第七章  嵐の中


「うううぅうう〜〜。う゛ーーーー」

 奇妙な呻〈うめ〉き声を上げながら、鈴姫はぐったりと壁に凭〈もた〉れかかった。

 半刻ほど前から海が荒れ出し、船が大きく揺れ続けている。

「ううう……。降りたい……………」

 船に初めて乗ったわけではないが、こんなに酷く揺れる状態は経験したことがなく、鈴姫は早く港に到着することを祈りながら、

血の気の引いた手を合わせる。

「あの、大丈夫ですか? 船に酔ったならこれを使ってください」

「ん……?」

 虚〈うつ〉ろな顔で鈴姫が振り返ると、見慣れない青い服を着た少女が、折りたたんだ手ぬぐいを差し出していた。

「船酔いに効くから。口にあてて」

「うん、ありがと……」

 渡された布を言われたとおり口にあてる。

「あ……、不思議な香りがする」

「この匂いはね、気持ちが落ち着くんだよ」

 そう言って、少女はにっこりと微笑む。

確かに、少しずつ楽になってくる。

「あ、ちょっと元気になったかな」

 さっきまでの低い呻き声でもない、はっきりとした口調で言った鈴姫に、少女はほっとした表情を見せる。

「うん、アナタのおかげよ。アタシは鈴ひ……、鈴よ。アナタは?」

「私はリムルル。港に着くまであと少しだと思うけど、よろしくお願いします」

「うん、よろしく!」

 すっかり元気を取り戻したようえ、鈴姫はパッと立ち上がってリムルルから差し出された手に両手を重ねた。

「それにしても……」

 握手をしたまま鈴姫はリムルルの顔をしげしげと覗き込む。

「人のこと言えないけど、アナタみたいな年の子が一人旅なんて変わってるわね」

「わたし、17だからもう、大人なんですっ。一人旅くらいしますよ」

「えっ! アタシより年上なの?」

「ええええ!? わたしより年下なんですか!?」

 鈴姫も驚いているが、それ以上にリムルルは眼を丸くしている。

「姉様くらいかとおもったのに……」

 りムルルは手を離すと、その場に頽〈くずお〉れた。

「え、どうしたの? 今度はアナタが具合悪くなっちゃった?」

「精霊の声も聞こえないし、年下の女の子にこども扱いされるし……わたし……うう〜っ」

「え? な、なに? どうしちゃったの?」

 リムルルが聞き取れない小声で呟きながら、今にも泣き出しそうになって、鈴姫は慌てた。

 しゃがみ込んだリムルルの肩を抱き寄せて、あやすように背中をさする。

「なにがあったのか分からないけど、泣かないで……、ね?」

「ううう〜。わたし、もうこどもじゃありません〜」

 そう言いながら、リムルルは鈴姫の袖〈そで〉を掴んで、声を震わせた。

 自分はそんなに悪いことを言っただろうかと、鈴姫は首を傾げながら背中をさすり続ける。

「ぐすっ、わたし……わたし、早くみんなのところに帰りたい……。でも、まだ帰れないの……」

「―――――――――――!」

 リムルルの言葉に鈴姫の体が強〈こわ〉ばった。

(アタシも同じ……。早く全部終わらせて、お父様やお母様、じいたちのいる天降に帰りたい……)

「早く、帰れるといいわね」

(アタシも、アナタも―――)

