天泣〜天草四郎時貞〜(2)

この子供が平伏しているのは雲飛にではない。

何かの理由でそうと思い込んだ、"偉大なる王"なる存在に対してだ。

「顔を上げるが良い。」

雲飛はひれ伏す子供に告げた。

従順に、そしておずおずと子供は顔を上げる。

「儂もこの地は久しい。何が起こったかを順を追って話せ。」

詳しい次第はわからない。だが、"破王の卵"に近づくためにこの子供の思い違いを利用しない手はなかった。

子供がどれだけ、雲飛の知りたいことを知っているかは不明だったが。

「ハイ。偉大ナル王、"せ・あかとる・けつぁるくぁとる・とぴるつぃん"ヨ。」

雲飛を注視していた、タムタムと名乗る子供は語り始める。

「毎晩、黒イ神、たむたむノ夢ニアラワレマス。どくろノ姿ヲシタ黒イ神ノ笑イ声、聞コエマス。

黒イ神、モウスグ出レルト笑ッテイル。村ノミンナヲ喰ライ、コノ地ヲ禍イニ沈メルト笑ッテイル。」

夢に感じた恐怖を思い出しているのか。

言葉をようよう紡ぎ出しながら肩を震わせている子供を眼下に見つつ、雲飛は考えを巡らせる。

(悪殺兇神を夢見しておるか。ならばこの子供、巫覡の力を持つものか?)

