叢雲風華
〜まやーさりーん

「知ったところで、今更どうなるというの」

妖滅師である娘、真鏡名ミナは冷たく夢路に言い放つ。

「意味なんか何もない。大体あなたにできることなんかないでしょう」

「おっしゃるとおりです。私は我旺様をお助けすることができなかった。ですが」

真摯な瞳の光がミナを見据えた。

「彼方も、レラさんも言われていたように黄泉路への門が開いているとするなら、

我旺様に憑いた魔が迷い出てくることも考えられる。知識を得ることも無駄ではないでしょう」

「分からず屋ね」

ミナは小さく呟いた。

「それなら教えてあげる。あなたの主君に憑いたマジムン(魔物)は闇キ皇」

ミナを見据えている夢路の瞳に走る翳り。

リムルルは瞬きつつ、二人を見ている。

「魔界に巣食うマジムンなのは間違いないけど、そもそも何者なのかということ自体、ほとんどわかっていない。

わかっているのはあなたの主君にとり憑く前、千年の昔に唐親国に現れたことがある、それだけ」

突き放した声で抑揚なく告げると、ミナは夢路から顔をそらした。

「もう話をするつもりはないわ、さっさと行って」

「ミナー!」

チャンプルが声を上げ、目を向けたミナが再び顔をこわばらせる。

「おう、また会ったな妖滅師さん。元気にしてたかい」

歩み寄りながら男は、そう言って片手をあげた。

常の如く悠々とした佇まいの徳川慶寅は、

「おいおい、そんな露骨に嫌な眼で見ないでくれよ」

微かな苦笑いと共に、身を引きつつ彼を睨むミナに言う。

リムルルは、ミナと慶寅を交互に見ながら考えた。


(えっと……慶寅さんまでミナさんと知り合いなの?)

彼女は眉を寄せる。

(なんなんだろー、もう。なんだか都合よすぎだよね、コンル)

