雨礫〜花諷院骸羅〜(2) |
長い長い石段を登りきった上に、ひっそりと立つ枯華院と、背後の鎮守の森は今、雨に煙っている。 雨の音がさらに激しくなり、枯華院から見える景色をますます陰鬱に塗り込めていくさまを、 リムルルは堂宇へ繋がる縁側から見ていた。 小さな呟きが零れる。 「姉さま」 俯いた彼女の口から、続けてもうひとりの名が零れ落ちた。 「……閑丸くん」 二人とも、今はどうしているのだろうか。 どうか、無事でいてくれるようにとリムルルはカムイに祈る。 カムイと意志を通じるほどの力が自分にあれば、せめて二人の様子はつかめるかもしれないのに。 「おい!」 突如、男の大声が響く。 びくんと肩を震わせ、振り向いたリムルルはむっとした様子で声の主を見る。袈裟をまとった大男がリムルルを見据えていた。 「和尚がおめえらに夕餉を振る舞いてぇってよ!」 「わかりましたっ」 膨れっ面のリムルルは、そう花諷院骸羅に言い捨てると、 彼の脇をすたすたと通り過ぎ姿を消した。 後に残った骸羅は、怪訝な表情で後を見送る。 「なんだありゃ? 俺が声かけたのがそんなに気に入らねぇのかよ?」 体が並外れて大きいのと、すぐに手が出る乱暴な一面のためか、または人の事情を一切構わないがさつさのためか、 その全てが原因なのか、行く先々で人々に怖れられ、避けられることが骸羅のひそかな悩みだった。 「たぁく、娘っ子ってぇのは扱いづれぇやな……。」 口をへの字に曲げていた骸羅は頭を掻く。 タムタムは、目の前の像を注視していた。 枯華院の本尊たる仏像である。 「コレガ、コノ国ノ神カ?」 「人の形のモノをわざわざ作るのは、悪いものを引き寄せる。って、アイヌモシリじゃ言うんだけどね」 タムタムの横で、紫のナコルルがしたり顔で言う。 「おい、天狗! 間違えてんじゃねえぞ!! 神じゃねえ、御仏だ!!」 大声に二人が振り向くと、住職の花諷院和狆の”孫”だという大男が、彼を睨みつつ仁王立ちになっていた。 「ミホトケ?」 「神っつぅのは所詮はだな、あー、御仏が衆生を救うための方便、要は仮の姿に過ぎねぇんだぞ!」 タムタムは不思議そうに瞬いた。 「人々ヲ救ウ存在ヲ、コノ国デハ神デナク、ミホトケト呼ブトイウコトカ?」 「まぁそういうこったが、ん? ちょっと待てい。おめぇの言い方だと神と御仏がおんなじもんみてぇに聞こえるじゃねえかよ。」 どすどすと足音を立てつつ近づいてきた骸羅は人差し指を立て、タムタムの目の前に突き出した。 「いいか? 仏界におわす御仏はだなあ、あ〜……」 口が大きくへの字に曲がり、言葉を止め骸羅は太い指であごを掴む。 タムタムの前でしばし、その姿勢で唸っていたが。 「おい、天狗! これ以上聞きたきゃ和尚に聞けや! 嫌んなるほどたっぷり聞けるぜ!!」 言うなりタムタムに背を向け、ずかずかと大きな歩幅でその場を立ち去った。 残ったタムタムは、仮面の下で目を瞬いている。 「ようするに、自分じゃ説明できないのね」 見ると、紫のナコルルが含み笑いをしているのが目に入った。 突如、乱暴な足音が床を渡り近づき、骸羅が再び姿を見せた。 仁王立ちになり、二人を睨みつけている。 「何よ」 紫のナコルルがむっと睨み返す。 「言い忘れた! 夕餉だ!」 そのまま骸羅は踵を返し、大きな足音がどすどすと遠ざかっていった。 その翌日。 