叢雲風華
〜まやーさりーん

数日後のことである。

「ねえコンル。ひのわってところまで、あと何日くらいなのかな?」

リムルルは、傍らで浮かんでいる精霊コンルに語りかけていた。

そしてこの旅の最中(さなか)に聞いた、徳川慶寅の言葉を思い出す。

「魔界の入り口が今開いてそうな所となると、

一度開いた黄泉が原とその付近が一番ありそうだ、ってのが花諷院の和尚さんの見解だな」

慶寅が黒河内夢路を見やり続けた言葉。

「それっぽい場所に心当たりはねぇかい?」

その問いを、目を伏せ受けた夢路がぽつりと答える。

「黄泉が原の近辺に」

リムルルは夢路を見た。

「なづきの洞(ほら)、と呼ばれる洞窟があります。

古来その洞を夢に見たものは近く命を落とすと言われ、近隣の民に懼れられておりました」

「ふぅん。じゃ、とりあえずそこを目指してみるか」

「なづきっていうのはなあに?」

夢路がリムルルをちらと見て、言った。

「脳、または脳髄という意味です」

それきり、夢路は口をつぐんだのだった。



今彼らは日輪國を目指す途中、村の気配なくまばらな木々の生える平原の入り口にさしかかっている。

「レラさんと慶寅さん、戻ってこないねコンル。探しに行こうかな?でも動いちゃ駄目って言われてるしねー。」

二人は人家もしくは宿泊できそうな無人の小屋を探しに行き、リムルルは黒河内夢路と留まっている。

振り返ると、少し離れた石の上に黒河内夢路が腰掛けている。

(そういえば、まだあの人とちゃんとお話とかしたことないなぁ)

穏やかではあるが、どこか痛ましさを感じさせる姿。

その姿は何故かリムルルに、手にした刀に縋っているかのように感じさせた。

(夢路殿)

劉雲飛と出逢った時に見た幻が、脳裏に蘇る。

刀に縋っているかのごとき夢路、話しかけている誰かの姿。

悪い人ではなさそう、とは感じているのだが、常に黙して顔を伏せ、自ら口を開こうとはしない黒河内夢路は

近寄りがたく、容易く声をかけづらい雰囲気をかもし出していた。

「でもさぁ……聞いてみないとわからないよね、コンル」

リムルルは友だちの精霊を見やる。

自分が、劉雲飛と出会った時に見た幻は本当のことなのか。意味を持つものなのか。

確かめなければならない。

嘘なら、あの時目にした姉ナコルルにまつわる不吉な幻も、根拠のないものでしかなかったと安心することができる。

(よぉしっ!)

リムルルは心の中の掛け声と共に、足を踏み出した。

「あのー、夢路さん?」

後ろ手を組み、リムルルは声をかける。

夢路が、リムルルに目を向けた。

「なんでしょうか」

穏やかな、落ち着きに満ちた声。

向けられた瞳も同じように、物静かな光を宿してリムルルを見ている。

「えっと、聞きたいことがあるの」

「はい?」

「あのね、夢路さんのお父さんの事なんだけど」

唇を結んだ夢路の瞳から、ふっと親しみやすい光が消え失せた。

(うわ……)

思わず、後退り(あとずさり)したい気分になる。

(やっぱりってゆーか、聞いちゃいけなかった……のかな?

ど〜しよぉ〜、コンル〜。)

迷うリムルルの様子はやはり伝わったのか、夢路は口を開き穏やかに問いかける。

「私の父のこと……ですか。どういったことでしょう」

「えっとぉ、たいしたことじゃないけどね。夢路さんのお父さんは、元気にしてるの?」

そう言ったリムルルを見据えて、夢路は多少不思議そうに瞬く。

「ここ数年は会っておりませんから分かりかねますが……友人の言葉によりますと、特に変わりもなく息災のようです」

「つまり、元気ってことでいいんだよね? よかったぁ〜」

リムルルは胸を撫で下ろした。

「……父が、どうかしたのでしょうか?」

幾分か怪訝な調子で夢路が言う。

「ええっとね〜。」

それきり、言葉に詰まるリムルル。

本当のことを告げるわけにはいかない。

リムルルが、あの時サンタクルの老爺、劉雲飛の前で見た幻(タラプ)は単なる嘘(スンケ)の光景かもしれないが

父親の死という不吉を暗示する話を聞かされて、夢路がよく思うはずはないだろう。

「あのね、この間の雲飛っていう、サンタクルのおじいさんのことなんだけど!」

うまくごまかなきゃと思いつつ、努めて明るくリムルルは切り出した。

勢いよく、夢路の隣に腰を降ろす。

「あの女の子と、ちゃんと仲直りしたのかなぁって思って。親子の仲違いなんて、いい事じゃないでしょ?