コンルに目配せしたリムルルの耳に、

「黄泉が原のことなんか、とっくに終わってるじゃない」

ミナの声が届いた。

「もういい加減、放っておいてほしいのに……」

沈んだ苦々しさすら漂わせる小声をリムルルは聞く。顔を向けると、

「それ以上私に近寄らないで」

冷たく低い声で、ミナが言い放っていた。

慶寅は立ち止まる。

「まぁ、確かにあん時の事は、あんたにとっちゃ思い出したくもねぇ事なんだろうが」

わずかに肩を竦めた彼に対し、

「むっ!」

リムルルは眉をしかめ睨みつけた。

「むむッ!」

膨れっ面を作り、慶寅を睨みつけるとその前へずいと踏み出し、

腰に両手を当てて足を踏ん張る。

「ん? どうしたい」

そんなリムルルを、不思議そうに瞬き慶寅は見下ろした。

「慶寅さん!この人に何かいけないことしたのっ!?」

ミナに向けて指を突き出し、大声で言ったリムルルに刹那、慶寅の目が大きく開く。

「おいおい、勘弁してくれねぇか。この俺が女の嫌がるようなことをするって?」

心外の表情を浮かべ、彼は先ほどより大きな動作で肩をすくめる。

「だって、ミナさんは慶寅さんのことすっごく嫌がってるじゃないっ!?」

「いやまぁ、どうやらその娘(こ)は男ってもん自体を嫌ってるらしい。俺としちゃ不本意だけどな」

「あなたのこともきらい」

素気無くミナが吐き捨てた。

慶寅が目を閉じて、やれやれといった様子で首を振る。

「さすがにちょいと傷ついちまうぜ?」

目を細めつつ、ミナは続けて呟く。

「あやかしの気がまとわりついてるし」

「ん?」

「あやかしっ!?」

リムルルは慶寅の側から飛び退く。

「へぇ、気がまとわりついてたか」

こともなげに慶寅は言い、軽い調子で続けた。

「ついさっき斬って捨てたからかね」

「え」

その言葉に、リムルルはレラの方を見た。

「レラさん、レラさんっ!」

興奮した声と共に、リムルルはレラの袖に飛びつく。

「ねえっ! じゃあカミアシかウエンカムイが近くに出たのっ?」

「落ち着きなさいリムルル。もう私とその男で始末したから」

「そうなんだ? 一体、どんなカミアシだったの?」

「獣のような何か」

「ええ?」

リムルルは瞬きを繰り返した。

レラの言葉の意味がよくわからない。

「獣っていうか、ありゃあそもそも生き物じゃなかったな」

慶寅の声にリムルルは振り向いた。

「強いて言やぁ、炎か靄か影みたいな妙なもんだった」

「慶寅さん、それじゃわかんないよー。」

僅かな苦笑をリムルルに送り、慶寅はふいとミナに目を向ける。

「あんた、妖滅師ってんならそういう輩のことは詳しいんだろ? 似たようなの見たことはないのかい?」

「霞か影……」

ミナは眉をひそめた。

「あやかしは、そもそも姿形がとらえられないものも多いから……そういうものの方が厄介なのは確かね」

魔界の入り口、なづき(脳髄)の洞。

ポクナモシリに通じる場所を表す不吉な言葉を、リムルルは思い出す。

「断定はできないけど……あなたたちが向かおうとしている場所に関係したあやかしかもしれない。

そこを守ろうとして、向かうものを排除しようとした、とか。可能性のひとつだけど」

「へぇ。とすると、黄泉が原に開いたらしい魔界の入口にかかわりがあるかもしれねぇ、ってことか」

慶寅は顎に指を当てた。

「ま、とりあえずそいつらは片づけたし今夜のところは大丈夫だろう。

ちょうど小屋を見つけたんでね。アンタも一緒にどうだい」

ミナの表情は険しくなり、警戒が漲った。

「冗談じゃない」

低い声で呟き、背を翻したミナを慶寅の声が追う。

「何も俺とだけいろって言ったわけじゃないさ。蝦夷の巫女さんたちや夢路もいるから、そこは心配いらねぇぜ?

いくら妖滅師とはいえ、若い女が夜の夜中に独りになるのはな」

「ちゃんがいるっ!」

慶寅の言葉をさえぎるように、甲高い声が響き、全員の視線が声の主に集まる。

ミナの前に、チャンプルがふんばっていた。

「ちゃんが、ミナ守るっ!」

円らな瞳に決意を漲らせ、チャンプルが声を張り上げる。

ふっ、と慶寅の頬に笑みが浮かび、彼は腰を落としてチャンプルの顔を見た。

「そうか。お前さんが守ってやるか。けど守り手だけじゃあなくて、

お前さんの友達にゃ少し打ち解ける相手が必要なんじゃねぇかと思うがね」

「別に必要ない……でもあなたたちがあやかしに目を付けられたなら、また襲われる可能性は高くなる」

ミナは慶寅たちに向かい合った。

「それなら狩りやすくなるわ」

「じゃ、決まりだな」

慶寅が言った。

ふっと、リムルルは気配の異変を感じた。

振り向くと、その異なる気配を発した人物が目に入る。

「夢路さん、どうしたの?」

「ん」

慶寅の顔から笑みが消え、夢路に目を向けた。

「兇國の……」

愕然とした色を宿す緋の瞳、低く小さく呟かれた声。

「なに?」

慶寅の目に険しい光が宿る。

「いえ。見間違いかもしれません」

すぐさま目を伏せ夢路は否定したが、

「何を見た?」

そう問うた慶寅の声は、僅かだが険しさを増していた。

「兇國の家紋に似た……似てはおりましたが、明らかに異なる紋のようなものが」

夢路は目を上げ慶寅を見据える。

「彼方の刀に纏わりついていました」

「えっ?」

リムルルは瞬き、

「兇國に似た紋、か」

慶寅が呟く。

「偶然にしてはできすぎた話ね。さっきのカミアシ……我旺とポクナモシリの入り口に関係していた可能性が、少し高くなった」

黙していたレラが静かに口を開いた。

「あなたの読みどおりに」

紅い瞳がミナを見やり、青藍(せいらん)を帯びたミナの瞳が見返した。