雨は昨夜の激しさこそ収まったが、いまだ針のように途切れなく降り続いていた。 枯華院に招待され宿を借り、朝餉を振舞われた旅人たちは、外の雨音を聞きながら、骸羅の案内で和狆の居室へ通された。 畳の上にタムタムと骸羅は胡座をかき、紫のナコルルとリムルルは正座して和狆に対座する。 居住まいを正しながらリムルルは、自分が只ならぬ事態に直面しようとしていることをその身に感じ取っていた。 これまで、自然を脅かす異変に立ち向かっていたのは昔は父様、近頃では姉様だったけれど、 今回は、私が。 誰でもない、私が立ち向かわなきゃならないんだ。 リムルルは思わず、膝の上で手を握り締め、 「よし」と、口の中で小さく呟いていた。 「さて、そろそろ始めましょうかの」 そう、穏やかに和狆が告げる。 「まずタムタム殿がはるばる海を越えてこの日ノ本まで来られたのは、”黒い神”の追跡のため。 その”黒い神”はワシらの祓うべき魔であり、ある村に居座っておると考えられるが」 和狆は、柔和な表情でゆっくりと、部屋に坐す四人を見渡す。 「ならば”黒い神”がどういった存在であるのかをタムタム殿からお聞かせ願うのが、肝要なことであろうな。」 「ウム」 真っ赤な仮面でその顔を覆い尽くしたタムタムが、和狆の言葉にうなずいた。 「黒イ神、我ガ神ニシテ村ト大地ノ守リ神デアル、けつぁるくぁとるノ最大ノ敵」 「あ? ケツ? 下品な名前の神さんだなおい!」 骸羅の怒鳴るような茶々を受けたタムタムから怒気が立ち昇り、彼は腰を浮かせかけたが 「骸羅!」 和狆の一喝に、骸羅は首を竦めた。 「そやつの言うことは気にせんでくだされ、タムタム殿。守り神の敵ということは、 言うまでもなく禍を為す悪神である、ということじゃな。 ひょっとするとお国では悪神を招かぬ用心のために、その名を直に呼ぶことは忌まれておるのかの?」 「ソノ通リダ、祭司ヨ。」 穏やかな和狆の問いかけに、タムタムは座り直し彼に顔を向ける。 「黒イ神モ、我が神けつぁるくぁとるト同ジヨウニ、イクツモノ名ト姿持ツ。 よあるり・ええかとる、ちゃるちうととりん、いつとり、ねさわるぴり、ソシテてるぽちとり……」 「オイ、めんどくせぇなぁ!」 またもタムタムの言葉は大声に中断された。 「悪神なら悪神だけでいいだろうがぁ!!」 唸るように骸羅が言った。 「少し黙っとれ、骸羅。おとなしゅうタムタム殿の話が聞けんなら出ていってもらうぞ。」 幾分強い調子でぴしゃりと告げた和狆を、骸羅は睨みつける。 「けどよ、ジジイ。その黒い神とやらが名前や姿を何個持ってようが、んなこたぁどうでもいいだろうがよ? 居場所は割れてんだから、とっとと祓ったらすむこったろうが!」 「そのためにも悪神がどのような姿をとり、何をしてきたか知っておくのは無益なことではあるまい。」 和狆の言葉に、 「そっかぁ……」 リムルルが小声でうなづき、 「それはそうでしょうね。」 紫のナコルルがさらりと相槌を打った。 「で、タムタム。あなたの所のウエンカムイはどういうのに化けるの?」 紫のナコルルの言葉を受け、タムタムは仮面の下からその場にいる者すべてに真摯な目を向ける。 「たむたむノ村ノ言イ伝エデハ、黒イ神、本来ノ名ノホカニ、フタツノ名ヲ持ツトサレテイル。 戦神うぃちろぽちとり、ソシテ、春ノ神しぺ・とてく。 