花時の雨〜リムルル〜(5) |
薄闇の中に、妖しき光が満ちている。 光を発する見事な大きさの宝珠に映る、妖艶な表情。 その者の名は、天草四郎時貞。 彼の背後から歩み寄った者がいる。 「そなたの玩具はどんな具合だい、四郎?」 天草の背後に立ったその者の顔(かんばせ)には、はちきれんばかりに楽しげで、 かつ妖しく邪悪な微笑が浮かんでいた。 「初めて成してはみたものの、死人(しびと)操りとは思いのほかままならぬものだな」 そう天草はそう答える。 その両手が翳されている巨大な宝玉、天草はガダマーの宝珠と呼び、つい先頃まで祀られていた村では ラピス・ゥビャレンクェ、またの名をパレンケ・ストーンと呼び習わされていたそれは、内側から妖しき光を放っていた。 薄青く揺らめく光が、天草の顔を照らし出している。 「しかし、あれは相当に情念の強き死人だね」 くっくっと、ラクシャーサは喉を鳴らし笑う。 「この村からはひとりとして出なかったが」 「ひとりも出なかった……木偶など所詮、その程度かもしれぬが」 天草は背後を振り向き、ラクシャーサを見る。 「いったい何が、鬼に斬られた破沙羅とこの村の木偶どもを隔てている?」 「さぁて」 ラクシャーサは再び、楽しそうな嗤いを響かせた。 「ただ我は、あの破沙羅からは非常に好ましいものをいろいろと感じるね。 激怒、憎悪、怨恨、殺、悲噴、嘆き、殺、血の赤、闇の黒、殺、破壊への衝動、殺。」 金髪の、天草と瓜二つの姿形をした若者は天草の背にしな垂れかかる。 「何より己の欲するところのみを追い求める、狂いし獣の本能」 「……それはまさしく」 天草は呟いた。 「命を最も輝かせるものが、あの死人を突き動かしているということよの」 「すでに死んでいる肉体を。面白いものだねぇ」 楽しげに、くすくすと漏らされる笑い声。 「そなたの玩具となったあれは、うまく使えば我らに更なる血と贄をもたらす魁となる。うまく操っておくれよ」 激励の言葉と共に、ラクシャーサはすいと天草から身を離した。 「……今、村の入り口に新たな贄どもが来ておるな」 天草が呟く。 「さっそく破沙羅に始末させるか」 薄闇に包まれた室内をそぞろ歩いていたラクシャーサが立ち止まる。 「贄は一人ではないのだね? 四郎」 その問いかけに、天草は訝しげな表情を浮かべた。 「一人でないとそなたにはわかるのか」 「ん。うち一人は鬼を屠る者なのだよ」 「……」 天草は眉を寄せる。 「鬼を屠る者とは?」 ラクシャーサが、にっこりと微笑む。 「簡単に言えば、壬無月斬紅郎を屠れる者だ」 細く引かれた眉が顰められる。 「それは目障りだな」 冷静な呟きに混じる、忌々しげな響き。 「そう、彼奴が我らの道の妨げとなることは明らか。それが自ら此処に飛び込んできたとなれば好都合」 ラクシャーサが、再び天草の背にしな垂れかかる。 「さらに彼奴は今、我が呼び寄せるつもりであった光の巫女と共にあるからね」 「光の巫女か。そなたの宝珠に封じた巫女の魂だけでは足りぬのか?」 「まだ足りぬ、と宝珠は言っている」 にやりと笑むラクシャーサの前に、いまひとつの宝珠が浮かびあがり薄く黄金の光を放つ。 「さらに言えば、この輝きから見て封じ方も不完全」 「それはどういうことぞ?」 天草はラクシャーサに向き直った。 「魂から、さらに分離して逃げた魂があると言えばよいかな」 天草は目を瞬かせる。 「そのようなことが起こり得るのか?」 「なんとも珍しいことではあるがね。