「黒イ神、人ノ血ヲ飲ミ心臓ヲ喰ラウモノ。昔、けつぁるくぁとるガ偉大ナ王トナッテ、戦士タチノ都・とぅーらヲ治メテイタ時、

人々ヲ生ケ贄ニセヨト、何度モ誘惑シタ魔神。

黒イ神ハ、昔"じゃがーノ太陽"トシテ空ニアリ、けつぁるくぁとるガ"風ノ太陽"トナラレタ時封印サレマシタ。

たむたむ、父ナル村長ニ聞キマシタ。ソノ封印ガ解ケヨウトシテイル!」

「そのことに気づいたのはお前のみか、子供よ。大人は誰も気づかぬか。」

「たむたむ、父ナル村長ニ告ゲマシタ。村長、村一番ノ占イ師ニ夢ノコト話シマシタ。

デモ、占イ師ハソンナ兆候ハナイト言イマス。」

「だがこの村には確かに、邪気が紛れ込んでおる。」

「オオ、偉大ナル王ヨ!」

子供は再び頭を下げ、肘を曲げて腕を差し出す。

おそらく、"偉大なる王"に対する礼拝の動作なのだろう。

「その"黒い神"の邪気がどこから来るか、お前は感知しておるか。子供よ。」

幼子タムタムが、勢い込みながら告げる。

「"封印ノ神殿"トイウ建物ガアリマス。魔ノ石"たんじる・すとーん"ガオカレテイマス。

村デハ、けつぁるくぁとるガたんじる・すとーんニ黒イ神ヲ封印シタト伝エラレテイマス、偉大ナル王ヨ。

アナタ様ガ、空ニオワス神デアラセラレタ時ニ!」


どうやらこの村では、今雲飛がそうとされている”偉大なる王”は、

王であり、同時に神であると思われているようだ。

完全に同一視はできないが、大陸の古き伝説に語られる”三皇五帝”と類似した存在か。

そう雲飛は思考を巡らせる。


伝説において、大陸最初の世襲王朝・夏(か)よりも遡る時代に存在したと言われる三皇五帝。

世界と人類を創造したとされる、「天皇」伏羲、「地皇」女渦、「人皇」神農ら三皇。

そして”最も偉大なる支配者”と讃えられる、黄帝をはじめとした五帝。

「聖人」と称された彼らの実態は、人知を超えた力と姿を持つ神であった。

だが同時に彼らは、治世を良くした偉大な王たちとして歴史に伝えられている。

治水を行い、灌漑を指揮し、法を制定し人々を治めた"神々"。

大陸を最初に統一する偉業を成し遂げたものの、暴虐と苛烈な法による政治で恐れられ、

「虎狼の心を持つ」と言われた男・秦の政王は、

”朕は三皇五帝よりも偉大なる存在である”と主張するために、自らを始皇帝と称した。


この子供が口にした"偉大なる王"も、おそらくは太古の時代、この地に存在した優秀なる支配者が、

時代が下ると共に神として崇められたものだろう。


雲飛は知る由もなかったが、その推測は大体において正解だったと言えよう。

鬱蒼とした密林に覆われた大地に住まう人々が崇めた神、"羽ある蛇"。

地域によって、ケツァルクァトル・ククルカン・ググマッツ・ナクシットとさまざまに呼ばれたが、

その名が意味するところは全て同じ、"羽ある蛇"である。

かつて、神ケツァルクァトルの称号を持つ少数の神官たちがいた。

直接、"羽ある蛇"の啓示を受けるとされた最高位の神官であり、マヤの世界の頂点に位置する存在だった。

ケツァルクァトルの名を冠する僅かな者たちの中で、特に有徳であり特に知られた者の名を、

トピルツィンと言った。

伝説となった、最強の戦士たちを擁した国・トゥーラ。

トゥーラの王、戦士たちの頂点にして、同時にケツァルクァトルを名乗ることを許された最高の神官であったトピルツィンは、

年々数を増していく人身御供の儀式を憂い、人々に儀式の廃止を訴えた。

人を供物にしてはならぬ。血を捧げてはならぬ。

神がお喜びになる捧げものは、抉り出された心臓ではない。

花であり穀物であり、蝶たちだと。


空から舞い降り、村の結界をたやすく断ち切り、風を従えた白い顎鬚の老爺を目の当たりにした

村長の幼い息子・タムタムは、父に聞かされた村の言い伝え・・・・・・"偉大なる王"の伝説を、真っ先に思い出していた。


偉大なる王、ケツァルクァトル・トピルツィンは、村人たちに比べて白い肌と黒い口髭、長い顎鬚を持つ。

王が戦士たちの都・トゥーラを治めていた時、

黒い神に仕える魔術師たちが、何度も王を誘惑するべくやって来た。

人間を生贄にするように。

青年たちを、乙女たちを、子供たちを生贄にするように、と。

しかし、偉大なる王ケツァルクァトル・トピルツィンは決して望まなかった。

彼は自分の民たちを、

トゥーラの国をとても愛していたから。


だが"この上なく豊かで幸せな国"と歌われたトゥーラに忍び寄っていた"黒い神"・・・・・・殺戮と生贄を嘉する存在は、

偉大なる王を邪魔に思い罠に嵌めた。

黒い神の陥穽によって王は身を汚し、神に仕えることができなくなり、トゥーラの国を後にした。

王がいなくなった後、黒い神を崇め出したトゥーラは、やがて歴史の舞台から消えた。

トゥーラの栄光も、豊かさも幸せも、今では歌に残るのみとなった。


"偉大なる王"は、元は神ケツァルクァトルに仕えるものだった。

だが、王の敷いた善政と優しさが、後の世の人をして王こそが神ケツァルクァトルの化身、と思わせるようになった。

