天泣〜天草四郎時貞〜(3)


『海内十洲伝』鳳麟洲の章

 

”十洲のうち、鳳麟洲ホウリンシュウ崑崙山コンロンサンの麓に住まう、時を数え邑を流れ歩く民草あり。

水より出でし鳴蛇メイダを神と崇めたり。

鳳麟洲に慴慓(アツユ)あり。

慴慓(アツユ)は人を喰らう獣なり。”



暗黒の影に沈む密林を覆う藍色の夜空に、月の蒼白い光が溶け出している。

地に投げかけられる月の光は、柔らかな山吹色。

その下で、子供と老爺は村の中を歩いていた。

時折、不気味な鳴き声が二度三度と耳に届く。 おそらくは、村を取り囲む深い森に住まう禽獣の声だろう。

中で村人が寝静まっているであろう、立ち並ぶ小さめの家屋は、

木の柱と石で作られた楕円形の壁で囲まれ、草葺の屋根が載せられている。

やがて二人は家々を抜け、一際広い場所に出た。

そこは地面が綺麗に均されており、さまざまな形の石造りの建物が月明かりの下に照らされていた。

数は全部で五つ。

山の形に組まれた石段の頂上に、三つの空ろな窓が開けられた、石造りの小部屋を持つ神殿がある。

また鋭利な形を持たず柔らかな稜線を持ち、入り口は蛇の開かれた口を模して彫刻されている神殿もあった。

それらの建造物より奥まっているため、はっきりとした形を捉えられない他の神殿も

各々、見事な技術を駆使して建造されたものであることは一目瞭然であった。

「ほう・・・・・・。」

雲飛は、小さく感嘆の声を漏らす。

唐の王都に比して華麗さ・壮麗さこそ見劣りするものの、これらの石造りの神殿には、力強さと幾何学的な美しさがある。

近くから、水の流れる音が聞こえてきた。

雲飛の目に、何とも奇態な四つの巨像が映る。

四角ばっていながら奇妙に生々しい、その姿。

大きな丸い目、にやりと笑っているような巨大な口、手と思しき部分はあるものは口に当てられ、

あるものは耳に当てられていた。

水はどうやら、その巨像たちの間に通された水路から流れているようだ。

立ち止まり、巨像群を眺めている雲飛を振り向いた幼子が、小走りに彼の側に駆け寄って来た。

「王ヨ。今ノ、神けつぁるくぁとるガ治メル”風ノ太陽”ノ時代モ、イツカハ終ワリヲ告ゲル、

ト言ワレテイマス。」

幼子タムタムが雲飛を見上げつつ言う。

「”風ノ太陽”ガ終ワルトキ、世界ハ作ラレタトキト同ジニ、風デ滅ブト言ワレマス。

大キナ風ガ吹キ荒レテ、人モ、樹木モ、太陽モ、スベテサラワレテシマウ。

”風ノ太陽”ヲ司ルけつぁるくぁとるハ、人ガ風ニ飛バサレナイヨウ、猿ニ変エテ助ケテクダサルノデス。」

多少とも誇らしげに、子供は自分の村の伝説を語った。

「コノ像、ソノ猿タチノ姿ト、たむたむ教ワッテイマス。」

この地は滅びの伝えを有しているようだ。

(何処の地でも、人は終末を予感し滅びを怖れるものか。)

思いつつ、雲飛は白く見事な顎鬚を撫で下ろす。



二人は石造りの神殿群へと歩を進めた。

「王ヨ。コレガ、黒イ神ヲ封ジタ魔ノ石ノアル、"封印ノ神殿"デス。」

子供がその前で立ち止まった階段状の建物には、蛇の頭の石像が整然と並んでいた。

何所かしら滑稽なものを感じさせる、円い目と大きな口を有する石の蛇たちは、一見石で作られた花びらの中から頭を突き出しているようだ。

が、よく眺めると石の花びらは蛇の頭の後ろに付属し、鳥のものらしき羽を象っているのだった。

(羽を持つ蛇・・・・・・”鳴蛇メイダ”、か。)

大陸には古来より、様々な幻獣たちが伝えられているが、

鳴蛇は”水の中より出でし、翼を持つ蛇”とされる幻獣だった。

雲飛は、師より「壊帝ユガ」にまつわる”破王の卵”と”崑崙山”の伝説を聞いた後に紐解いた、書物の一節を思い出す。

”―――十洲のうち、鳳麟洲ホウリンシュウは崑崙山の麓に住まう、時を数え邑を流れ歩く民草あり。

水より出でし鳴蛇を神と崇めたり。・・・・・・”

