第九章 危機こそ新たな道なれ



障子越しの朝日が顔に当たり、眩しさに鈴姫は顔をしかめた。

「んー……?」

 寝返りを繰り返しながら鈴姫は、不思議そうな声を漏らす。

 寝起きの気怠い表情でうっすらと目を開けた鈴姫は、突然、我に返ったように跳ね起き、部屋を見渡した。

「……なんだろう……、昨日と空気が違う」

 昨日、この宿場町に入ったときにも妙な雰囲気を感じたが、今朝はそれ以上におかしい。

 殺気と言うのがいちばん近いだろうか。肌にチリチリと焼け付くような感覚がある。

 鈴姫は笛を握ったまま、素早く身支度を整えると、宿屋の階段を駆け下りた。

 階段を下りた玄関のところでは、ちょうど宿の女将が男と深刻な顔つきで話し合っているところだった。

「半月ほど前に、近くの港に異国船が現れましてね」

「…………!」

――自分が探している相手とついにまみえることができるのかもしれない。

 鈴姫はひと言たりとも聞き漏らさぬよう、意識を集中させる。

「その頃から夜毎に夜盗団が現れて、押し込み強盗やら、若い娘を狙ったかどわかしやら……この町で好き勝手に暴れるようになったんです。

……巻き込まれることを恐れた別の町の役人たちが、今朝方、街道を封鎖してしまって……。

町の物はあいつらに持っていかれてしまうのに、他の町と行き来できなくなったら私たちは……っ!」

 そこまで言うと、女将はその場で泣き崩れてしまった。

 鈴姫は慰めるように女将の肩にそっと手を添えると、男に視線を向けた。

「アタシが協力してあげる」

「し、しかし……」

「アタシが囮になるから、その夜盗団とやらが現れたところを、町のみんなとアタシで一気に叩いちゃいましょ」

「そんな簡単に言ってくれるなよ。あんたみたいな小娘に……」

 鈴姫が立ち上がり、肩に背負っていた物の布をほどくと、男はそのまま絶句した。

「大丈夫。アタシ、剣には自信あるのよ」

 両手でとはいえ、身の丈ほどもある大剣を軽々と持ち上げてみせた鈴姫に、男は青い顔で何度も頷いた。

「よし、そうと決まったら、人手を集めなきゃね」

 鈴姫はバスタードソードを肩に担ぎ上げ、意気揚々と宿の外へ出た。

 一歩外へ出ると、すぐそばの店で男たちが集まって、暗い顔で何かを話し合っているのが見え、鈴姫は彼らの間に割って入った。

「夜盗団の話?」

「―――うわ!? な、なんだおまえ!」

「ただの旅人よ。街道が閉鎖されたって聞いて、いてもたってもいられなくなっちゃって。夜盗団退治を買って出ることにしたの」

「…………はぁ?」

 男たちは馬鹿馬鹿しいという表情で、顔を見合わせた。

「あいつらと俺らじゃ体格が全く違うし……」

「そうだよ……。知らない言葉で喋って、なに言ってるかも全然わからねえしさぁ」

「ちょっと! アンタたちの町でしょ!? 自分たちで守らなくてどうするのよ!!」

 町人たちの態度に苛立った鈴姫は、持っていたバスタードソードを向けて怒鳴る。

「町のためにも一緒に戦いましょうよ。ね?」

「…………は、はい……」

 切っ先を向けられた男が、力なくそう返した。


 薄雲の向こうに月が光り、打ち合わせ通り店が灯りをともしてくれていて、視界はそれなりに確保されている。

「よし……、これならなんとかなりそうね」

 鈴姫はひとまず安心して、バスタードソードの隠し場所を覗き込んだ。

「こっちも大丈夫、と。……じゃあ、よろしくね」

「ああ……」

 物陰に潜んだ数人の男らに声をかけ、鈴姫に懐に鉄芯入りの笛をしまいながら、いつも夜盗団が現れる辻へと早足で向かった。

 四刻半ほど待っただろうか。外つ国の言葉で話しながら近づいてくる複数の足音に、鈴姫はわざと見えるように木陰に隠れた。

 うつむいて怯えたふりをしながら、相手の数を数える。

(4、5……6人か……。町の人と一緒ならどうにかなるはず)

 やがて、下卑た笑いが間近に聞こえ、鈴姫は懐の笛を握りしめた。

 背後に気配を感じながら、攻撃の時を待つ。緊張で体中が脈打ち、手の中の笛が汗で滑ってしまいそうだった。

 夜盗団らしき男の手が、肩に触れるや否や、鈴姫はその腕を引っ掴んで、背中に乗せたまま投げ飛ばす。

「――――――今よ!」

 鈴姫が叫ぶが、それに応える者はない。

「………………ッ!」

 どうして、と振り返る前に、夜盗団の男がなにか叫びながら短刀で斬りかかってくる。

 横笛でそれを弾き返すと、鈴姫はその勢いで飛びすさった。

 別の男が鈴姫の顎めがけて蹴り出したつま先を、かするほどの距離でよけ、地面に転がる。

 次に襲い掛かってきた長剣を避けそこね、足にうっすらと赤い筋が浮いた。

(まずい……このままじゃ…………)