幼いタムタムの村では、人々はトピルツィン王を、朝と生命、森と風を司りし神・ケツァルクァトルが人間界に舞い降りたときの姿・・・・・・

と伝え続けていたのだ。


夜毎夢の中で強くなってゆく、黒い神の嗤い声。

占い師が心配無用と断言したため、村の誰にも本気で取り合ってもらえなくなり、

一人で悩み続けていた幼いタムタムは、この夜久しぶりに違う夢を見た。

夜空を翔る人の姿。

その人は長い髪と顎鬚を持ち、刃渡りのある刀を手にしている。


その人は、ここを訪れる。

夜中に目覚めて、何故だか、幼いタムタムはそう直感した。

あの顎鬚は、伝説の偉大なる王だろうか。

村を救ってくださるのだろうか。

でも、偉大なる王の髭は黒い、と言われている。

その人の髭は真っ白だった。"聖なる魔の住まう山"、ハゥレハゥレ山の頂上の雪のように。

もしかしたら。

王ではなく、侵略者かもしれない。


この土地にやって来て、我が物顔に自分たちの国を造り、

元から住んでいたケツァルクァトルの民を虐げた、エスパーニャの侵略者たち。

彼らにとって、ケツァルクァトルの民たちは同じ人ではなかった。

首を鎖に繋がれ連れて行かれ、奴隷として酷使された。

途中で力尽き倒れた者たちは、その場で連行するエスパーニャ人たちのため首を落とされ、

体は草むらに蹴り捨てられたという。


ケツァルクァトルを崇める国の中で、最も偉大にして最も栄えた国、メシカ(アステカ帝国)。

だが、同時に黒い神に魅入られた国でもあった。

メシカ最後の皇帝・モクテスマは、エスパーニャの侵略者たちを

ケツァルクァトル・トピルツィン王と見誤った。

何故なら、"偉大なる王"の伝説の最後が、こう締めくくられていたから。

トピルツィン王は、必ず戻ってくると民に約束した。

その時は、マヤの暦で"一の葦の年"とされる。

侵略者たちがこの土地に辿り着いたのは、"一の葦の年"だった。

一の葦の年に海から"戻ってきた"、白い肌と金の髪、顎鬚を持った者。

皇帝モクテスマが恐れて迎え入れた"トピルツィン王"は、この地にとって黒い神にも匹敵する破滅の使者・・・・・・

後にメシカを壊滅に追い込んだエスパーニャ人、エルナン・コルテスだったのだ。


タムタムの父であり、村長でもあるサムサムは言った。

我らの祖先はパレンケストーンの加護もあって、エスパーニャの難を逃れ、ハゥレハゥレ山に寄り添うこの密林に逃げ込んだ。

だが、ここから出ることは叶わない。

この大地は、ほとんど全てが侵略者のものとなってしまった。

だから我々は、この土地を出ることはできない。

侵略者たちがこの村のことを知れば、服従を迫ってくるだろう。

このヤシェル・スユア(グリーンヘル)を、"緑の約束の地"を、

外部の者に、とりわけ侵略者に知られてはならない。


息子よ。お前は若者となった時、村を侵略者たちから護る戦士となれ。


父にそう言い渡された時。幼子とはいえ、タムタムは己のなすべきことを理解した。

戦士となって村を護る。それが自分の宿命だと。


今はまだ、刀を持つことは許されていない。だが、いずれは刀を手に村を護る。

夢で見た、村を訪れるその人が偉大なる王か、侵略者か。

それを見極め、もし侵略者ならば倒さなければならない。

村では戦士になるためには、少なくとも20の勇気ある行為をなさなくてはならないという掟があった。

一人で立ち向かうのも、戦士に必要な勇気ある行為だと思い、

幼いタムタムは寝床を抜け出し、吹き矢と投石の道具を取り出した。

紐に皮を通し、そこに石を設置し振り回して投げる、という単純なものだがそれなりの威力はあった。

そして、寝静まった村の外れにまで出た時。

白髪の老爺が、村の結界を手にした刀で断ち切る場面に遭遇したのだった。


「では、その神殿に案内せい。」

ひれ伏す幼子タムタムに、雲飛は告げる。

あまり事を大きくせずに目的を果たせるならば、それにこしたことはなかった。

「ワカリマシタ、偉大ナル王ヨ。」顔を上げタムタムは言った。

「その前に一つ聞こう。儂に仕掛けてきたのは何ゆえか?」

子供の体に、びくんと震えが走る。

「オ許シクダサイ! 王ヲ騙ッタ侵略者カモシレナイ、たむたむソウ思イマシタ。

昔、黒イ神ニタブラカサレタ国、めしかハ侵略者ヲ王ト間違エ、滅ボサレタトイイマス。」

幼きタムタムは再び顔を上げ、まっすぐ雲飛を見据えた。

「デスガ、王ハ風ヲ従エラレマシタ。王ノ元ノオ姿デアル、神けつぁるくぁとるノ化身、

"風ノ神ええかとる"ニシカデキナイコトデス。侵略者ニハデキマセン。」


子供の言う"偉大な王"は、どうやら風使いとされていたらしい。

風を操る仙術を身につけていたことが、思わぬところで役立ったなと雲飛は思う。


雲飛も、そして当時の幼いタムタムも知らなかったことだが、

マヤの地に伝わる神聖文字で記された絵文書の中には、奇妙な一文があった。

"彼の者、土に還る定めの人の身にして風を操り、人々、彼の者を雨の神々を呼びし風の神と崇めたり。"

