?」

「なにか、心当たりは、ある?」

そう問われ凛花は、

「二日くらい前だけど……夢の中に女が出てきた。ミコトっていう。そいつはどうも、覇業三刃衆のひとりと同じ奴らしい」

と答えたが、魔封じはすっと布団から起き上がる。

「覇業三刃衆。天幻城に居座ってる、妖術使いのひとり、なの?」

瞳の色が真摯さを増していた。

「ああ。言っとくけど、別に全員が妖術使いってわけじゃない。命は神官って言われてるらしいから、

どうだかわかんないけどさ」

蒲団から抜け出た魔封じは居住まいを正し、凛花を見据える。

「奴らについてあなたの知ってること、詳しく聞かせて」




「覇業三刃衆の名前は朧、命、九鬼刀馬。銃士浪の話によると、朧が事実上の頭領らしい。一番長くこの島にいる。

老人で、どこから来た者かは誰も詳しく知らないみたいだ」

じっと見つめる瞳に促され、凛花は言葉を続ける。

「命と九鬼刀馬は、一年程前にこの島に来て三刃衆に合流したらしい。

命は城から出ることがないから、どんな人間かあまり知られていない。

わかってるのは女って事と、神官らしいという事だけだ。

九鬼刀馬は、馬に乗ってたまに島を巡回してる。あたしはまだ見た事はないけど、若い男で異人のような見た目をしているって」

「あなたは命には夢の中で……夢仙境で会ったのね」

「ああ。紅い目をしてた」

「紅い目……」

呟いたきり、魔封じは黙り込んだ。

その表情には鬼気迫るものがあった。

「そいつは魔物の血を引いてるかもしれない」

ぽつりと魔封じは言い、凛花は驚きで目を見張る。

「魔物だって?」

「魔物の中には紅い目を持つ奴がいる」

その静かな声に篭った凄みに、凛花は寒気を覚えた。

どういうことなのかと問い返すことすら躊躇われるほど、魔封じの表情に満ちた覇気は凄まじかった。

むしろそれは、殺気と呼ぶ方が正しかった。




翌朝。

日の出と共に目覚めた凛花は、同じ頃布団から抜け出た魔封じに、銃士浪に言づけしに行く、

帰ったら約束通り天幻城へ案内すると告げて家を後にした。

常のように、鉄之介は闇路乕鉄の柄に飛び移り、凛花と行動を共にする。

さわやかな朝の光と空気の中、銃士浪の家まで来た凛花はふと思った。

ゆうべのこと、銃士浪に謝らなきゃいけない。

魔封じに得体のしれない魔から救われて後の記憶はほとんどない。

そして目覚めたのは銃士浪の家だった。

「あの男の人……あなたが銃士浪と呼んでた……あの人が、私が魔を滅した後現れたの。

あなたを探しに」

夕べの語らいの中で、魔封じの語った言葉。

(あたし、あいつにあんなことしたのに)