ドチラモ、恐ルベキ黒イ神ノ化身。」 骸羅が目を白黒させた。 「う、うち……? なんだとぉ!? まったくおめぇんところの神っつうのは、 なんだってそろいも揃って舌噛みそうな名前ばっかりなんじゃあ!」 「ちょっと、和尚さん。あなたの雷(カンナ)みたいにうるさいお孫さんをどうにかして黙らせられない? 話が進みそうにないじゃない。」 眉をしかめ、態度全体で迷惑だと表しつつ紫のナコルルが言う。 「これ、骸羅。今度話の邪魔をしたら丸七日写経をやらせるぞ。」 和狆の声に骸羅が眉と唇をゆがめ、大仰に肩を竦める。 「くそっ」小声で吐き捨てたのが聞こえてきた。 彼は数々の修行の中でも、座って単調な作業を繰り返すだけの写経が最も苦手だった。 「うぃちろぽちとり、戦ヲ司ル神。コノ神、恐ルベキ武器ヲ持ツト伝エラレル」 タムタムは語り始めた。 かつてメシカ(アステカ帝国。メキシコの前身)で主なる神と崇められた、戦を司る神はウィチロポチトリと呼ばれる。 その名は"左のハチドリ"を意味する。 この神の母は、父親でなく天上の神の下した羽根により身ごもった、との言い伝えをもっていた。 それを不貞の結果と見たウィチロポチトリの兄弟たちは、母親もろとも神を抹殺せんと軍勢を差し向ける。 だが、力なき赤子のはずの軍神は恐るべき武器を手にして生誕した。 神の手に握られていた武器は、兄弟達とその軍勢を刹那に殲滅せしめたという。 「ソレガ"しうくぁとる"。炎ノ蛇、トイウ名ノ神ノ武器ダ。」 「デタラメ抜かしてんじゃねーぞ天狗! 軍勢を全部いっぺんに叩き潰せる武器なんざ、この世にあるわけねぇだろが!」 骸羅が怒鳴った途端。ごつ、と鈍い音がした。 「つぁ〜〜〜っ、いちいち錫杖で殴るこたぁねえだろうがジジイ! しかもなんで部屋ん中に置いてんだよ!!」 殴られた箇所を押さえつつ抗議してくる骸羅に、 「七日の写経じゃぞ。」一声発し、和狆はタムタムを見る。 「で、黒い神のもう一つの姿は……春の神シペ・トテク、と言うたかの?」 和狆の言葉に、タムタムはうなずいた。 「コノ神、名ノ意味ハ"皮ヲ剥ガサレシ者"。残酷ナヤリ方デ、生贄ヲ求メル。」 「皮を剥がされたっていうと、丁度狩の獲物みたいな感じかな」 紫のナコルルが言った。 「うわぁ……」 リムルルが顔をしかめる。 「ソウダ。タダ、しぺ・とてくガ要求スル皮ハ獣ノモノデナク、人ダ。」 タムタムの言葉に、沈黙が垂れ込めた。 リムルルは背筋に悪寒を覚えたが、勇気を振り絞って尋ねる。 「それって、タムタムさん……剥がされた人の皮を喜ぶカムイ、ってことなの?」 タムタムは、一度うなづいてみせた。 「趣味の悪いウエンカムイね。」 紫のナコルルが言い捨て、眉をひそめる。 さらにタムタムの語った、”春の神”にして黒い神の化身の一つ、シペ・トテクにまつわる伝説は壮絶なものだった。 ある時シペ・トテクの祭司たちが、とある王族の元に馳せ参じ、一族に繁栄をもたらす祈祷を持ちかけたという。 彼らは王に対し、祈祷にその娘である王女を参加させる事を要求した。 ”さすれば王女様に、我らの神が最高の栄誉を授けられましょうぞ” その説得に応じて王女の参加を許し、そして祈祷の場に赴いた王が見たものは。 娘である王女の身から剥がされた生皮をまとって踊り狂う、シペ・トテクの祈祷者の姿であった。 「ううっ」 リムルルが顔をそむけ、口を抑える。 