叢雲風華 〜まやーさりーん 拾〜 |
子供の叫びと泣き声が、また夜闇に響いた。 (ど、どうしよう!?) 突然の異変に戸惑うリムルルの足が、突如地からふわりと浮かびあがる。 「え?」 目を見張る刹那に、浮かんだリムルルの体は宙を運ばれ、シクルゥの上へと投げ出されていた。 「わわっ!」 咄嗟に、リムルルはシクルゥの背に乗るレラの背にしがみつく。 シクルゥの筋肉の躍動に合わせて、地から伝わってくる震動。 同時に彼女の耳元に、細氷の囁きが届いた。 「コンル!」 リムルルは叫ぶ。 リムルルの体は、コンルが刹那の間に作り出したシンタ(揺り籠)に乗せられ、シクルゥの背まで移されたのだった。 友達を運び終えたコンルは、いつもの角形へと戻り氷は解け落ちる。 「ありがと!」 腿に狼の毛並みを感じ取り、リムルルはシクルゥの背に乗るレラの腰へと両手を移動させた。 「あなたの精霊は、手回しがよすぎるわ……」 小さくレラが呟く。 「え?」 瞬いたリムルルは、正面を向いたレラの赤く染まった頬を見ることは出来なかった。 しかし。 レラの温もりを通して、またしてもリムルルは別の世界の景色を垣間見ることとなる。 風が吹いている。嫌な匂いが微かに混じった風。 金物のような刺激の混じった、生暖かく湿った匂い。 黒い雲に覆い尽くされた重い空が、リムルルの目に映り込んだ。 (……また?) その頃には、リムルルにも見当はついていた。これが姉の言っていた、巫女が持つとされるウウェインカルなのか。 (こんなときに出てほしくないなァ……) リムルルの思いとは裏腹に、脳裏にありありと映し出された幾本もの幟。 それらは冷たく禍々しい風に棚引き、刃の打ち合わされる硬質な音が絶え間なく響く。 その経験のないリムルルにも理解できた。 そこでは、戦が行われていることを。 煙と人の叫び、馬の嘶き、血の匂いにまぎれて流れてきた光景。 リムルルは、そこで起こった真実と遭遇した。 夜風の中を駆ける狼の背で、レラにしがみついたリムルルはぶるんと頭(かぶり)を振った。 ぱちりと目を開き、 「レラさん」 身を寄せている風の巫女に話しかける。 レラは振り向かないが、聞いていることはわかる。 「ねぇ、レラさん? ひょっとしてミナさんは……」 夜の闇の只中、風が耳の中を拭き抜けていく。 「……なの?」 束の間、黙していたレラが呟いた。 「見えたのね」 肯定の言葉と同じ、その呟きに。 「そんなことがあったんだ……? それじゃあ、あの女の子は」 「あなたの力は、この旅の僅かな間にどんどん強くなっているみたい。喜んでいいものかしらね」 「え? レラさん」 「ほら、見えてきたわ」 レラの呟きと同時に、再び獣の咆哮が轟きリムルルは身を竦める。 「なに、あれ!?」 「あの”守り獅子”がああなった理由はそれ」 リムルルは、レラの背にしがみつきつつ身を乗り出した。 目にしたものに息を呑む。 「守りシシ……? もしかして、あれがあのちっちゃい子なの?」 竹林の前でシクルゥは止まり、レラとリムルルはその背から舞い降りる。 信じられない光景が広がっていた。 暗い竹林の中、夜の闇にもその大きさがわかる、目にしたこともない異様な姿の獣。 その猛り狂う獣の全身は、渦巻く波のような形の、色鮮やかな鬣(たてがみ)で覆われている。。 「ガアアオオオオオオ!!」 獣が、鋭い巨大な爪のある前足を振り上げた。 「危ないっ!!」 