大人しくこの宝珠に封印されておればよいものを……」 「むぅ」 「なぁに。そなたと我がこの地にある以上、その魂の片割れも必ずや訪れる。我らの贄として、その身を捧げんがために」 ラクシャーサが、唸る天草へ向けてにっこりと笑んだ。 その者の名は、破沙羅といった。 後に、首斬り破沙羅の呼び名を以って怖れられることとなる者である。 彼の名を知る者も呼ぶ者も、もはや現世には存在しない。 無論、彼の襲撃を受け戸惑う少年、緋雨閑丸とアイヌモシリより来たる少女リムルルも、知る由もない。 ただ、わずかな手掛かりを二人は得た。 破沙羅の漏らした鬼というその一言。 そしてリムルルの感じ取った、彼が死人であるという信じがたい事実。 「お前は鬼を知っているのか!」 普段は素直さを宿した円らな瞳を今は怒気に釣り上げ、閑丸は叫んだ。 「知っている……ククク……今僕の目の前にいるさぁ……この一面の、赤黒い闇の中……」 破沙羅の含み笑いが、突如狂気を帯びて溢れ出す。 「お前だよ……お前が鬼だ……! 破滅の音が満ち溢れる……」 嗤いが周囲にの空気を引き裂き、満ち溢れる。 「……僕が?」 愕然とした表情を貼り付け、呟く閑丸。 「破滅だ……破滅の音だァ……!」 破沙羅のかすれた声は叫びと変わり、狂気を帯びた。 「ひゃはははははははは……!」 破沙羅が細い肩をよじる。その手から、刃の風車が放たれ宙を舞う。 「あぶない、閑丸くん!」 リムルルの叫び。 「鏡よ!」 閑丸の前の空間に、突如形成される氷の鏡。 刃の風車が跳ね返され、破沙羅の手元へと戻っていく。 「クククク」 含み笑いと同時に、破沙羅の姿が影の這う木の幹からずるりと抜け出した。 「篝火」 突如破沙羅の発した、それまでよりも甲高く、哀愁が込められた声。 「仇は討つよぉ……! 君は鬼の血肉で救われるんだ……」 リムルルはその言葉に目を見開く。 「かたき? 鬼が?」 彼女は手に構えたチチウシを僅かに降ろす。 「あ……あなたは、もしかして鬼に殺されたの?」 一歩、破沙羅に向かい足を踏み出したリムルルに鋭く声が飛ぶ。 「危ないッ!」 閑丸の叫びと共に、リムルルは突き飛ばされた。 リムルルの体のすぐ側を、 狂気を含んだ風が薙いで行く。 閑丸が、背から抜き取った宝刀を構えた。 脚を踏みしめて立ち、彼は鋭く叫ぶ。 「答えろ!鬼はどこにいるんだ」 破沙羅の唇が大きく、裂けるように歪む。 「ひひひ」 引き連れた嗤いが零れ落ちた。 「狩ってやる! 鬼は僕が、残らず狩ってやるよぉぉ!」 破沙羅の手元に戻った風車のように重なった刃、それが突如破沙羅の手から消え失せた。 「まずはお前からだよ、紅い鬼め」 閑丸は目を見張る。 目の前の空間が裂けている。 「ひゃははははははは……!」 刃が彼の目前に迫り来る。 閑丸の動きは、まさに電光石火だった。 脚が引かれ、左手が宝刀の柄を離れ、 閑丸が霧雨と名づけた番傘が勢い良く開く。 ばさりという音と共に、破沙羅の投げつけた刃は跳ね返される。 「僕が探しているのは、今は侍を斬り続けているという巌のような剣豪だ!」 閑丸が叫ぶ。 「お前はどこで鬼に出会った? 答えろ!」 足元の影が濃さを増し、破沙羅の姿が再び影の中へと消えていく。 閑丸は、閉じた番傘を投げつける構えを取る。 「奴は篝火を殺した……僕は篝火の血を、僕の恋人の血をこの体に浴びたんだぁぁ……!」 破沙羅は細い目を見開き歯噛みする。 漏れ出る狂乱の声と哀切の嘆き。 そして、新たに溢れ出る血の涙。 