「なんなんじゃあ、そりゃァ!」 骸羅の大声が、外の雨音のみに支配されたその場の静寂を打ち破った。 全員が目をやると、骸羅はその場に仁王立ちになっていた。 憤怒の形相も、正しく仁王のものである。 「娘の生皮引っぺがすなぞ、鬼か化け物の仕業に決まってんだろうが! 一体なんでそんな、極悪非道なもんが神を名乗りやがんだ!!」 「骸羅。落ち着かんか。」 和狆が穏やかに声をかけた。 骸羅が歯軋りしつつも拳を収めたのを目にして、老僧侶はタムタムに向き直る。 「つまりはタムタム殿の国の”黒い神”は、戦の神を名乗った時は大砲を遥かに上回る威力の武器を用い、 春の神を名乗った時は、生け贄を求めて人の生皮を剥がす。こういうことでよろしいかの?」 「ソウダ、祭司ヨ。黒イ神、破壊ト殺戮ヲ世ニ撒キ散ラス。」 「冗談じゃないわよね!」 紫のナコルルが言い放つ。 「そんな奴に居座られちゃ、いい迷惑だわ。」 彼女は、タムタムに挑みかかるように目を向けた。 「あなたの所のウエンカムイなんだから、しっかり退治しなさいよ!」 「無論ダ。黒ノなこるる、オマエニ言ワレルマデモナイ。」 「その糞野郎、俺にも一発殴らせろや! 胸クソ悪ぃったらありゃしねえぜ!」 片膝を立て、怒りを漲らせ怒鳴る骸羅を尻目に、 紫のナコルルは、隣で僅かに俯くリムルルに目を留めた。 「気分が悪いんだったら、先に寝ててもいいのよリムルル」 「う、ううん、大丈夫です」 「子供は寝る時間でしょ? そろそろ」 僅かに小馬鹿にしたような物言いに、リムルルはきっとした表情を彼女に向ける。 「クンネ・ラマッさん! 子供扱いしないで!」 「扱いも何も、あんたはまだ子供なんだから」 そう言って、紫のナコルルはリムルルの額を軽く指で弾いた。 「それと、ナコルルって呼びなさいって言ったでしょ。何度も同じこと言わせないの!」 リムルルは睨むような目を紫のナコルルに向けたが、そのまま黙り込んだ。 その集いは、和狆の”悪神に立ち向かうための”準備を待ち、 明朝タムタムを黒い神が居座ったと思しき村へ案内する事で合意を見、 紫のナコルルも、シクルゥと共に同行する意を告げた。 リムルルは姉ナコルルを捜すべく、彼らと別れ明朝に枯華院を出ることとなった。 その見送りと留守居を言いつけられた骸羅が荒れ出し、 彼を除く三人は、和狆に促されるまま寝所へと向かった。 「何度も言わせるでないぞ、骸羅! 今のお前では、あれほどの強大な邪気を相手にすることはできんと言うとるんじゃ!」 和狆が声を荒げ、 「ふざけるんじゃねえや、ジジイ! てめえとあのヒョロヒョロのよそモンだけで、なんとかできるってのかよ! それよか先になぁ! 人をなぶり殺しにするようなバケモンを、俺に見過ごせってのかよ!!」 骸羅が怒鳴り返す。 「悪い奴(ウエンペ)じゃないんでしょうけど、聞き分けのない男ね。」 その声を後ろに聞きつつ、紫のナコルルが肩を竦める。 リムルルは、廊下まで響く二人のやり取りを聞きつつ障子を見やっていたが。 ふと、ひとつの気が急激に変化した事を感じ取った。 目を向ける。 正しくは目と首を上げて、見上げる。 タムタムの目は二人を見ておらず、中空を凝視していた。 宙を見ているというよりも、ここに存在しない何かを凝視しているようにリムルルには思えた。 