月光虹 破

「葉月。」

彼女は思い出していた。

「良いですか。変事が起きた時はまず心を落ち着かせ、その場の状況を正しく把握することに努めなさい。」

彼女の長兄、蒼月の言葉を。

兄蒼月はまだ若年ではあったが、既に風間の里でも有数の切れ者、随一の手だれと一目置かれる存在となっていた。

里にいた頃の葉月は、肥前國随一の忍び衆である風間忍群のくのいちとなるべく、二人の兄に手ほどきを受ける毎日を送っていた。

長兄の蒼月からは忍びの心得、忍びの技を。

次兄の火月からは忍びに必要な体術を。

どちらもまだ覚束なかったが、二人の魔物に囚われ謎の少女と共に”結界”に封じられた今、

完全に会得はしていないといえど、兄たちに教わったことを手がかりに少しでも事態を良い方に向けていかなくてはならなかった。

具体的に何をして、どう事態を良くすればいいというのか。その答えは闇の中だったが、

少なくとも糸口になりそうなのは新たに攫われて来た少女が、どうやらあの魔物たちと知らぬ仲ではないらしい、ということだった。



葉月は、淑鈴と名乗る少女と遊び、打ち解けながら少しずつ話を引き出した。

そして、信じられぬ事実を知った。

この劉淑鈴という少女と、葉月をかどわかした二人の魔物たちは、かつて千年の昔、気も遠くなるほどの過去に、

海を越えた大陸で生きていたのだと。



淑鈴スーリンの父の名は劉雲飛リュウユンフェイ

話によれば、大陸で”仙人に最も近き流派”とされていた武術・天仙遁甲を極め長安に住まっていた武侠・・・・・・

武術に秀で、義や情のために法や国を敵に回してでも戦う者達・・・・・・であった。

淑鈴の父・雲飛は剣に秀でているのみならず仙術を使いこなし、風を操り空を飛び、

当時の長安では”華胥飛仙”との呼び名で知られていたという。

そして、葉月と淑鈴をここに閉じ込めた二人の魔物。

彼らは淑鈴の父の、八人いた弟子たちのうち二人。すなわち元は人間だった。

彼らのうち、髪が長く自ら神と称する男は、武侠として”天昇水龍”の通り名を持っていた孫継海ソンチーハイ

そして金色の髪と眉を持ち、獣のような吼え声しか出さない男の方は、”暴爆噴虎”の通り名を持っていた肖戦波シャオジャンボ

それが、彼らが人であり、淑鈴の父・雲飛の弟子であった頃の名だと言う。

「えとデスね、葉月師姐。いつか雲龍ユンロン師兄が言ってたの、淑鈴聞いたデス。

雲龍師兄がー、ホントは大師兄だったんデスけどー。

継海大師兄と戦波ニ師兄は、”フンケイのまじわり”だな。デスって!」

「ふうん、そうなのね。」

葉月は、淑鈴の言葉に微笑みうなづきつつ、考える。

どうして、淑鈴ちゃんのお父さんのお弟子さんたちは、魔物になったのだろう?

葉月はそのことも淑鈴に聞いてみたいと思った。そして、淑鈴に話したいだけ話させて、質問を挟む機会を伺った。

時間は幾らでもあった。さらに淑鈴はよくしゃべった。

父がどれほど立派な武侠であり、母とどのように話をし、

自分が生まれるのをどんなに心待ちにしていたか、また父の弟子たちがどれほど父を慕っていたか、

そういったことは彼女は喜んで話したが、

ある程度まで来ると、堰を切った水の流れのように皇かな彼女の舌はぱったりと止まり、尋常でない怯えた様子を見せて震えた。

「でもね、葉月師姐。淑鈴ね。お父さんやお母さんや、師兄たちや師姐に会えなかったデス。」

それまでと打って変わり、呟くように言葉を口にし俯いた淑鈴は、小さな両手で葉月の手をぎゅっと握ってくる。

「会えなかったの?」

どうして、と聞くのは憚られた。

理由を言うのはこの子供にとって、とてもとても恐ろしいことなのだと、それは葉月にも察せられた。

しかし、不思議なことだった。

会えなかったという両親や兄弟子たちのことを、何故彼女はこれほど詳しく知っているのだろうか。

その疑問は胸に仕舞って、葉月は俯いた淑鈴の頭を撫でる。

「でも、今は会えたよね。」

葉月の言葉に淑鈴は顔をあげた。先ほどの怯えた様子が完全に拭い去られた、明るい笑顔があった。

「はいデス! 淑鈴、早くお父さんに師兄たちのコト、教えてあげたいデス!」

はしゃぐ淑鈴に笑いかけつつ、葉月の胸にまた新しい疑問が生まれ渦を巻く。

・・・・・・あの人たちは、この子をここに閉じ込めて、一体どうするつもりなんだろう?