文字通りの真紅の流れが、破沙羅の神よりも蒼褪めた頬を彩っていく。 二人の戦いを見守っていたリムルルは、思わず口を両手で覆った。 破沙羅の叫びが、彼女の心に突き刺ささる。 閑丸は、その手から番傘を放す。 地に落ちたそれを顧みず、宝刀の柄を再び両手で抜き取っていた。 「答えないなら本気でいくよ」 身を翻し、閑丸は欠片の迷いもなく、構えた宝刀の切っ先を破沙羅に向け、奔る。 嗤いと共に、破沙羅が影の中へと消える。 リムルルは気付いた。 影は地を動き、そしてその様子を閑丸は正確に捉えている。 「待って! 閑丸君」 リムルルの叫びと共に、閑丸は立ち止まる。 「後ろだろ」 少年の呟きと同時に、 「ははははははは……!」 破沙羅の狂笑が響き、閑丸の背後からその姿が伸び上がる。 「止めて!」 少女の絶叫の中、少年は宝刀もろとも破沙羅に体当たりした。 そのまま、宝刀をぐいと引く。 肉の切断されるおぞましき音。 次の刹那に響いた絶叫。 リムルルは思わず耳をふさぐ。 「う……」 テクンぺ(手甲)に覆われた手、裏側の掌をリムルルは口に押し当てた。 横たわっている、棒切れのような腕。 止むことなく響き続ける、破沙羅の絶叫。 血潮を放出し、それはやがて止まり、のたうつ体が血に塗れた影の中へと沈んでいく。 やがて、影が消えた。 あとに残されたのは、血を含み吸い取った大地。その上に横たわる、紙のように蒼褪めた細い腕。 リムルルはそれを、呆然と見ていた。 「リムルルさん」 呼びかけに振り向く。 緋雨閑丸が立っている。 刀身に纏わりつく血糊を懐紙ですいと拭き取り、背に負った龍の見事な浮き彫りを持つ鞘へと収め、リムルルへと目を向ける。 その目の中に。 リムルルの心を冷やし、やがて突き刺す刃を思わせる、冷たい光が見えた。 彼はまるで、リムルルの踏み込めない異なる世界にひとり立ち尽くしているようだった。 どんな温もりも、入り込むことのできない世界。 彼の唇が動いた。 「そのままだと君は死ぬよ。お姉さんに会うより先に」 目を見張り、リムルルは閑丸を見返す。 彼の氷のような瞳は、何の動きも見せずリムルルに向けられていた。 「君を殺そうとしている相手に情けをかけて、どうなるっていうんだい?」 「私は……」 「お姉さんに会えずに死んでもいいって言うの」 淡々と告げられる声。 「僕はごめんだ。死んだらもう何もできなくなるんだ。まだ自分のことが何もわかってないのに」 少年は、リムルルから目をそらした。 虚空に向けて彼は呟く。 「嫌なら、殺されるより先に殺すしかないだろ」 閑丸は膝を払い、落とした番傘を拾い上げる。 「この先に待ってるのは血の雨。ちょうどそこにあるみたいな」 彼は低くそう言った。 振り向かずとも、リムルルの心には刃で斬りつけられた傷のように、あの光景が焼きついていた。 血を吸った大地。物体と化した、斬り落とされた腕。 「あいつら……伴天連の着物を着たあの二人は、この村で沢山の人を殺した。 みんな血塗れになって死んでいったよ。僕はこの目で見た」 「……閑丸君! ここは一体何なの!?」 「あいつは言っていたよ。みんなこれで極楽へ行けるんだって」 「閑丸君……」 「死にたくなかったら、君は帰った方がいいよ」 番傘がその手の中で開く。 ぽつ、ぽつと、か細く雨が降り始めた。 「閑丸君……!」 リムルルの叫びに答えることなく、振り向く事もせず緋雨閑丸はまっすぐに歩み去っていった。 住む者のもはやない村の中へと。 |