「あの……タムタムさん?」 リムルルの呼びかけに、紫のナコルルも彼を見上げる。 「れら」 タムタムが、そう小さく呟いた。 「え?」 紫のナコルルが怪訝な顔を見せ、リムルルは瞬く。 「れらガ……危ナイ!」 片言で、追い詰められたように声を絞り出したタムタムは、 突如二人に背を向け、一目散に駆け出した。 「ちょっと!?」 「タムタムさんっ!?」 二人の呼びかける声をまるで意に介さず、タムタムの背は遠ざかって行く。 「れらが危ない、あいつそう言ったわよねリムルル?」 そう問うた紫のナコルルだが、 彼女はすぐにリムルルの聞き取った音に耳をすます事になる。 雨に紛れて聞こえたのは、遠吠え。 それを聞く二人の目に呼び起こされるのは、シクルゥが首を天に向け遠くへ吼える姿だった。 「シクルゥ、どうしたんだろ?」 胸がざわついたまま呟いたリムルルだが、 次の刹那、障子の向こうで喚き散らされた罵詈雑言に身を縮める。 「つきあってられるか! こんのクソジジイがあ!!」 罵る声と共に障子が乱暴に開く。仁王立ちとなった花諷院骸羅の姿があった。 紫のナコルルは、思わずリムルルを庇うように後方に押しやっていた。 骸羅は刹那、二人の少女を目にとめたが、 そのままタムタムが去ったのと同じ方向に駈け去っていった。 「なんなのよ。あの落ち着きのない連中。」 紫のナコルルが怒ったように、二人の男が走り去った方に目をやり、 リムルルは開け放されたままの障子の向こうに、 しかめ面で首を振る、小柄な老僧侶の姿を見ていた。 外へと飛び出した骸羅は、自分より先に枯華院の門を出る姿を目に留めた。 それは、紫のナコルルに付き添っていた巨体の狼であった。 「なんだ? 散歩か? 雨だってのによ。」 骸羅は立ちどまり呟く。 「まぁ、ケダモンにゃ雨も晴れも関係ねえかな。」 再び走り出そうとした骸羅だが、雨に混じって聞き慣れない音を聞き取った。 「こりゃあ……笛の音か?」 音の方向を見やり、骸羅は瞬く。 雨に煙る鎮守の森から、雨の音に紛れて聞こえてくる音色。 鋭く矢のように耳に届く印象の横笛や口笛に比して、その音色はどこかこじんまりと柔らかく、素朴に可愛らしく響いていた。 笛の音を頼りに森に入った骸羅は、木の下に小さな影を見た。 その影が、笛らしき楽器を口に咥えて奏でている。 「おめぇ、そこで何やってんだ。」 骸羅は小さな影に話しかける。 「迷い子か? 家が近いってんなら送ってやるぞ。」 小さな影が彼を見た。 叩きつけるような大粒の雨が降りしきる中。 骸羅を見上げているのは、頭に布をかぶった小柄な少女だった。 大きな、素直そうなあどけない瞳が骸羅を見ている。 「おめぇ、んな布っきれじゃこの雨は防げんだろ。」 少女の上着には、首のところに頭巾が縫いつけられている。 それをすっぽりと被り、彼女は鎮守の森の中で雨宿りをしているようだった。 少女は首から、白い鳩笛らしきものに紐を通して下げていた。 彼女のまとう衣の紋様。どっかで見たな、と思った骸羅は、今枯華院に寝泊りしている二人の蝦夷の少女の衣を思い出す。 「おい。おめぇ、ひょっとして蝦夷のもんか?」 骸羅を見上げていた娘が、にっこりと笑う。 「あたし、姉さまを探してるの。」 「あん? 最近は姉さんを探すのが流行ってんのかよ。」 「あなたはオンカミする人だよね?」 「あぁ? なんだと? 