天泣〜天草四郎時貞〜(1) |
何物の形も捉えられぬ、薄闇の中。 漂うような足取りで、一人の若い男が彷徨っていた。 彼の周りを、幾つもの叫びが取り巻いている。 (おお、おのれ、おのれ、おのれ徳川、おのれ人間、おのれおのれおのれオノレぇぇぇ・・・・・・) (神よ、神よ、主よ、天なる我らの父よ、神よ・・・・・・) (貴様を放っておいたが生涯の不覚なりぃ・・・・・・) (お主のおかげでようやく解放された・・・・・・礼を言うぞ・・・・・・) (今こそこの塵芥の世を浄化する・・・・・・それまで我は、我は・・・・・・) 男の虚ろな目の中を、空虚となった魂の中を、 幾つもの思念は飛び越え、通り過ぎていく。 「わからぬ・・・・・・我は・・・・・・我は何処へ向かうべきなのか。」 擦れた呟きが、薄闇の中へ吸い込まれるように消えていった。 彼の者の、現世にありし時の名は、天草四郎時貞。 島原の乱の首謀者として殺められて後、漂い続ける魂だった。 (暗黒の主、アンブロジア様・・・・・・) (主よ、天にまします我らの父よ・・・・・・) 天草の心に時折甦る祈りの言葉・・・・・・もしくは呪いの呼びかけに、答える声は何処からも聞こえてはこなかった。 「我は、何処へ・・・・・・。」 薄闇の中に、天草自身の姿がぼうと浮かび上がる。 「鏡・・・・・・?」 ぽつりと呟いた刹那に、映し身の天草がにっこりと微笑み、手を差し伸べてきた。 (こっちだよ、四郎。こっちへおいで。) 確かに呼びかけられたのだと。 思いつつ天草は、半ば無意識に、その手に己が手を差し伸べる。 (そう、こっちだよ四郎。早く我をここから出しておくれ。) 手を握った刹那に、天草の魂は強烈な力で引き寄せられた。 「ここは・・・・・・。」 目が慣れてきた天草は、周囲を見渡す。 四方は石造りの壁。 その一角に窪みが穿たれ、収められた大きな宝珠が光を放っていた。 「ガダマーの宝珠!? ではここは・・・・・・。」 改めて見回すと、周囲の石の壁には異国の紋様と奇怪な人物の像があちこちに描かれ、 「これはクルス? いや、しかし色合いが主のものとはまるで違う・・・・・・。」 (それはこの地の“羽ある蛇”に捧げられた十字だよ、四郎。) 声が頭の中に響いた。 はっとなった天草は、様々に色を変化させつつ輝く宝珠に目を向ける。 (我はこの中にいる。我を救ってくれるものはお前だけだよ、四郎。さぁ、手を差し伸べておくれ。) 宝珠から1本、透明な腕が天草に向けて突き出されている。 男の腕のようだった。 「何者ぞ? お主は・・・・・・。」 (我はこの地で古より、“黒き鏡”と呼ばれている。 「我を・・・・・・救ってくれると言うか。」 魔界の王・アンブロジアの力で現世に復活し、奪い取った肉体を再び失って以来、 しかし、この者だけが呼びかけてくれたのだ。 この手は救いへと続く道か。それとも。 まだ半ば朦朧とした意識のままで天草は、その腕を取る。 ずるずると、宝珠から透明な姿の男が引き出されていく。 男の頭を覆う波打つ長髪は、うっすらと黄金の輝きを宿していた。 (ふふふ・・・・・・ようやく出られたよ。この忌々しき“ラピス・ウトワレンディエル”の中から!) 透明な、若い男の姿をしたそれは、高らかに笑いを響かせた。 「この宝珠は・・・・・・ガダマーの宝珠ではないのか・・・・・・?」 天草は呆然と呟いた。 (四郎は知らなかったのだね? この村には宝珠は二つある。 四郎が奪ったものは“ラピス・ウビャレンクェ”、またの名をパレンケ・ストーンと呼ばれる聖なる宝珠。 とはいえ、“ラピス・ウビャレンクェ”も、魔物が作ったことに相違ないのだがね。) 透明な、黄金の長い髪を持つ男はくっくっと笑いをかみ殺しながら、足を引きずって歩いた。 男の足を見て、天草は目を見張る。 男の片足には、長方形の漆黒の鏡が取り付けられていた。 (ふふ・・・・・・昔、“大地のワニ”に食われてしまった。) 微笑みながら男は言った。 「・・・・・・ガダマーの宝珠は、魔物に作られたと言うのか・・・・・・?」天草は男に問う。 (そう。魔界の王の子飼いのあの女が作り、巫女に化けて神託と称し、この村に置いていった。) 「魔界の王の子飼い・・・・・・・だと?」 (そう、何と言ったか。恐怖の女神シワ・クァトル・・・・・・これは我らの言葉だな。 別な言葉では“修羅の将たる神”・・・・・・ラショウジン、というらしい。