先人が”鳳麟洲”と呼称した、この南蕃の地。

故国と全く異なるとは言えど、高度な一面を持つ文明を誇っているようだ。


案内してきた子供が雲飛を振り向く。

「コノ奥ノ扉ノ向コウニ、魔ノ石たんじる・すとーんガ置カレテイマス、偉大ナル王ヨ。

たんじる・すとーんハ、けつぁるくぁとるノ封印ニ守ラレテイルト、たむたむ父ナル村長ニ聞キマシタ。」

「うむ。」

その時、肌を僅かに刺した邪気。

「お前はここにおれ。」

雲飛は子供に告げ、踏み出そうとした。

「待ッテクダサイ、王ヨ!」

子供が歩もうとした雲飛の前に走り出る。

「たむたむモ力ニナリマス。大キクナッタラ村ヲ守ル身、たむたむモ黒イ神ト戦イタイ!」

雲飛は、目下の子供を見据えた。

「お前は兇神を前に何ができるか。」

静かな、だが冷たく険しい、突き放した声。

言葉を刃のように差し込まれ、幼子タムタムは根が生えたように棒立ちになった。

「よいか、子供よ。何が起ころうとも決して、扉を開けてはならぬ。

一刻過ぎても儂が戻らぬ時は、村の者に知らせてこの扉を永久に封印せよ。」

円らな目をいっぱいに見開き、薄茶の肌をした幼子が、何かを訴えようと口を開きかける。

「王の言いつけ、違えはすまいな。」

子供は、唇をぎゅっと結び、そしてゆっくりとうなづいた。

雲飛は幼子に背を向け歩み、重い石造りの扉を開く。


石造りの部屋の内部には、異質な空気が張り詰めいていた。

これは、おそらくは特殊な呪術によって作られた結界なのだろう。

それは今、部屋に充満しているもう一つの異質な、むしろ異様な空気のため綻び、

破られようとしている。

肌をいよいよ強く刺し、精神をも圧迫するのは真っ黒な邪気だった。

雲飛の目の前に、一つの大きな珠がある。

壁に穿たれた窪みに、黄金色に輝く宝珠が納められている。

だがその色は澱んでいた。

宝珠は、何かとてつもなく禍々しいものを包み込み、そのために澱んでいる。

その姿には一つの呼び名がある。

「闇の黄珠魂。」

雲飛は呟いた。

"破王の卵"が魂を封印し、大いなる闇の力を湛えた状態。

この状態の宝珠に触れた魔物は、その力を飛躍的に増加させると言う。

宝珠を”闇の黄珠魂”にするために必要な魂は並のものではない。

世界を形作る四大の力を体現する魂を持つ、四人の勇者。

または、四大のうち二大をそれぞれ体現する自然の力を持つ、二人の巫女。

さもなければその魂は、人が神と呼び畏れる、力そのもの。


「貴様はいかなる兇神か。我が怨敵、闇キ皇か。」

呼びかけつつ雲飛は、目の前の禍々しき宝珠に宿るものが捜し求める魔物でないことを確信していた。

だが、このままにはしておけない。

宝珠に宿るものもまた、闇キ皇同様世界を破滅に追いやることを欲し、それをなし得る力を持っていることは明白だった。


"何者ダ・・・・・・ 貴様、「羽アル蛇」ニ仕エルモノデハナイナ?"

宝珠からゆっくりと、人ならぬ不気味な声が響く。

一切の光が射さぬ、切片のぬくもりもなき、命の存在できぬ闇の底から這ってきたような声だった。

"枯レ果テタ爺カ。喰ロウテモアマリ美味ソウデハナイナ。"

カタカタと、何かを打ち鳴らしたような音が石造りの部屋の中を響き渡る。

”ダガ肉ハ萎ビテ不味カロウトモ、貴様ガ生キタ歳月分ノ精気ハ喰ライ甲斐ガアロウトイウモノ。”

いつしか石造りの部屋は、並外れた悪意と全てを汚染する殺気を含んだ、禍々しい気配で満ち満ちていた。

黒い気配が忍び寄り、今や肌に密着するほど近くにある。

そう感じたと同時に、雲飛はその場から飛び退いた。

黒い気が渦巻き、周囲の空気が一気に収縮する。

留まっていれば、刃と化した黒い気に全身を切り裂かれていただろう。

流れるような動きで壁を蹴った雲飛は、体を包む大気に対し念を込める。

雲飛の体を包む大気は渦を巻き、風となる。

風に乗り、風と共に舞い、飛ぶ。

それは仙に通じる武術・天仙遁甲の奥義、”天機七曜”と呼ばれる術。

天仙遁甲の奥義を知る者の中でも、会得できた者は五本の指にも満たないとされている。

天機七曜を会得した数少ない達人である雲飛は、かつて唐の帝國において”華胥飛仙かしょひせん”と綽名されていた。

『列子黄帝伝』に曰く、”華胥氏”なる仙女の名で呼ばれた幻の国の人々は、歩く如くに空中を自在に飛んだとされている。

雲飛が天機七曜で空中を駆る姿を目にした者たちは、それを華胥国に住まう仙人と喩えたのだった。



”ホホウ。シカモタダノ爺デハナイ。ソノ技、オマエハ「風ヲ操リシモノ」カ?”

魔神の暗い声に潜んでいた、歪んだ愉悦の響きがあたり一面に溢れ出す。

”「ええかとる」ヲ見ルノモ久方ブリノコト。羽根ヨリモ細ク裂イテヤロウゾ!”

充満する黒い気が、凶暴に渦巻いた。

空中を飛行し退いた雲飛は、目を配りつつ考えを巡らせる。

兇神は、確かにこの石造りの部屋に存在している。

だが、実体を隠してこちらを翻弄するつもりでいるようだ。

如何様にして兇神の実体を捉えるか。

”無駄ナコト! 我ノ姿ヲ見切ルナド、土塊ニスギヌ人ゴトキニ為シ得ルハズモナシ!”

雲飛の思考を読んだ如くに響く、魔神の声。

同時にカタカタ、カタカタと無機質で耳障りな音が部屋の中に木霊する。

黒い気は毒気を含んだ風となり、中空を舞う雲飛に襲い掛かる。

身に纏った風を動かし、雲飛は瘴気に満ちた魔神の風を避けた。

(これではきりがないな)

思った刹那のことだった。

脚注
  天泣(4)

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