サムライスピリッツ零・公式ストーリー
徳川慶寅
「……兇國日輪守我旺に謀反の疑い有り、か」
その言葉を呟き、慶寅はそれが意味するところ反芻する。
両の掌を胸の前で開き、じっと見下ろす。あのときの手の痺れが、幻覚として現れる。生涯、忘れることのできない、痛みに等しい感覚―――。
「……チッ。汗が目に入って足がすべっちまったな。さて、続きといこうか」
本心から、自分自身の不甲斐無さに舌打ちした。だれにも教わることなく会得した、慶寅の渾身の斬撃――六本の刀で刹那の瞬間に斬り付ける――には、絶対の自信があった。
だが、我旺の十字槍の一薙ぎで、何もかもが崩れた。抜いた刀はすべて弾かれ、慶寅自身も敵を前に膝を着く体たらく。
震える奥歯を無理矢理に噛み締めて吐き捨てた強がりの、何と気の利かないことか――。
両肩が酷く痛んだが、その先、両腕に感覚はなかった。痛みを通り越して麻痺していた。
気を抜けば笑いだす膝に力を込め、慶寅は立ち上がり、感覚の消えた両手を七本目の太刀に添える。
人前で抜いたことのない七本目に。
我旺は槍を下ろした。何とも雄大な微笑を携え、慶寅を見つめる。
「よい覇気だ。これまでにせい。慶寅よ、その有り余る覇気、國の為に用立てる日が来よう。うぬほどのますらお國を統べるのであれば、この國も変わろう」
「俺は将軍に何ざ……ならねぇよ」
「……いつの日か、うぬの耳にも聴こえようぞ。國の哭く声が……」
「いいから、続けようぜ? アンタと向き合ってると、ゾクゾクしてきやがる……!」
かつてない強敵を前に、慶寅は震えを隠せないでいた。死ぬことになるかもしれない。だが、鬼神と謳われた十字槍の男に、手合わせを申し込んだのは自分自身。
売った喧嘩を引っ込めるような野暮は、己の美学として許されない。
我旺は軽く手で慶寅を制した。
「ワシが死力を尽くし、槍を振るうは國の為にこの命を賭すときのみ。うぬが國の害となるなれば、そのときは――」
本当に餓鬼だった。とあのころを思い出す。
「反意……アイツがなァ……。十兵衛と半蔵の報告を待つ気にもなれんしなァ……」
かなうはずはない。あれほどの漢に、あのころの自分が勝てる道理は微塵もなかった。そうかといって、刻を経た今、適うという保証はまるでない。
だが、惚れた漢が道を違えるのを、指をくわえて傍観できない自分をむしろ誇りに思おう。
「知らん仲でもねぇし……俺が引導渡してやるのも粋ってモンじゃねぇか」
覇王丸
――こいつは強え。
一目見てそう実感した。一瞬だが、全身が泡立つこの感覚――まだ餓鬼だったころ、柳生十兵衛と対峙したあの感覚に近しいもの。この感覚は滅多にない。
黄に染め上げた派手な着流しに、七本の刀を帯びた出で立ち。なかなかの傾きっぷりだが、それが伊達ではないことは覇王丸の勘が告げてきた。
己の剣の道を極めんと強者との戦いを望む、覇王丸の手合いの申し出こそ断られたが
「なァ、アンタ、どこへ行くんだい?」
飄々とした口振りで、男は覇王丸に薄く笑いかける。
「日輪國に、方々から強ぇ奴らが集まってるって聞いてよ。腕試しにでもなりゃあってな」
「へぇ、日輪國……ねぇ」
「俺は先に行くが、よかったら後から来いよ。きっと、面白ぇからよ。約束したぜ。次にお前さんと会うのが楽しみだ。じゃあな!」
遠く、日輪國を目指して覇王丸は歩を進める。今より少しだけでも強くなってやる。
自分より強いヤツと闘いたい。その死と背中合わせの欲求は決して消えない。
いずれ、この名も知らぬ七本刀の男と刀を交える日も来よう。
覇王丸は率直に思う。
――楽しみだな。
桜吹雪の中、口元に知らずと笑みが浮かんだ。
真鏡名ミナ
「もう、あなたと二人だけね……」
チャンプルをそっと抱き上げる。チャンプルとは幼少のころからずっと一緒。チャンプルの暖かなぬくもりは、昔から変わらない。
「妖滅師の私がいない間に村を滅ぼしたあやかし……どうしても……許せない。あなたを巻きこみたくはない。けれど、一人で戦えるほど、わたし、強くないから……」
故郷の村を滅ぼした、得体の知れないあやかしに対し、復讐を誓って琉球を旅立った。何処に向かっているのか、今、何処にいるのか、全く分からないが、そんなことは些末なことだった。
あまりに強すぎる邪気が遠くから流れてくる。目指す場所だけが分かっていれば十分。
「チャンプル、あなただけは守るから……一緒に来てね」
少しだけ、ほんの少しだけ、チャンプルを抱きしめる両腕に力を込める。チャンプルのぬくもりから一人ぼっちでないことを確かめ、不安だらけで折れてしまいそうな心を立て直す。
思いつめた表情のミナの心を知ってか、無邪気な表情でチャンプルはそっとミナの頬に頬擦りする。ミナからもそれにこたえる。
涼しげな風の吹く小さな森の中、木洩れ日を浴び、お互いの絆を確かめ合う。
この瞬間だけは、嫌なことはすべて忘れられる……。
「ずっと一緒にいようね。……約束ね」
チャンプルの暖かなぬくもりは、昔から――きっとこれからも、変わらない。
劉雲飛
「待っておれ……闇キ皇。貴様は千年の刻を待ったであろう」
雲飛は空を見上げる。黒き気で歪んだ空。忘れ得ぬ記憶が呼び起こされる。
あの時も空は暗かった。昼夜の別はなく、空は闇に覆われ、雷光に近いがまるで違う青い光が時折地上を照らす。
触れた物は何であろうと壊れ、緑の炎と燐を噴きながら燃える。人間とて例外ではない。破壊と殺戮と、
月並みな表現だが暴虐の限りを尽くしたと雲飛は思う。師の教えをすべて破棄することに躊躇しなかった、脆弱すぎた心。
仙の法に通ずる師との戦は、昼夜を問わず十日十夜続いた。師は、人であるには余りに強過ぎる偉大な傑物だった。
自らの手で殺めておきながら切に思う。
そして師との戦で無傷に終わらなかった雲飛を、八人の弟子たちがその身を挺して闇キ皇と雲飛を封じた。皆、自分には過ぎた弟子たちだった。
「だが、ワシも待っておった。貴様を滅し、自身の罪を償う刻を」
闇キ皇を雲飛よりも深く知るものはいない。
今、この國において、闇キ皇を滅せる可能性を有しているのは、おそらく自身のみ。無論、それを待ち望んでいた。
言葉どおり、死んでも死に切れない――。
「ワシのごとき惨事、二度と起こしてはならぬ」
闇キ皇に身を委ねて、最初に手をかけたのはほかならぬ愛する妻だった……。
捨てた感情も、枯れ果てた涙も、妻のことを想う時だけはわずかに蘇る。
「刻はさほど残されておるまい。この身、この命を賭して貴様を冥府の底に沈めてくれん!」
雲飛は飛び立つ。
これが最期の戦。
還る場所は妻の元と誓いを立てて。