私が閉じ込められたのは・・・・・・封魔の力のため。

それじゃあ、淑鈴ちゃんが閉じ込められたのは?




「ドゥラドゥラドラドラァァ―――――!!!」

突如響き渡る雄叫びに、葉月の心の臓が胸の中で飛び上がる。

「あー、戦波師兄デス!」

淑鈴は驚いた様子もなく、現れた炎邪に笑いかけた。

まだ動悸の収まらない胸を抑えて、葉月は焔の魔・炎邪を見る。

四股を踏むが如く仁王立ちになっている炎邪は、二人の前に手に持った何かを投げ出してきた。

「グォルァ!」

「わーい、お肉デスー。」

淑鈴が嬉しげな声を出す。

所々、焦げているかと思えば所々生の色が覗いていたりもしているが。

確かにそれは肉だった。捻じ切り損ねたかのように付いたままの前脚や後足から察するに、おそらくは兎の肉だろう。

炎邪はその場にずしんと胡座をかき、自分の分を頬張りだした。

葉月は落ちた肉を拾い上げ、土を払って淑鈴に渡す。

「ありがとデス、葉月師姐!」

肉を両手で受け取り、淑鈴はぺこりと頭を下げた。

続いて残った肉を拾い上げ、同じように土を払い、何気なく炎邪に目を移した葉月は目を見張る。



(・・・・・・火月兄さん?)



目の前の魔物・・・・・・淑鈴から聞いた話では、千年前は武侠であったという魔物の男が、兎の肉をがつがつと頬張っている姿。

思わず見紛うほど、葉月の次兄火月の姿とそっくりだった。

(やっぱ、葉月のメシが一番美味ぇな!)

そう言って、明るくて優しい笑顔を満面に浮かべた兄の顔が過ぎり、炎邪と重なっていった。


・・・・・・どうして?


戸惑う葉月の前で、肉を喰らっている炎邪に淑鈴が話し掛ける。

「戦波師兄ー、継海大師兄はお肉食べないデスか?」

「ドラッ! グルッシャッ! ガァッ! ガアァッ!」

肉に喰らいついている合間合間に飛び出す吼え声に、淑鈴は目を瞬かせていたが。

「”神の口に獣の肉など合わぬ”って、継海大師兄は言うデスか? でも御飯はちゃんと食べなきゃいけないデスね。

継海大師兄、わがまま言っちゃいけないデス。」

(え・・・・・・淑鈴ちゃんすごいなぁ・・・・・この人が何を言ってるか、わかるんだ・・・・・・。)

葉月は思わず、淑鈴と炎邪を交互に見比べた。

葉月にとっては、炎邪の言葉は理解できない喚き声としか聞こえなかった。



肉を食べ終わった炎邪は立ち上がると、

まだ食事中の淑鈴にずかずかと歩み寄り、抱え上げた。

「ヴァッハ―――――!」

葉月ははっとするが、炎邪はそのまま腕を伸ばして淑鈴を差し上げ、また降ろし、

それを何度か繰り返す。

「戦波師兄ー。」

最初はまだ食べていることを主張しようとしていた淑鈴だが、

二度目三度目には楽しげな様子になり、やがて声をあげてはしゃぎ出した。

そんな二人を見ているうちに、葉月は少しずつ安心する。

(遊んでるだけ、なんだ。淑鈴ちゃんの都合は全然考えてないみたいだけど。)


淑鈴から聞いた話を、葉月は思い出す。

「戦波師兄、お母さんの所に来た時はいつも言ってたデス。

”師娘の腹の子は、俺の新しい師弟か師妹だ。生まれてきたら俺、いっぱいいろんなこと教えてやる”って。

だから淑鈴もね。早く戦波師兄にいろんなこと、いっぱい教えてもらいたかったデス。」


千年の月日を経て、二人はようやく会えた。

そのことに思いを巡らせた葉月は、はたと気づく。

(お腹の子? 生まれてきたら?)