 ほんのわずか先にあるバスタードソードの隠し場所にすら近づけず、鈴姫は口唇を噛んだ。

 鈴姫の腕が立つことに気づいたのか、夜盗団の男たちはじりじりと距離を詰めながら、出方をうかがい始めた。

 その隙に周りを見渡すと、町の人々が遠巻きに自分たちの立ち回りを見物しているのが見えた。

 協力を約束した若者たちも、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。

「……ふん、無駄な演技を」

「いや、本気のようだから、仲間割れじゃないか?」

「――――なっ……!!」

 あとほんの少し短剣の男が振りかぶってくるのが遅かったら、その場にしゃがみ込んでいたかもしれない。

 反射的に攻撃を避けながら、鈴姫は心が絶望に染まっていくのを感じていた。

(そっか、アタシ……)

 町の人たちとは違う自分の容姿は、彼ら夜盗団の仲間と思わせるものだったのだ。

 夜盗団から逃れても、今度は彼らに追われるかもしれない。

 暗くよどみ始めた気持ちは、鈴姫の動きを鈍らせた。

(ごめんなさい、父様、みんな……)

 涙のぼやけた視界に、まっすぐ向かってくる長剣が見えた。

 だが、次の瞬間、鈴姫と長剣の間に影が滑り込む。

「危ねぇ、危ねぇ……」

 緊迫した空気にそぐわない、男ののん気な声に、鈴姫は目をしばたたかせた。

 彼が受け止めた長剣を力任せに押し返すと、刀はそのまま夜盗団の男の肩をえぐった。

「おっとっと。悪ぃな、酒入ってるから、手元が狂っちまった」

 乱入者のおかげで、夜盗団の標的が変わった。

 鈴姫は素早く駆け出すと、乱入してきた男のそばに戻った。

「助けてくれてありがとう」

「別に礼なんかいいさ。静かに酒を飲むのに、こいつらが邪魔だっただけだからな」

 背中を向けたまま男が答えると、鈴姫はくすりと口元を緩めた。

「じゃあ、早くアナタがゆっくりお酒を楽しめるようにしないとね」

「おう。頼んだぜ」

 奇声を上げながら飛びかかってきた短剣の男を、バスタードソードで振り落としながら、鈴姫は妙な感覚を覚えていた。

 自分を助けてくれたこの男に、なんとなく懐かしさを感じるのだ。

 似ているところと言えば背丈くらいで、体格も持っている雰囲気も全く違うのに、どうして天降にいるはずの彼を思い出すのだろう。

「そらよっ!」

 助っ人が剣の柄で喉を突くと、男はそのまま後ろに倒れて気を失った。それを横目に鈴姫も短剣の男に、渾身の一撃をお見舞いする。

「よおし、あと3人か」

 余裕からか、声が弾んでいる。 

 二人が武器を構え直すと、夜盗たちは怯えた顔で武器を捨てた。

「なんだよ、もう降伏か……」

 つまらなそうに呟くと、彼は遠巻きに見ていた若者を顎をしゃくって呼んだ。

「おい、そこのボウズ。縄持ってきな」

「は、ハイ……!」

 震えた返事と共に、若者は近くの店に駆け込んでいった。

 見物していた町の人々も、ざわめきながら近づいてくる。

「いや、ありがとうございます。助かりました」

 手のひらをこすり合わせながら、年老いた男がうかがうような視線を向けてきたが、助太刀に入ってくれた男はそれを気にもとめず、

すたすたと歩き出してしまった。

「ありがと、オジサン」

「……オニーサンだろ? んじゃな」

 彼は酒瓶ごと片腕を持ち上げて、ひらひらと手を振った。

 引き止める間もなく、去ってしまった恩人の背中を見送り、所在なげに佇む老人は、じっと鈴姫を見ていた。 

「あ、あの……若い衆がお手伝い出来なかったことを許してくださいませ。なにぶん、気の弱い者ばかりで……」

「はいはい。じゃ、今度こそ協力してもらうわよ。今から、こいつらの隠れ家に行って、全員引っ捕らえてやるんだから」

 鈴姫が見物していた男たちを睨みつけると、全員が硬い表情ながらもしっかりと自分の獲物を握っていた。

―――今度こそ、敵の手がかりが見つかるかもしれない。

 鈴姫は父の形見であるバスタードソードを固く、固く握りしめた。