 想いながらリムルルの肩を抱く手に、力を込める。

「うん…………」

 短く答えて、リムルルが顔を上げかけたその時――。

「きゃっ!!」

「―――わふ!?」

突如〈とつじょ〉轟音〈ごうおん〉と共に船が大きく揺れ、鈴姫の胸元にリムルルの頭がぶつかる。

「わわわ! ごめんなさい……!」

 リムルルは顔を赤くしながら、慌てて飛び退〈の〉いた。

あまりの動揺っぷりに鈴姫が噴き出す。

「あはははっ、女の子同士でしょ。気にしなくていいわよ」

「あ、うん……」

「それにしても、今の揺れと音、ちょっと変だったわよね」

「ドーンって感じの音だったよね。なにかあったのかな」

 鈴姫の顔から笑顔が消え、リムルルも同じように硬い表情で音のした方を見つめる。

「アタシ、行ってみる」

「ま、待って! わたしも行く!」

 頷きあって二人は表に飛び出した。

黒い海の上に、自分たちの船ではない光が見える。

「………………あれは……」

二人は視界に映った黒い影に息を呑〈の〉んだ。

大きな一隻の船がこちらに大砲を向けている。

「なんだあれは! 海賊か!?」

 鈴姫たちと同じように飛び出してきた船員の一人が恐怖に強ばった顔で叫ぶ。

「……あの?」

「……………………」

 混乱する船の上で、相手の船を見つめたまま微動だにしない鈴姫を、リムルルが不安げな顔で見つめる。

「………………あの……紋〈もん〉は―――っ!!」

 間違いない。ずっと追いかけていた、両親の、祖国の仇〈かたき〉。

 鈴姫が背に負っていた白い布を手早く解〈と〉くと、背丈に見合わない大剣が現れる。

 驚いて一歩後ずさったリムルルにも気付かず、鈴姫は険しい表情でバスタードソードを構えた。

 激しい風を受けて、切っ先がぶれる。鈴姫は手が白くなるほど固く剣を握り締めた。

「早くこっちに来なさいよ!! 今ここで、討ち果たしてやるっ!」

「ダメ! あぶないよっ」

 船から身を乗り出そうとした鈴姫を、リムルルが慌てて後から羽交〈はが〉い絞めにして止める。

「こんな荒れた海に落ちたら助からないよ!!」

 身をよじって振りほどこうとする鈴姫に、リムルルが必死にしがみつく。

 直後、再び轟音と共に鉄の塊が船のそばで海を叩き、高いしぶきを上げた。

「きゃああああっ!」

 転覆するかと思うほど、船が大きく揺れ、立っていられずに転がった鈴姫とリムルルの体は帆柱〈ほばしら〉に打ちつけられた。

「いたたた……」

「―――くっ!」

 衝撃でバスタードソードを取り落としそうになり、鈴姫は咄嗟〈とっさ〉に剣先を船に突き立てた。

それに掴まるようにして、鈴姫は体勢を立て直す。

「ごめんなさい、ちょっと逸りすぎたわ。……止めてくれなかったら、今ので落ちてたわね」

「ううん、無事でよかった」

 鈴姫に助け起こされながら、リムルルが呟く。

「でも、どうしよう、このままじゃ……」

 このまま砲撃を続けられれば、船に直撃するのも時間の問題だろう。

「ええ、なんとかしないと……」

 しかし、剣の届かぬ相手では、手も足もでない。

どうすることも出来ず、苛立〈いらだ〉ちに鈴姫はくちびるを噛んだ。

「……………………あっ!」

 不意に隣でパッと顔を上げたリムルルに、鈴姫の顔から鋭さが消える。

「何か思いついた!?」

「ちがう。聞こえるの……、ほんの少しだけど」

「聞こえるって……?」

 リムルルの表情が明るくなった以上、何らかの活路〈かつろ〉を見いだしたに違いないのだが、言っていることがよく分からない。

「おじさん! わたしの言うとおりにしてください!!」

「え!? ちょっと……」

 状況が飲み込めない鈴姫の脇をすり抜けて、リムルルは操舵手のところに走っていく。

「わたしが言う咆哮に進んでください! そうすれば、きっとみんな助かります!」

「何を言ってるんだあんたは! 俺たちがなんとかするから中にいろ!」

「お願いです! わたしを信じて!」

「危ないから引っ込んでろ!」

「わたしには分かるの! お願いだから……っ!」

 リムルルが必死に訴えるが、操舵手は取り合おうとしない。
 
 当たり前だ。彼だって彼なりに仲間や自分たちを守ろうと必死なのだから。

「……でも、ごめんね。アタシはこの子を信じる」

呟きと共に、鈴姫は男に剣を向けた。

「な、なんの真似〈まね〉だ……!」

「この子の言うことを聞いて」

「今の状況が分かってるのか!?」

「分かってるからこうしてるのよ! ……いいから言うとおりにして。本気だからね」

「俺がいなくなったら、この船は逃げられないんだぞ!」

「そうよ。だから、アナタを頼るしかないのよ」

「お願いです!!」

 鈴姫もリムルルも一歩も引こうとはしない。

「……ちくしょう! 信じるからな!」

「…………ありがとう」

 微笑んで鈴姫は、バスタードソードを下ろす。

視線を送ると、リムルルは力強く頷いた。

「あ―……、青いなぁ」

ぼんやりと空を仰いで、鈴姫は眩しそうに目を細めた。

 リムルルのおかげで、船に乗っていた全員が無事に港に着くことがdけいたが、その恩人は港に着くなり、倒れてしまった。

 鈴姫と船員たちは慌てふためいたが、駆けつけた医者によると、疲労から熟睡しているだけだということで、安堵した。

 その後、涙を流しながらひたすら礼を述べt具付ける船員たちに別れを告げ、リムルルとは挨拶しないまま鈴姫は次の町を目指すことにした。

随分と派手〈はで〉なことをしてしまったし、噂になる前に港から離れてしまいたかった。

「あーあ、せっかく仲良くなれそうだったのになぁ」

 街道〈かいどう〉の団子やで、餡〈あん〉団子を頬張りながら、鈴姫がぼやく。

 そういえば、彼女も一度も自分の名前を呼ばなかった。

「……ま、いっか! またどっかで会えるかもしれないしね!」

 最後の団子を頬張って、鈴姫は立ち上がる。

これからの旅もきっと、辛いこともあるだろう。でも、素敵なことももっとたくさんあるかもしれない。

 大きく伸びをして、鈴姫はもう一度空を見上げた。