そうそう、思い出したよ。女の名前はミヅキと言った。) 「ミヅキ・・・・・・アンブロジア様の手下・・・・・・?」 (魔界の王は今は、あの女を目覚めさせて自分の肉体を作らせようとしているようだ。) 天草はその言葉に、目に見えて落ち着きを失う。 「では・・・・・・では、アンブロジア様は、暗黒神はもう我を見捨てたと・・・・・・?」 透明な男が微笑んだその刹那、 石の部屋の扉が重々しく開いた。 浅黒い肌の逞しい若者が二人、それぞれ槍を手に立っていた。 二人の若者は、驚愕に目を剥き出している。 村人の誰もが近づかない聖なる魔石が祭られた部屋で、人の話し声がするというあり得ない事態を確かめるため、 「お前たち、何者!?」 「一体、どこから入り込んだ!?」 「まさか・・・・・・石に封じられていた魔!?」 「カクム! すぐに勇者と村長に・・・・・・」 二人の若者が、命あるものとして動けたのはそこまでだった。 透明な、足に鏡をつけた男の唇が裂けんばかりに邪悪な笑みに歪められた。 唇をすぼめ、思い切り息を吸い込む。 部屋の内部に、刃物のごとき鋭い風が巻き起こり、風に全身を包まれた二人の若者は目を剥き、のたうち回ってもがき苦しむ。 二人の口から、白い何かが抜け出し、透明な男の口の中に吸い込まれていく。 二人の若者は、糸を断たれた操り人形のように唐突に動きを止め崩れ落ちた。 そのまま彼らは、二度と動くことはなかった。 (久しぶりの魂だ) 男はにっこりと笑い、唇を舌で拭った。 (四郎。とりあえずお前も、こいつらのどちらかの体を使うと良いよ。魂のままでは長く動けない。) 「しかし、こやつらの体が我に合う物かどうかがわからぬ。」 (とりあえずの処置だよ。我とてこのようなろくな力の持ち合わせも無い体など、進んで使いたくはないのだがね。 「あの時とは?」 「四郎が来る少し前のことだ。我は一度、弱まっていた封印を自力で破る寸前まで行ったことがある。 あの忌々しい爺さえ来なければ。」 男の体は、もう透明ではなかった。 若者の骸に入り込み、今は声を得て語っていた。 「何があったのだ・・・・・・?」天草は言いよどむ。 「おやおや。そういえば我の名をきちんと伝えていなかったね、四郎。」 若者の骸を、魔力で己が好みに合うよう作り変えたらしい金の髪の男は、にっこりと微笑んだ。 「我はこの地で“黒き鏡の主”、テスカトリポカと呼ばれていた。人間どもは時に“ジャガーの太陽”とも呼んでいたようだがね。」 「黒き鏡の主・・・・・・ジャガーの太陽・・・・・・テスカトリポカ。」 異郷の地の魔神の名を、天草は言われたままに繰り返した。 「それで、何があったのかだけど、四郎。」 人の肉体を得たマヤの魔神・テスカトリポカが天草に語りかける。 「我がもう少しで封印を破ろうとしていた矢先に、この村に入り込んで来た爺が再び我を封印したのだよ。」 「というと、その者はこの村の人間ではなかったのか?」 「そのようだ。なんだか我に向かってわからぬことを言っていたが、 時をさかのぼること、十二年前。 ある夜。青龍刀を負った一人の老爺が、風と共に中南米の森の奥深くひっそりと佇むこの村に降り立った。 「これが、“破王の卵”を擁する南蕃の地か。」 名は劉雲飛。 かつて、唐の時代の大陸で、闘いと殺戮を至上の糧とする魔界のもの・“闇キ皇”に憑かれ、魔神と化した武人である。 “真なる人”である遷人・・・・・・すなわち仙人に最も近き流派とされた天仙遁甲を極め、師父と呼ばれていた彼は、 そして唐の都を恐怖と混乱に陥れた後、その師匠と戦い、巷で“八天仙”とも称された八人の弟子たちによって封印されたのである。 封印された雲飛の魂は、その後千年に渡って眠ることはなかった。 千年の永きに渡り。 雲飛は、己が過ちを責め続け、眠ることはなかった。 彼が“闇キ皇”諸ともに封印された岩山の近隣に住まう人々は、いつしか岩山の中から呻吟し、時に詩吟する声を聞くようになった。 人々はその岩山を、神君が宿るものとして崇めた。 永い月日が経ち。 少しずつ、少しずつ、見ることも触れることも叶わぬ黒い気が岩山から零れ、闇から闇へと漂い流れ消えていった。 “闇キ皇”は大陸より逃れ出でて、何処かに潜伏したのだ。 そのことに気づいた雲飛は自ら目覚めた。 “闇キ皇”を探し出し、滅さねばならぬと岩山を砕き、魔のものを探し出すため旅立ったのである。 “闇キ皇”は何処へ消えたか。 まず“闇キ皇”が必要とするものは、現世で活動するための依代となる人の男。 もしくは、弱まった力を回復させるための何らかの呪具。 “闇キ皇”が満足するほどの依代となるものはそうはいない。 呪具を頼る可能性が高いと思った時雲飛は、かつて在りし日の師から伝え聞いた話を思い出した。 “破王の卵”。 それは己の魂と引き換えに、世界を掌握できると伝えられる魔の宝玉である。 雲飛が師から聞いた伝説によれば、数千年の昔、成湯こと湯王を祖とする大陸最初の世襲王朝・殷以前に、 その夏の時代に、天竺から宮廷を訪れた傀儡師(人形使い)があった。 何とも怪しき傀儡師であったと伝説は伝える。 男が女の人形を操り、芝居をし、また別の時は女が現れて男の人形を操り、芝居を見せる。 どちらが傀儡師の真の姿なのか、知る者は一人としてなかったと言う。 謎の傀儡師は時の夏の王に取り入り、“不老不死をもたらす宝珠”を献上すると持ちかけた。 宝珠は、天地を繋ぐ柱・・・・・・天梯とされる幻の山・崑崙山に存在している。 傀儡師は不老不死を欲した王より、崑崙山へ派遣するための船と一団を借り受けた。 だが傀儡師には宝珠を王に捧げる気などさらさらなく、 ただ己が野望の足がかりに、王を利用しただけのことだったのだ。 傀儡師が何処で宝珠を知ったのか、伝説は何も語らないが、 崑崙山の滝で望み通り宝珠を発見した傀儡師は、魂を宝珠に捧げる行為により人を捨て、魔物となったと伝えられる。 魔物と化した傀儡師は、破王の卵により誕生したためこの時より、 “破壊の帝王”を意味する壊帝、の贈り名で呼ばれることとなった。 その名はユガ。 天竺の言葉で、永劫の時を意味する名だと言う。 魔界の者と化した傀儡師である壊帝ユガは、人形芝居により人を、特に国を動かす高貴なる人を操るのだと言う。 ユガが現れし時、国は滅びる。 夏の最後の王となった桀王とその后・妹喜(ばっき)が国を滅ぼす暴君と傾国と化したのも、傀儡師ユガを宮中に呼び込み、 また夏王朝滅亡後に建った殷王朝が、その後周王朝に倒された戦の陰にも壊帝がいたと伝説は伝える。 壊帝を生み出したという魔の宝珠、“破王の卵”。 闇キ皇が力を回復するにはうってつけのものではないかと、雲飛には思われた。 崑崙山は何処の地にあるか。 大洋を越えた遥か南の地、もしかすると夏王朝よりも遡るかもしれぬ遠い時代、大陸と稀に行き来のあった国に、 天地を繋ぐ天梯である崑崙山はあり、今でもそこに魔の宝珠が存在すると雲飛の師は言っていた。 そして、雲飛が辿り着いた南の地。 中空より雲飛が見おろす、その深き森に埋もれた村は、明らかに何かの力に守られていた。 「並みの者は見つけることすら叶うまい。」 かつて魔のものと一体となった雲飛には感知できる。 村を覆いつくす力自体は清浄なるものだが、 その中には、邪な力の波動が同時に感じ取れる。 「まず間違いなく、この村落は破王の卵と何らかの関わりがあろう。」 雲飛は舞い降りる。 手にした青竜刀・天閃燕巧の刃で、彼は結界を断ち切り村へと入り込む。 仙の道に通じる武術である天仙遁甲を極めし者は、形なきものすら断ち切ることが可能であった。 しかし雲飛は、思いもよらぬ出迎えを受けることとなる。 村落の中心部へ歩を進めようとしたとき、小さな矢尻が彼目掛けて放たれた。 空気の動きで感知した刹那に、天閃燕巧の刃が叩き落す。 次に、ぶぉんと空気を切る音と共に石が飛んできた。 「フン!」 身をかわした雲飛が印を結ぶと、一陣の風がくるくると舞い、二度飛び道具を放った張本人を舞い上げた。 甲高い子供の悲鳴があがる。地面に何かが落ちた音が響く。 雲飛が印を解くと、風は勢いを失い舞い上げた子供をすとんと地面に降ろした。 尻餅をついていた小さな影が跳ね起き、雲飛の前にがばとひれ伏す。 「風ノ神! 昔とぅーらヲ治メタ、偉大ナ王! たむたむ無礼シタコト、オ許シクダサイ!」 子供が顔を上げた。 「けつぁるくぁとる・とぴるつぃん! 偉大ナル王! 戻ッテキテクダサッタ!」 甲高い声で言葉を続け、またもひれ伏す子供の姿に、雲飛はしかと目を据える。 「とぴるつぃん! 偉大ナ王ヨ、オ願イシマス! ドウカ・・・・・・ドウカ、村ヲ助ケテ!」 尖った耳と、浅黒い肌を持った子供は悲痛さの混じった声でそう叫ぶと、再び雲飛の前で地に擦り付けんばかりに頭を下げた。 |