その先にへたり込んでいる、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている子供の姿を認め、リムルルは声を張り上げた。 烈風が舞い上がる。 「わぁっ!」 腕で顔を覆い、再び視線を向けた時には獣の前に子供の姿はなかった。 竹林の中で唸りをあげる巨体の獣の上空で、二本の竹が大きく撓っている。 竹を曲げているのは男の両脚。 大きく開脚したまま、その者は曲芸師のように不安定な竹の上に留まっている。 「フンッ!」 一声と共に、跳ね返った竹が猛烈な勢いで獣に襲い掛かり、竹の上の人物が跳躍し、宙を翔ける。 「ええっ!」 リムルルは目を見張った。 まるで背に翼があるかのように飛行する人物はあの時の老人、劉雲飛。 「ちぃっ……!」 人の気配と共に小さな舌打ちの声を認め顔を向けると、 徳川慶寅が端正な顔を歪めていた。 「粋じゃねえことしちまったなぁ、あいつは……」 少し遅れて、駆けて来た黒河内夢路が慶寅の隣で足を止める。 「慶寅さん?」 粋じゃねぇ、の言葉は誰に向けられたのか。 「あの獣は……」 「グガオオオオ!」 獣が吼え、その身を打った竹の圧し折られるバリバリという音が響き渡る。 風を切る音と共に、その頭上に雲飛が舞い降りた。 「あ」 その片腕に、しっかりと抱えられている幼い娘。 涙に濡れた顔を伏せ、老爺の衣服を小さな両手で握り締めている。 その姿は、リムルルに先程シクルゥの上で、レラにしがみつきつつ見た光景を思い起こさせた。 「あの子は、ミナさんの……」 「ん?」 リムルルの声に慶寅が反応し、彼はレラに目を向けする。 「あんた、この子に黄泉が原でのことを話したのかい」 レラが目を伏せた。 「この子には感じ取る力があるの。ウウェインカル、という」 「ギャオオ!」 老爺の頭上からの踏みつけを数度喰らい、獣は吼えながらさらに暴れる。 子供を抱えたと逆の手に、老爺は大きな刃渡りの刀を握っていた。 その手の中で、流麗に舞う刃。 「主が憎むべきは娘ではない」 闇の中に閃く白銀の光。 これまでにない苦痛を含んだ咆哮が轟き、 獣が竹林の中で、どうと倒れた。 舞い上がった笹が散った時には、倒れたまま身じろぎを繰り返す獣の前に雲飛が立っていた。 冷たい光を宿した、険しく厳しい眼差し。 「主が憎むべきは儂だ。だが憎まれようとも娘に対する主の害意、見過ごすことはできぬ」 その呟きが終わると同時に、振り上げられる刃。 「許せとは言わぬ」 「雲飛さん!」 我知らず、リムルルは叫んでいた。 だがその叫びを掻き消す、もう一つの叫びが夜闇に響く。 「チャンプルに触らないで!」 弦の音が闇に響き、次の刹那。 風を切り裂き、老爺の肩に一条の矢が突き立っていた。 空気が凍りつく。 苦痛に顔を歪めた雲飛が膝を突き、 その腕の中にいた子供が目を見開く。 夜闇の中、またも叫び声が響く。 愕然としたリムルルは、矢を放った射手に目を向けた。 真鏡名ミナが、青藍の瞳で前方を睨みつけていた。 「チャンプル!」 周囲の愕然とした視線をものともせず、大弓を下げミナは竹林目掛けて走り出す。 その姿が視界から消えた後も、リムルルは呆然と立ち尽くしていた。 「もう、死んでよ」 そう呟き、幽鬼のような表情で構えた鏃を向けるミナの姿。 リムルルがウエインカルで捉えた光景が、今また呼び覚まされたのだった。 「八つ当たりは迷惑だわ」 レラの声が聞こえた。 「あなたこそ消えなさい」 冷めた紅い瞳で、風の巫女が告げる。 対峙する青藍の瞳の中で、殺意が燃え上がる。 |