諭す言葉に暴力で返した自分を探しに来て、一晩家で休ませてくれた。

ちゃんと謝って、礼も言わなくちゃ。

鉄之介がまるで励ますような頃合いで、チチッと鳴いた。





すぅ、と深呼吸し、一気に引き戸を開け、凛花は家の中へと声をかける。

「おはよう! いるのか、銃士浪?」

玄関口の左側の障子が開き、顔を出したのはサヤだった。

「おはよう、凛ちゃん」

「おいおい、呼ばれたのは俺だぞ」

後ろから銃士浪が顔を覗かせる。

思ってもみなかった事態に直面し、凛花はその場に立ち尽くした。

二人がどうやら一晩一緒にいたらしい事実に対して、どう反応を返せばいいのかわからない。

「えっと……あたし、邪魔だったか?」

途端にサヤの陽気な笑い声が弾けた。

「嫌だわぁ、凛ちゃん。デートするならこんな朴念仁よりか、もっといい男を選ぶわよ」

「でぇと……って、なんだっけ」

「単に会う約束ってこともあるけれど、この場合は恋人同士の待ち合わせってところかな。私の理想は高いんだから、

銃士浪なんかじゃとてもとても、ねぇ。とびっきりのイイ女には、とびっきりのイイ男でなくちゃ釣り合わないでしょ?」

廊下に出てきて品を作って見せたサヤに、

「前から思ってたんだが、お前さんちょいとしょいすぎだろ」

銃士浪が呆れた声で冷やかすが、彼女はものともせずに言葉を続けた。

「真面目に言うとね。これからのことをいろいろ。その中にちょっとだけ、あの子のことも入ってたんだけど」

「あの子? 魔封じのあいつのことか?」

「そういう呼び方をしているってことは、彼女は凛ちゃんに名前を明かさなかったのね」

そう言ったサヤの表情は、いつになく厳しいものに変化していた。

いつも明るく、笑顔を絶やさない彼女にしては珍しいことで、凛花に只ならぬ雰囲気を感じ取らせるには十分だった。

サヤが、凛花の目前まで歩み寄ってくる。

「凛ちゃん」

「……なに?」

サヤの青い瞳に、常にはない翳りが宿る。

「あの子には深入りしない方がいいわ」

「あいつにか?」

真摯な表情で、サヤは頷く。

「彼女は多分、踏み込んじゃいけない領域に足を踏み入れてしまった人だと思う」

「どういうこと?」

「女の勘、かな。」

普段のサヤなら茶目っ気たっぷりに発されるその言葉が、真剣な表情でぽつりと呟かれる。

たまらなく、重たく感じられた。

「茶化して言ってるんじゃないのよ。彼女は何かを隠し持っている。何者かと通じているとか、裏切り行為とかじゃなくて……

もっと異質な何か。迂闊に触れれば無事ではすまない。

引き出そうとすれば同じように引きずり込まれてしまうしかない、そんな領域。だからね、凛ちゃん。冷たいようだけれど」

凛花の両肩に、サヤの手がそっと置かれる。

「彼女とは一定の距離を置くようにして。同情や親近感で深入りしちゃ駄目よ」

サヤは凛花の目線に、真剣な眼差しを射こんで来た。

「何よりもまず、自分のことを第一に考えて」

「サヤ……」

凛花はサヤの瞳を見返す。

心の中で、不吉なさざ波がざわめく。

「たっ、助けてえぇー!」

突如、表から悲鳴が響き渡ってきた。男の声だ。

「ん?」

障子にもたれかかって二人を見ていた銃士浪が眉をしかめ、土間へ降りると凛花たちの横をすり抜け玄関を出た。

「ありゃあ……」

凛花とサヤも、玄関を出て銃士浪に並ぶ。

転がるようにあぜ道を駈け、銃士浪の家へとやって来たのは一人の侍。

その格好は、伍苦門に詰める侍のものだった。

凛花は瞬く。

侍は右手に直槍を持ち、左手で子供の手を引いている。

その子供は、薄い金髪と白い肌を持ち洋装をまとっていた。

「なんで、侍が異人の子を?」

呟く間に、侍は銃士浪宅の垣根の入口から、三人のいる玄関へと一目散に駈け込んで来た。

「あっ、あいつはオニだあ! すみません匿ってくださいー!」

ぜえぜえと荒い呼吸をしながら、侍は慌てふためいた声で銃士浪に話しかける。

「オサムライサン! 逃げちゃダメだよ、男らしく戦わなきゃ!」

侍が連れて来た異人らしい少年が叫んだ。

「む、無茶言わないでよ……あんなのとぶつかったらホントに死にます……」

「まあ、助けろって言うのは勝手だがね……敵にそう言っちまっていいもんかね?」

腕組みしつつ、銃士浪は侍に話しかける。

「いっ!?」

顔をあげた細い眼の侍は、ぎょっとした表情になった。

「さっ、榊銃士浪!? しまったあ! 志士のアジトに入り込んじゃったよ!」

飛び退き叫ぶなり、彼は踵を返して逃げようとするが、

「おいおい、冗談だ」

「オサムライサン? この人は敵なのかっ?」

銃士浪と少年が同時に声をあげた。

「こっ、こいつは幕府に楯突く連中の親玉なんですっ!」

「じゃ、悪い奴なの?」

「何されるかわからないじゃないかっ! ギルフォード君早く来なさいっ!」

少年の腕を掴んで、逃げようとしていた侍は突如立ち止まった。

「わあぁ! あいつ、来ちゃったよ!」

凛花もサヤも、そして銃士浪も顔を向ける。

馬の駆ける足音が近づき、馬上の者の姿が目に入った。


冷たく結んだ表情で、逞しい黒馬を駆るのは、白磁のような肌と対照的な黒衣をまとった、

逆立った、薄い色の短い金髪の男。

その鋭く冷徹な眼は、赤い光を宿していた。

目を見張る凛花。

昨夜凛花自身が語った言葉。

異人のような見た目を持つ、覇業三刃衆のひとり。

その男は、離天京の至る所でこう呼ばれていた。

武神、と。



男は、凛花たちの前で馬を止める。その場にいる全員に、赤く冷たい目を向け、

「榊とは。」

はっきりとそう呟き、赤い瞳に刹那侮蔑の色が走る。

「貴様も腑抜けたようだな、龍巳十四郎!」

朗々と鋭く呼ばわった。銃士浪へ向けて。

「……名前を聞いた時はまさかと思ったんだけどな」

銃士浪が、いつもの淡々とした声で言った。

「やっぱりお前だったのか、刀馬。」

凛花は驚きで目を丸くし、銃士浪を凝視する。

(こいつと……知り合いなのか、銃士浪? 三刃衆の一人と!)

これまで離天京を支配する者たちと幾度も聞いても、

まったく遠い存在でしかなかったはずの覇業三刃衆。

唐突に、彼らはこれまでとは全く違った形で凛花の前に立ち塞がってきたのだった。



  


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