私と姉さまの父様は、戦いに行って還って来なかったけど……いつも仲は良かったよ。

死んじゃったらもう喧嘩も仲良くもできないけど、側にいてくれたら仲直りはできるもんね!」

夢路は、明るくそう言い募るリムルルをじっと見ていた。

「ねっ、そうじゃないかな?」

「……彼方も辛い思いをなさったのですね。ですがそうやって彼方が明るく日々を過ごしておられるのならば、

お父上もきっと安心しておられますよ」

幽かに笑みを浮かべた夢路を見て、リムルルは口をつぐんだ。

(きっと師は……お父上は、幽冥かくりよであなたを見守っておられます……)

幻の中の男の言葉が耳に蘇る。

「あのご老人と娘御のことですが、心配なさらずとも大丈夫ではないでしょうか」

夢路はリムルルを見て、優しい笑みを浮かべた。

「ご老人は娘御を深く思っておられます。娘御もきっと、父上の思いに応えることができましょう」

「夢路さんは、お父さんと仲が良かったの?」

足をぶらぶらと振りつつ何気なくそう口にして、

(うわ、しまった)

心が強張るのを感じる。

夢路の顔から表情が消え失せていた。

触れてはいけないことに触れてしまったのだろうか。

思わず、その場から逃げ出したい衝動に駆られたが沈黙の時は長くは続かず、夢路は結ばれた唇を開いた。

「仲睦まじかったと言えますかどうか。父と私は、剣の道において師と弟子の間柄でしたから」

先ほどよりは低まった声で、夢路は言った。

「剣については、厳しく教わりました。父は常に真摯でした」

「そ、そうなんだ、ね……。」

どーしよー。居心地が悪くなっちゃった。

この場の気まずい空気を何とかしたい一心で、リムルルは次の言葉を探る。

あ、そうだ。

「夢路さんにはお友だちがいるんだねー。今でもいっしょに遊んだりするの?」

夢路はリムルルに目を向ける。

「幼少のみぎりには何度かそういうこともありましたが、ご病気がちな方でしたからさほど多くはありませんでしたね。

お互い黙って過ごしていた時が多かったように記憶しています。」

「……なんだか、あまり面白くなさそう」

リムルルはぼそりと呟く。

「そうかもしれませんね。私は、右京殿と……橘右京、という方なのですが……共に過ごした刻は心穏やかに過ごせました。

物静かであまり無闇に話はされない方でしたが、右京殿もそのように思ってくださっていたのではないかと、

僭越ながら自惚れています」

「ふーん」

顎に両手を当てながら、リムルルは夢路の話に相槌を打つ。

「うきょうさんて、男の人? 女の人?」

「は?」

夢路は不思議そうに瞬いた。

「男の方です。父の道場に通ってこられた当流派の門下生の中でも、天賦の才を持たれた方でした」

「そうなんだぁ。」

それじゃ、あのときの幻に出てきた男の人がうきょうさん?

そこでふとリムルルは思った。

男の人、で、お友達。

そういえば、夢路さんは男の人?