つまり、淑鈴は生まれる前に、母の胎内にいる状態で

父親やその弟子たちの話を聞いていた、ということになる。

(嘘・・・・・・)

あまりに信じられないことに思い至り、葉月は暫し呆然となったが、

そもそも彼らは千年の時を経てここに存在しているのだ。

他にどんなことがあっても、不思議ではないのかもしれない。

(でも・・・・・・私も抜けてるなぁ・・・・・・。今まで気づかなかった。淑鈴ちゃんの話は全部聞いていた筈なのに。

こんなことじゃ、だめよね・・・・・・。任務で使い物にならなくて、兄さんたちの迷惑になっちゃう。)

そう思い、葉月は肩を落としたが、

次の刹那に思い出した。

もう、風間の里には二度と帰れないかもしれないということを。



炎邪と淑鈴は、楽しげに遊び続けている。

今は重く沈んだ気持ちを抱え、葉月は二人を見ていた。

(兄さんは・・・・・・助けに来てくれるかな・・・・・・無理だよね・・・・・・。

さらわれたことも知らないし・・・・・・ここがどこなのかも、きっとわからないだろうし・・・・・・。)

涙が溢れそうになった。

(兄さんたちに・・・・・・もう一度会いたかったなぁ・・・・・・。)

はしゃいでいる二人に見られないように。

葉月は顔を逸らし、そっと涙を拭った。





葉月の姿が消え、里の外が火事となり、強大な邪気が感じられた。

そして葉月を捜し歩き、この付近で、時折不気味な咆哮を聞くようになったという話も耳にした。

だが一向に新たな手がかりらしきものもなく、闇雲に探して葉月が見つかるとも思えない。

「くっそぉ。」

火月は歯軋りする。

さらに一つ。

「てめぇ、いつまで上からつけてくるつもりだっ!?」

彼は振り向き怒鳴った。

風が渦を巻く。

火月の前に、上空から舞い降りてきた人影。

長い鶴髪と見事な髭、厳めしい目を持つ大陸の服をまとった老人。

その手甲を嵌めた手には、抜き身の青竜刀が握られている。

(あん時の爺さんじゃねぇか。)

空中を飛行する得体の知れない老人。見かけた時は奇異に思ったが、特に邪気とも、葉月とも関係なさそうだと

判断してそのまま捨てておいた。だが、その老人は何故か火月を尾行していたようだ。

「似ておるな。」

鋭い眼差しを火月に向け、地に降り立った老人は、そう小さく呟いた。

「何だよ。」

構えを取り、火月は老人を睨みつける。

「主は何者だ?」

「ああ?」

「偶然にしては、余りにも似すぎておる。」

「何言ってんだよ、爺さん。俺ぁ急いでんだ。用がねぇならそこをどけよ!」

「・・・・・・気の短いところまで似ておるな。戦波に。」

火月は太い眉をしかめた。

「さっきから何ブツブツ言ってんだ、爺さん? 時間の無駄だ、そこをどけって言ったろうがよ!」

「慌てるな、小僧。」

老人の目じりが、微かに緩んだ。

「・・・・・・ったく・・・・・・年寄り相手にあんま手荒な事ぁしたかねぇけどよ・・・・・・仕舞いにぶっ倒して行くぜ?」

「若いな。」

唇に笑みが浮かぶ。冷笑か、もしくは嘲笑か。

火月は、頭を掻いた。

次の刹那に足が動き、握り拳が老人の腹部目掛け叩き込まれる。

正に紙一重の差でありながら、火月の拳は風に乗るような動きでかわされた。

老人の腕が伸び、

火月の顔面が捉えられる。

(くそっ)

不覚を取ったことは明白だった。しかも老人と思えぬ力。

ただ、これは腕力ではない。

老人の掌は火月の顔面に吸い付いているようで、明らかに腕力とは質の違う力であることが感じ取れた。


「ほあああああああああああああっ!!」

気合一閃。正にそれだけで火月の体は吹き飛ばされた。

咄嗟に受身を取り、地を転がって体勢を立て直した火月は、老人の次の攻撃に対し備える。

火月を得体の知れぬ力で吹き飛ばした老人は、掌を火月に向けたまま、悠然と立っていた。

背に回した手に青竜刀がある。だが老人の立ち姿が、何らかの武術の構えであることは見て取れる。

「気は済んだか、小僧。」

「爺さん。俺に刀抜かせる気かよ?」

「抜きたければ好きにせい。ただし貴様も無事ではすまぬぞ。己の瞋恚が己に返ってくる結果となる。」

火月は唇を噛む。

老人が何を言っているのかは全くわからなかったが、何らかの手を用意し火月の出方を待ち受けているのは確かだ。

(たくよぉ。さっさと終わらせるつもりが、とんだ手間になっちまったぜ。)