俺は蝦夷の言葉は知らんぞ。」 雷のような吼え声を出してから、骸羅はちょっとまずかったか、と思い直す。 娘っ子ってのは、こんぐらいのことでもすぐに怯えちまうもんだ。 だが娘の顔から、笑顔は消えていなかった。 「レプンモシリ(本州)で、カムイにお祈りしてる人でしょう?」 「かむいじゃねぇ! 御仏だ。」 「姉さまを見なかった?」 「見たも見ねぇも、俺はおめぇの姉さんがどんな女か知らねぇぞ。」 「えぇとね。」 言われて少女は、小首をかしげる。 「あたしとおんなじような格好をしていて、首からタマサイを提げてるの。紅い玉の首飾り。 髪はあたしより、もう少し長いくらいだよ。」 「さぁて、知らねぇな。」 骸羅は寺を振り向く。 「枯華院に蝦夷のかむいこたん、とかいう所から来たって娘っ子が泊まってるが、年上の方は髪が長ぇしな。 おめぇは知り合いじゃねえのか?」 「あたしがカムイコタンにいたのは、ずぅっと昔のことだから。たぶんその人も、姉さまのことは知らないと思う。」 「ずうっと昔?」 少女の言葉に首を傾げた骸羅だが、 「……そうかよ。」 そう、ぼそりと呟いた。 「あのね、オンカミクルさん。」 「んな名前じゃねぇよ。俺は花諷院骸羅ってんだ。」 「じゃあ、ガイラさん。もし姉さまを見かけたら伝えてくれる? ウエンカムイを封じるために、シルペケレ・カムイノミを手伝ってください、って。」 「し、しる? ……なんだァ!?」 「ノンノがそう言ってたって、伝えてね。」 少女はにっこりと笑みを浮かべた。そして骸羅にくるりと背を向け、雨の中へと駆け出す。 「おい!」 思わず、少女に向けて手を伸ばしたが、叩きつける雨の中にその姿は消えていった。 頭巾がずり落ちて、少女の頭の上で揺れる、蝶結びにされた大きな青い布切れが見えた。 雨音が激しくなる。 骸羅は、今しがた出会った娘のことを考えるのは止めにした。 わかりもしないことを、うだうだ考えてもしょうがない。 枯華院を降りるなら今のうち。 行く先は、あやかしどもが居座ったあの村だ。 とりあえず殴りこむ。 和尚の言う事など、はいそうですかと聞いてはおれぬ。 こうしている間にも、あやかしどもはいけすかない邪教を広めながら罪なき人々を食い物にしているのだ。 「俺が止めてやらぁ!」 握り拳を左の手のひらに打ちつけて気合を込めてから、骸羅は駆け出す。一目散に。 和尚の呼ぶ声を聞いたように思ったが、 それは瞬く間に、骸羅の後ろに置いてけぼりにされた。 ばしゃばしゃと、跳ねあがる水飛沫。 骸羅は人気のない雨の山道を、ひたすら駆ける。 激しさを増した風と雨が、袈裟と肌を、髪を打ち据えていく。 やがて骸羅は山道を抜け、町へと入った。 不思議に人の気配が感じられぬ街だった。 骸羅にとって、そこは通過点でしかないはずだった。 だが、彼は足を止める。 雨の中、僅かに人の気配を察したためだったが、 尋常な状態ではなかった。 肌が粟立った。 何かとてつもなく、恐ろしいことが起きている。 その悪寒が骸羅の肌を直撃した。 殺意と切迫した恐怖感が膨れ上がり、水に切り刻まれる空間を汚染している。 「なんだ……?」 声をひそめて呟き、骸羅は周囲を見渡し、煙る雨の中、漂う人の気配を探る。 そして彼は、 その生涯で初めて、怕ろしいと心底思い知らされるモノを目にすることとなった。 |