声は高いし綺麗な顔だし、女の人っぽいけどどうなのかなぁ。

何ら躊躇することなく、リムルルはそのことを口に出そうとしたが。



宙を切り裂き、弦の音が空を劈いた。

弾かれた気がたわみ、また再び弾け飛ぶ。

リムルルは、目を見張り、夢路を見やる。

「これ、何の音?」

夢路は赤みを帯びた瞳をあげた。肩に持たせかけていた刀の柄を軽く握る。

「どなたか弦を弾いておられるようですが……一弦のみしか聞こえないということは鳴弦の法、でしょうか」

「めいげんって?」

「魔を払う儀を行っているようですね」

「魔を払うの?」

「弓の弦を弾く響きによって魔を追い払う。その昔、鵺と呼ばれるあやかしに立ち向かった武将が用いたとされる鎮めの法です」

「それって、クリムセ(弓の輪舞)とは違うものなの?」

「くりむせ、というのはリムルルさんの故郷の儀式なのですか?」

「うん、そうだよ! 夢路さんて物知りなんだね。」

「いえ、それほどでも。」

「誰がめいげんのほうっていうのをやってるのかな? コンルッ、見に行ってみよ!」

勢いよく立ち上がると、リムルルは振り返ることもなく駆け出した。

「リムルルさん?」

夢路の驚きを宿した声が、彼女を追いかける。




疎らな、どこかやせ細った腕を思わせる木々の間を見回しながら、リムルルは精霊コンルと共に歩く。

暮れ残る空の下、辺りの景色は闇に沈んで行こうとしている。

コンルが微かに揺れる水晶のように鳴り、リムルルに知らせるが

同時にリムルルもその気配に気付いていた。目の前に何かがいる。

刹那体が危機に対処しようとしたが、それを目にした次の刹那にリムルルは警戒を忘れていた。

「わぁ! ちっちゃくてかわいい〜!」

リムルルの膝ほどまでしかない、小さな丸々としたからだ。

円らで純真そうな瞳が、一層かわいらしさを引き立てている。

リムルルは、その小さな、円らな瞳の獣に歩み寄るとにっこりと笑いかけた。

円らな瞳をリムルルに向けていた愛らしい獣は、小首をかしげる。

「ぬ〜?」

「どこから来たの? ねぇ、友だちになろ? 私ね、リムルルっていうの!」

リムルルはにこやかに、膝を落として獣に語りかけた。

「チャンプル」

女の声がした。

獣は瞬きをすると、声の方向へ頭を向け、とてとてと走り出す。

「あ、待って!」

リムルルは獣を追おうとして、その娘に気付いた。




浅黒い肌、後ろで纏め上げられている銀色の長い髪。長い筒を背に負うようにして持ち、

リムルルが目にしたこともない、花々をあしらった色鮮やかな着物をまとった彼女は、妙に冷めた目をリムルルに向けている。

「ミナー」

獣は娘の足に飛びつく。

「こ、こんにちは……。」

あまり物怖じする方ではないリムルルではあったが、娘の目には妙に気を殺がれ、おずおずとした挨拶になった。

冷たい目と冷たい表情。話しかけられることを始めから拒絶する雰囲気を、娘はまとっていた。

「あのー、その子はちゃんぷるって名前なんですか?」

娘は黙って、獣を抱き上げリムルルに背を向けた。

「私のことはほっといて」

小さく呟き、娘はそのまま歩み去ろうとする。

「ミナー!」

娘の腕の中からリムルルの方を見ていた獣……チャンプルが声を上げた。

娘が立ち止まり。

「あ、シクルゥ」

リムルルの頬に、軽やかに走り寄った狼が鼻面を近づけていた。

ミナと呼ばれた娘は振り向き、リムルルの背後に立ったふたつの人影を認める。

「あなた……」

「しばらくね」

レラが、常のように紅い冷めた瞳で娘を見つめていた。

少し後ろに、リムルルを追ってきたらしい夢路も見える。

「レラさん、戻ってきたの」

この人も知ってる人……? レラさんって、いろんな人と知り合いなんだなぁ。

何気なくミナに目を向けたリムルルだが、背筋が冷たくなるのを感じた。

その表情は、固く強張っていた。

のみならず、その体がそれとはっきり見て取れるほど震えている。

「ミナぁー」

腕の中のチャンプルが、泣きそうな声を出した。

「……どうして、あなたがこんなところにいるの」

「あなたは確か妖滅師だと言っていたわね。そのあなたがここにいるのと似たような理由よ」

「魔界の門を、閉じようというの……?」

低く呟いた娘は、

「あなたもそいつも来ている……それじゃ、まさかあいつも」

再び身を強張らせたミナは首を振り、真摯な目でレラを見据えた。

「あなたが北方の巫女だと言っていたのは覚えてるわ。でも魔界の門に近づくのは危険すぎる。

ここは私に任せてもらえない……?」

「あなたひとりで向かうと? 危険なのは同じ事じゃないのかしら」

二人の会話を聞きながら、リムルルはひとつ心に引っかかった言葉を反芻していた。

(あいつ? 誰のことなんだろ?)

ミナは、レラの言葉に押し黙る。

レラもまた、ミナを見据えるのみで言葉を継がない。

「レラさん、レラさん」

リムルルは手を伸ばし、呼びかけと共にレラの袖の端を握った。

「この人はよーめつしっていうの? よーめつしって、一体なぁに?」

「あやかしを滅することを生業とする者のこと。

リムルル、あんまりでしゃばるのは感心しないわね」

レラの言葉に、ぷぅっと頬を膨らませリムルルは彼女を見る。

「だってぇ、レラさんはいろんな人を知ってるみたいだけど、私はレプンモシリで知ってる人いないんだもん!」

「わかったから、そんな大きな声を出さないでリムルル」

珍しく、レラの声に少し困ったような様子が混じる。

「彼女は真鏡名ミナ。琉球王国の妖滅師」

「そうなんだー。」

リムルルはミナに向き直る。

「もう一回こんにちは! 私リムルルって言います!」

満面の笑みで言ったリムルルに対し、ミナは口を結んだまま、何の答えも発しない。

「あやかしを滅する生業の方であるなら」

夢路が歩を踏み出し、言葉を発する。

「……彼方は、我旺様にとり憑いたという魔についてご存知なのですね」

ミナは夢路の言葉に、険しさを込めその目を細めた。

「知ってどうするつもり? またあれを呼び込もうというの?」

「私はそのようなことを為す儀を知りません」

詰問の響きの篭ったミナの言葉を切り捨て、夢路は続ける。

「我旺様を黄泉へと落としたものに対し、無知のままでいることなどできないだけのことです」

リムルルの知らない何か、しかし今目指す魔界の入り口に確実に関わっているであろう夢路の言葉。

妖滅師という娘。

わけがわからないなりに、リムルルは只ならぬ何かを感じ取っていた。