火月は、腰の後ろに結わえ付けた刀・朱雀の柄に手をかける。

老人は静かに火月を見据えていた。だが一挙手一投足、その鋭い視線を免れることが叶わないのは明白だった。

「今の貴様では儂には勝てぬよ。退くがいい小僧。儂とて無為な仕合に関わるいとまはないのでな。」

「勝手なこと抜かす爺さんだぜ。ちょっかいかけてきたのはそっちの方だろ?」

朱雀にかけた手の力を抜くことはないまま、火月は老人に言い返す。

「仕掛けたのは貴様であろうが。だがそのようなことを言い募っても詮無きこと。

貴様が・・・・・・儂の知る者に余りに似ていたのでな。確かめようとしただけのことよ。」

「へぇ。俺は爺さんの何に似てんだい?」

「弟子の一人だ。」

火月は、ようやく朱雀の柄にかけた力を少し抜いた。

「さっき関わるヒマがないとか言ってたけどよ、じゃあ爺さんは今何やってんだ? その弟子を探してんのか?」

「いいや。娘を探しておる。」

「・・・・・・いなくなったのかよ?」

「僅かに目を離した隙にな。」

「そりゃ、心配だろうな。」

老人は、そう言った火月を見つめ、ようやく掌を下ろす。

「どんな格好してんだ? ひょっとしてどっかで見かけたかもしれねぇ。あ、けど俺この十日くらいは誰とも会ってねぇけどな。」

火月は軽く頭を掻く。手を朱雀の柄に戻すことはもうしなかった。

「儂と似た衣装をまとった、年の頃五つ六つほどに見える娘だ。

最も、主が何処いずこかで見かけているくらいならば、儂がとうに見つけておる。」

「なんだよそりゃ。」

「万物はそれぞれの気を有し、常に発しておるもの。命あれば生命根源の力である精気があり、死せば骸より尸気が生ずる。

娘の気は良く知っておる。それが全く感ぜられぬ。故に、儂もまだ見つけられずにおる。」

「つまり、全く気が消えちまった、ってことか?」

「本来ならばあり得ぬこと。おそらくは、気を遮断する場所より逃れられぬのであろう。それが天為か、人為かはわからぬがな。」

火月は、顎に指をやり眉を寄せた。

「小難しいこと言ってるけどよ、爺さん。要は、あんたの嬢ちゃんがどっかで事故って自力で帰れねぇか、誰かにとっ捕まってるか、

ってことだろ?」

「然り。」

火月は腕を組み、軽く肩を竦める。

「悪ぃけど、俺にはどうもしてやれねぇな。それしかわかってねぇんじゃあ。」

「主の助力を得たいとは思わぬ。」

老人は低く呟いた。

「別にいいけどよ。爺さん、あんた只モンじゃねぇよな。死体の気も感じ取れるなんて奴ぁ、今まで見たことも聞いたこともねぇぜ。」

「それなりの修練は必要だ。」

「あんた、大陸の人だろ?」

「それがどうかしたか。」

「さっき、俺があんたの弟子に似てるとか言ってたけどよ。俺は大陸とは何の関係もねぇぜ?

単なる他人の空似だろ。」

老人は、改めて火月を正面から見据える。

「主、名は何と言う。」

「風間火月。生まれも育ちも、ずっと肥前國だぜ。 あんたは何て名前だ? 爺さん。」

「劉雲飛。」

そう名乗った後も、老人は火月から目をそらさなかった。

「他人の空似だ、つったろ?」

言いつつ火月も、睨みつけるように雲飛と名乗った老人を見返す。

雲飛は、ふっと笑みを浮かべて目を閉じた。

「我が弟子戦波・・・・・・あ奴を始めとして、弟子たちがその後どのような生を送ったか、儂は殆ど知らぬ。

ともすれば戦波が、あの事件の後この倭国に渡り、その末裔が主であることも考えられなくはない。だが・・・・・・。」

言葉が途切れる。

「だが、何だよ。」

火月は、この雲飛という老人がまだ納得しないことに、少々苛々した気持ちを感じ始めていた。

「余りにも気が近すぎる。」

雲飛が、再び目を開いた。鋭い視線が、射抜かんばかりに火月を捉える。

「親子兄弟と言って過言でないほど、気が似通っておる。」

「んなこと言われてもよ。ジャンボ、つったか? 俺はそんな奴知らねぇって。」

遂に火月は老人に背を向ける。

「俺は葉月を探さなくちゃならねぇんだ! もうあんたの相手してられねぇから、行くぜっ!」

忍びの強靭な脚力で、一飛びに、火月はその場を立ち去った。



独り、その場に残った雲飛に風が吹く。

どこか侘しく、冷たい山風。

「まさか、あの気が・・・・・・。」

小さく呟きを漏らす。

時折この付近で感じられた、熱く邪な気。無に等しい可能性と思いたいが、弟子の一人・肖戦波当人のものか。

そして、戦波に良く似た姿形と気質を持った倭国の青年。

一体、何を意味している。


風の中で、雲飛は黒ずみ始めた空を見上げた。


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