この文脈の意味を知る者は、もはや誰もいない。

古来、マヤの地において「風の神」は神の化身ではなく、単なる人であるとされていた時期があったのかもしれない。

それは丁度、雲飛のように風を操る術を心得た何者かであったのかもしれない。


が、幼子タムタムの方は確信していた。この方は、偉大なる王に間違いない。

村を救うため、戻ってきてくださったのだ。

でもなぜ黒い髭でないのか。

王が戦士たちの国・トゥーラを離れられたのは、はるか昔のこと。

つまり、王はお年を召されたのだ。そして、体に精霊の気を蓄えられたのかもしれない。


マヤの人々は、老人はその生きた年数の分だけ、体内に生命力を蓄えているものと考えていたのだった。


先に立って歩き始めた子供の後から歩みつつ、雲飛は考え続ける。

この子供の言を信用すれば、”破王の卵”には古来から邪悪な存在が封印されているということのようだ。

だとすれば、それが闇キ皇である可能性は低い。

ただ、伝説はあくまで伝説にしか過ぎず、大陸から逃れた闇キ皇が”破王の卵”に憑依し力を回復しているのを、

この巫覡の力を持つ子供が感じ取ったという可能性もある。

とりあえずは、確かめてみることだ。

如何なる事があろうとも、闇キ皇を見つけ出し、滅さなくてはならない。


見ることも触れることも叶わず、人に憑依し禍をなす魔物、闇キ皇。

かつての己と同じ悲劇を繰り返させはせぬ。ただその一念のみが、今の雲飛を動かしていた。


郎君あなた

自身の手で殺めた、妻の言葉が甦る。

「どうか、目を覚ましてください。」


あの時。闇キ皇に支配された雲飛は、最早自身の意思で自身の体を動かすことはできなかった。

ただ、意識だけははっきりと残っていた。

声にならぬ声で、妻に向かって逃げろと叫んだ。

闇キ皇が忌まわしい雄叫びをあげ、雲飛の愛刀・天閃燕巧を振り上げる。

最愛の妻の血で、紅に染まった周囲。


あの時。

雲飛は自身の魂をも殺めたのだった。


消しようもない忌まわしい記憶が、刹那雲飛の足を留める。


「王ヨ」

あどけない呼び声が、雲飛の心を呼び戻した。

「王ヨ。悲シンデオラレルノデスカ。」

何の曇りも持たない幼子の目が真っ直ぐに、立ち止まった雲飛を見上げていた。

手甲を纏った雲飛の手。武人らしい逞しさは残っているものの、萎びた様子がわかる手、

皺の刻まれた指に、そっと小さな手が添えられる。子供の潤んだ目から、涙の粒が零れる。

次の刹那、幼いタムタムは目を瞬かせ、自分に驚いたように手を離した。

「ゴメンナサイ! ・・・・・・王ヨ、無礼シタコトオ許シクダサイ!」

「良い。お前は何も無礼を働いてはおらぬ。」

そのまま、雲飛が歩を進める。その後を、幼いタムタムが小走りに付いて行く。

雲飛が振り向かず、ぽつりと言った。

「何故、儂が悲しんでいると思った。」

「ソレハ・・・・・・伝ワッテキタカラ、デス。王ガ悲シンデオラレルノガ。ダカラたむたむ、心ガ痛カッタ。」


悲しむことなどとうに忘れ去った。

涙も怒りも、雲飛の精神からはとうに失せていた。

ただ。

今だけはふと、妻のことを思い出していた。


それをこの子供は感じ取ったらしい。

巫覡の力のみならず、人の心に感応する力も人一倍強いようだ。


ふと思考が反れる。

あの時、妻は子を宿していた。

雲飛は最愛の妻もろともに、己が子供も葬ってしまった。

妻の宿した子。生まれることのなかったその子は息子だったのか、娘だったのか。

もう知る術は何処にもない。

だが、もしこの寰宇かんう(世界)に生まれて来ていたとしたら。

こうやって、触れ合うこともできたのだろう。

見ることの叶わなかった我が子が、目の前の異郷の子供と重なったように思えた。


「・・・・・・これも負うべき罪か。」

その呟きに子供が反応する。

「王ハ、何モ悪クアリマセン! 悪イノハ黒イ神。黒イ神、王ヲ陥レタカラ・・・・・・!」

「過ちを犯したのは儂だ。」

静かな言葉が、幼いタムタムの必死の訴えを遮った。

「唆かしたものは確かにいた。だが止まる事をせず、とりかえしのつかぬ惨事を招いたのは儂の弱さの為。

心に生じた油断の為。故に、己で正さねばならぬ。」

この子供、そして子供の住まうこの村が崇める"王"が、如何なる過ちを犯したとされたのか、

それは雲飛の関知する所ではない。

だが、偶然とは言えその"王"と、訪れた雲飛の状況は通じるところがあるようだ。

「この身はあの時滅ぶべきであった。だが、儂を陥れたものをこのまま残しておくわけには行かぬ。

儂の時のような惨事を二度と起こさせぬためにも、必ず探し出し冥府の淵に沈めてくれん。」

雲飛の言葉に篭もる気迫に押されたのか、子供はおし黙る。

「先に歩け。」

その雲飛の言葉に、黙って従うのみだった。

   天泣(3) 管理人の蛇足

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